散文の自画像 

創作魂を持つ大熊という人間が、散文で日々の自画像を綴る文章ブログです。

もうパチンコ行きたい。

※ただ書き殴っている文章です。

 

パチンコ行きたいと生まれて初めて思った、パチンコ行きたいというのはつまり、部屋が静かすぎた事が原因で、部屋が静かすぎた事がどうして自分を苦しめたのかというと、その時は自分に対面するのがとてもしんどかったから。
『お教室』にはやっぱり今までとは違う人種が居て、白人の中(あるいは黒人の中、何だって良い、とにかく私の知らない世界の住人たち)に放り込まれたような感じがしたのだ、というのも皆さん勤勉なんだよとてもね。
講師自身がその良い例だった、洋裁の他の分野でも彼等はスペシャリストのようだった、休日なんて無いらしい、洋裁についても生まれ持った家業を継いだというのだから何かしら運命の導きみたいなものがあるのだろう。
生徒たちも、実質ニート状態なんて私だけだと改めて思い知らされた、ニートというよりも…35過ぎで経歴無しという現実がいかに恐ろしいものかを改めて思い知らされたと言った方が的を得ているだろう。

 

…いやもう絵とか馬鹿な事言っている場合じゃないんじゃないのか…
結局展示販売を考えると絵は美大卒の金持ちにやらせておく内輪の趣味として成り立っているのであり、自分はそういう夢を見るその時間すらも無駄だったのではないか…
絵について考えていた時間そのものが、まるで自分にそぐわないとようやく理解して寒気がしている、お門違いだった気がする、YouTubeに絵を載せるのはともかくとして、クソ真面目に絵の世界のことを考えていた時間が阿呆らしすぎたのだとようやく気がついたのだ、時既に遅し、遅すぎる。

 

さて、手に職をと習っている洋裁には何段階か工程がある、原型パターン制作、デザイン制作、【ここでデザインの型紙が完成する】、この型紙を元に布を裁断し、縫製する…ミシンというのはその実最後の最後の〆の工程でしかない、俗に言う洋裁というものの場合、既製の型紙をただ縫製するだけの工程を指したりするが、洋裁というのは元来原型の理解から始まるものなのだ…と知った。
で、今私は原型パターン制作を生まれて初めて終えたところであるが…これを帰宅してからやろうとしても意味不明過ぎて全く歯が立たなかった、甘かった、「習ったことはすぐに実用出来る☆」等という脳ミソでないことくらい35年の人生で嫌と言うほど味わってきたにもかかわらず、夢を見ていたのだ儚い夢を。
自分でパターンが組めるようになって、洋服の構造の意味を理解した上で、自由に人形服が作れるようになるには大体、とりあえず3年はやらなければねぇ…
3年、しかも件の「アンティークドールに自由自在な創作服を着せて販売」ということが禁止されているらしいと知って、じゃあ他の既製人形の服でも売ろうかと思ってはみたが、全然心が開かない、どうしていいかわからない、そっち方面の人形を買おうにもお金がかかるし、唐突に夢破れたような状態に陥っている、よしんば服販売にこぎ着けたとしたってそれまでに丸三年はかかると覚悟しろという話なのである、丸三年は『何も出来ない状態』に耐えねばならない。
しかもこう言ってはなんだが、これはあくまで人形の服という代物についての洋裁知識であって、人間服のそれとは要領がまるで異なるらしい、だから人形服をやったからといって人間の服もたちまちに作れるようになる…なんてことは皆目無理である。
私が何を恐れているか解るだろうか?

 

何も出来ないのが怖いのだ、この教室の講師のように『年齢=職業経験の素晴らしき叡智』とはいかないどころか、歳をとるごとに何一つ出来なくなって行く自分が恐ろしくて堪らないのだ。
図書館も清掃も辞めてしまえば何のスキルにもならない、あれは仕事経験というよりもバイト経験、労働経験だったのだとようやく理解した夏の午後の帰り道。
つまり何もやってこなかったのである、勿論世の中にはこのように『心底何の叡智にもならない仕事』と呼ばれるものが沢山在る、はっきり言ってかなりの割合の仕事が『何のスキルにもならない』仕事だろう。
清掃をやっていた…だから?
図書館をやっていた…だから?
それが何かに活かせるのだろうか?
よく考えてみて欲しい、よくよく考えれば解ることなのだ、これらの仕事はあくまで肉体労働である、腰痛をやったらそれだけでオシャカになるただの労働なのだ、これは仕事ではなくて労働なのである。
そりゃあ解ってはいた、当時からも解ってはいた、楽だったからやっていただけなのだ、あくまで自分の出来る範囲をこなすしかやれなかったのだ、当時だって自覚してたじゃないか。
じゃあこれからどうするのだろうか?
私はM氏のお恵みを首の皮一枚のところで享受しているのだが、このお恵みが終了したら私はどうしたらいいだろうか?
現状、どうすることもできないというのが答えなのだと、勤勉な人たちに生まれて初めて囲まれて、その勤勉率に息苦しくなりながらも私が知った回答、それは自分が35過ぎの能なしだと言うこと、ただそれだけだったのだ。

 

これが高校時代の人々の中に居たのでは解らなかっただろうと思う、彼等は基本的に馬鹿で多産だし、人生どうにもならなくても何とか誰かからすねを囓る事も含めて生きながらえる術を、少しも恥ずかしげなくやってのける人種だから。
私の両親だってこの人種なのだ、そのような馬鹿な人たちに囲まれて過ごしていると頭に甘い甘い蜜のようなものを注射されているような気分に浸ることがある、両親を観ていてもそう思うときがある、『馬鹿でもどうにかなる』といういいお手本なのだ。
私はそれを見て過ごしてきた人間である、だからこそ恥ずかしげもなく、生きながらえるためだけの動機で結婚し、当然のことのようにM氏に飼われて過ごしている、異性関係まで申告して飼われて過ごしている、でもこれといって疑問が湧かなかったのだ。
だって私の人生ってそういうものだと思っていたから。
だから時間をそのままだらしなく使っても取り立て悔やみもしないし、時間=素晴らしい経験、等という概念自体が希薄だった、暇だったらゲームして過ごすとかそういう、やり場のないフラストレーションをそのまま垂れ流して過ごす人種の中に居た。
週五で働いて副業もしつつ習い事もするとかそういう人の存在を、生まれて初めて知った、馬鹿高校の元同級生たちにも見せてやりたい、『人間として知識を向上させて行く事を本当にやっている人たちが居るんだよ!』って言ってやりたい、言ったところで彼等の大半が無気力なネット閲覧やパチンコや異性関係で時間を浪費するのは火を見るより明らかだが。

 

何もしないという選択肢を真っ先に選ぶのは火を見るより明らかだが。
念の為、ここで言っているのはがむしゃらに時間を使うとかがむしゃらに働けとかそういう事ではなくて、コツコツと仕事と趣味及び副業の『経験値』を上げるということについてのカルチャーショック、みたいな事。
時間=経験値という概念を初めて目の当たりにして及び腰になったという話。
時間を切り売りするのではなくて、時間を有効活用し、現実社会でも使える武器として、自分の年齢をプラスに転じさせている方々が多く居るというこの空気に、恐れおののいているだけ。
今自分が出来る事って何だろうか?
もうこういう人たちってYouTubeとかも当然のように利用しているだろうし、活用しているだろうし、当たり前の事としてネットショップも自営しているのだろうし、あああ何だか私は自分が恥ずかしい。
私が何か経験を積むとしたら何だろうか?

 

縫製経験?
駅前のお直し屋さんにでもパート通いするか?

 

…股関節が痛くなければ…

 

丸2時間勉強しただけで頭がフラフラし、吐き気がした、帰宅してから横になるが横になった拍子に股関節に大腿骨がめり込んで半亜脱臼状態に陥り四苦八苦する、水を飲むと歯の神経に染みて奥まで痛んだ。
なあ、これって、あの馬鹿親たちよりも身体の造りが弱くないか?
あいつら結局歯も抜けてないし足腰も痛んでない、年齢だけで言えば彼等は60過ぎだが、私の状態を言えば「通勤するには脚の調子が悪い日もあるのでそのことでヤキモキしたくない」というような明らかな老齢期っぷりである、両親が35の時ってもっと元気だった、これは個体として元気だったというだけであって何も昔の人は元気だとかそういう話をしたいわけではない。
私の祖母がちょうど私のような状態の人間で、多分出産している分私よりもかなり脚の調子は弱かっただろう、彼女はいつも座していて、いつも杖をついていた、遺伝子の不思議、隔世遺伝というやつだ。
隔世遺伝て病気に顕著なのだと私は思う、単なる実体験からそう思っているだけである、けど身体の関節が弱いというのは本当に気が滅入る。
薄々気付いてはいたよ、やっぱさ、「良く出来る方々って身体も良く出来てるんじゃない?」、この世って頭の悪い順に身体も弱く作られているのではないの?
ガタイの良い人肉体労働の人はどう説明するんだと言われそうだが…ちょっと思い浮かべてみて欲しい、貧弱で病弱な医者とか政治家、見たことあるだろうか?
医者とか、バリバリ働いている人ってやっぱり身体が頑丈だよね?
地頭の良い人って頑丈だよね?
なんでこんな風に生まれついたのだろうか、生まれついてのニートなのだろうか?飼われるために生まれてきたのだろうか?
等といじけてもどうしようもないのだ、私の骨というのはもう数多の人の中に溶けている、私よりもさらに劣った骨の持ち主にすらも私の骨であった部分は内在している、その代わり私も数多の誰かから数多の何かをもらって生きているのだ、肌や髪の毛や眼球、何もかも全て、結局の所持ちつ持たれつというのが身体の実相なのだ。

 

何だか…YouTubeに動画上げてどうのこうのとか、それよりももっとやるべき事があるんじゃないのか…
絵を描くとかそういう事よりも、もっと社会に通用する何かをやっとくべきなんじゃないのか…

 

と思いながら案惨たる気持ちで外を眺めていると、確かに、カメラや携帯で撮影しながら歩いている人が居て、今や時代は「今見ている風景を作品化する」という事に尽きるのだなと考える。
私が言っているのはYouTubeに「自分というキャラクターをアイドル化して」「出る」事ではなくて、その他の動画サイトで生配信とかそういう事ではなくて、あくまで自分の「見ている景色を出す」事である。
キラキラした人たちがアイドル化した状態で投げ銭をもらっている動画とかがあるようだが、そういう事ではない…このあたりのニュアンスを明白に伝える言葉が見当たらないので困るが、動画というものがもっとさらに幅広い年代に普及したら、ブログと同じように、自分を発信するのか自分の視点を発信するのかという違いがわかると思う。
このように自分の思ったことをそのまま配信したいのだ、自分を見せるというよりも、自分の考えている事を見せるというか…もう歳だし。

 

歳とは言え、私は元来年寄りじみているので、今まではあまり歳をとることについての抵抗って無かったのだが、今日は唐突に怖くなった。
歳をとるのが怖くなったのだ。

 

何も出来ずに、心身共にどんどん何も出来なくなって行くという現実が、恐ろしくなったのだ。
かといってどうすればいいのだろうか?
私にとって一番のネックは骨の痛みである、この地味な刑罰に耐えている、そして現に35過ぎ能なしの出来る仕事というのはほとんど労働しか残っていない、仕事らしい仕事なんて結局やったこともないのだ、だから私が社会的にどうのこうのという目的を持った場合、骨の痛みにさらに耐えて労働をするということの他に、残された道など無いのだ。
経験になるような仕事、手に職をつけられる仕事になんて就いたこともないのだから。
別に人生の何処で躓いたとか言うわけでもない、絵についても思うのは、結局私は自分のひと月の給料以上のお金を支払う事が出来ないのだということだ、ギャラリーにそれだけの金を積む度胸が無い、その勇気が無い、13万以上の金をかけるなんてこと到底出来っこなかったのだ、元をただせばそれは育ちが原因なのだ。
原因というか、それこそが水の違いというものであって、私が自分の血筋に忠実に生きるのであれば、骨の痛みに耐えながら労働に耐えるという選択肢…これは至極もっともなことなのだ。

 

では何故急に自分の身の上、ほとんど確実にそうなるであろう「社会的に何のスキルも無い高齢」になるのがこんなに怖いのか?
それは、そうでない人種を初めて目の当たりにしたからだ、勤勉な人たちを改めて目の当たりにしたので、つい、自分と彼等を比べてしまったのだ。
私は社会不安の一端に飲まれているだけなのだろうか?
でも思った、私は馬鹿が嫌いだったが、本当の事を言うと馬鹿が好きだったのだ、だって勤勉な人に囲まれているよりもだらけている人間に囲まれた居た方が明らかに楽だったから。
あと3年も「何も出来ない状態」に耐えられるのだろうか?
こんな恐ろしいものに耐えるくらいならば死んだ方がマシなんじゃないのか?
痛みに耐えるという精神力は伴うが、何か働きに出た方が良いのではないだろうか?
…でもまた「脚の状態を毎日気にしながら明日出勤出来るかどうか」といった馬鹿げた悩みに翻弄されて過ごすのだろうか?その悩みに見合うだけの賃金価値が私のやれる仕事にあるのだろうか??

 

そんな精神力私にあるのだろうか?
寝ている時に痛みで目が覚める時、一体自分が何にこんなに苦しめられているのかわからずに、一人で絶望する夜、ああいう夜を乗り越えてまで、実際の骨の痛みを超えてまで出勤出来るのだろうか?
誰とも分かち合えない痛みを、一人で乗り越えることが可能なのだろうか?
そんな精神力が私にあるのならば既に何かきちんとした生き方をしているのではないだろうか?

 

なんだか久しぶりに死にたくなった、それももう全部が嫌だから死にたいというのではない、単に「刻一刻と時間が過ぎるのが恐ろしいから」死にたいのだ、さっさと死んでしまいたいのだ。
勿論これは出来る人たちと自分を比べて卑屈になっているとも言えよう、でも本当に死んでしまう人の気持ちが私はちょっとわかった。
人は怒ったり悲しんだりしたときには死なない、絶望したときにすら死なない、絶望するという予感に対しての恐れが膨れ上がったときにこそ人は「その恐れに手を打つ」為に死ぬのだとわかった。
両親が80で死ぬと宣言している気持ちって案外人間共通のものかもしれない。
それとも私が死にたいのはこのような両親のこさえたガキだからだろうか?
手を打つために死ぬ、というのは自殺が「選ばざるを得なかったもの」ではなくて、手段だったということ。
両親が死ぬまでは死なないが、タイムリミットってあと20年もないのだ、厳密に言うと予期不安に苛まれている状態なのだ。

 

でも35過ぎ職歴無しというのは予期も何も現実なのだ。
このような不安に苛まれるとき、よく友人と会った、馬鹿の辛さも楽しさも解っている仲間だからだ、卑下しているのではない、現実的に育ちの感覚が似ているので現実の辛さを共有出来たのだ。
友人は私を諭すが、友人自身がこの予期不安に常に苛まれているので、二人で飲むお茶は公園の空気に溶けて余計に苦くなる。
でもその苦いお茶を飲めばそれは転じて薬になった、今を生きる薬に。
そうやって色んな事を乗り越えてきたように思う、いや、乗り越えてなど居ない、結局私も友人も勤勉ではなかったから。

 

帰宅した時、部屋はしいんと静まりかえっていた、私はM氏に急かした、「ねえ何かゲームでもやりなよ、好きに楽しく過ごしなよ」、M氏は仕方なく怪談を見ながら眠りはじめた。
私はもっともっと音が必要だと思った、それも簡単な音が。
人の技能を要さない簡単な音が。
人の凄さなんか一切感じる事の無いような、易しい音が。
京アニの犯人も大音量を流していたようだが、人って窮すると音の波に埋もれて、胎内に一時回帰する性質があるんじゃないのかと思った。
私は膝を抱えた、もし今、自分と同じように無力感を抱える人が、自分にとって「易しい音」の波に埋もれて一時的に逃避して、気楽な風で何か「易しい」作業に没頭してくれていたら。
勤勉な誰かではなくて、易しい物事をただひたすらこなすような哀しい時間を、私に見せてくれていたら。
生活保護でパチンコという話はよく語られるが、この仕組みについても初めてわかったのだ、確かに今、私もパチンコに行きたい。
現実を見たくない、見たとしても鼻で嗤ってしまいたいので簡単な音に埋もれる事の出来る…そのような人種の集まるパチンコに行きたいのだ、現状が悲しいから賭け事に行きたくなるのだ、胎内に一時回帰したいからパチンコに行きたくなるのだ。
天国行きたい、でも地獄に居たい、生きるのってしんどい、ああ…もうパチンコ行きたい。