散文の自画像 

創作魂を持つ大熊という人間が、散文で日々の自画像を綴る文章ブログです。

夢の中の自分駅


駅の南口にはラブホテルがあって、そこで私は都度ごとの男たちとよく逢瀬をしたものよ。
私にとってあの駅は南口しか存在しないも同然だった、世界はそれほどに狭かったの。
駅の北口には閑静な住宅街が広がっていて、そこには教室があるの、よく調べたら劇団もあるようだった、知らなかったのよそんなことは、南口のラブホテルだけで私は満足していたから。

 

まあ、夢の中で他の誰かに成り代わっているときには現実の駅なんて心底どうだっていいことよね。
夢に於ける「私」という「自分」駅を中心に広がる南口と北口…もしかするとそれ以上に「上口」とか「下口、斜め下口、やのあさって口」なんかもあるかもしれないけれど…数多のの改札口を通り抜けてしまった後の私はもう、ある意味では別人だから、呼びかけには答えられない。
現実的にどんなに好きな人の呼びかけにも答えられない、だって夢の中の私って大抵、途方もないくらい別人だもの。
言葉の足りない青年や、目が覚めたときにぞっとするほどに善悪の概念そのもののない女の場合もあるのよ、夢の中で演じる役柄は多種多様で、好きな人の「好きな人」を殺してゴミ袋に入れてきょとんとしているような女だったりするの、目が覚める寸前に大抵は「夢の中の自分駅」つまり私自身に近づくから、その時に「悪夢」かどうかって判別しているのよ。
そう、夢って皆、自分という駅から出て自由に過ごす瞬間を言うのよ、目覚めるために自分の血管に「乗って帰る」ために明け方、夢の改札に戻って行くのよ、夢の駅に戻って行くの、その時に「本来の私」であるところの私の価値基準に従って、過ごしたその夢を悪夢か吉夢か解釈しているっていうわけ。

 

眠りに落ちてから自分駅の改札を抜け…夢を観ている間、私は私ではなくなって他の誰かに成り代わるのだけれど、その成り代わった誰かであるところの私は、ほとんどの場合ちっとも寂しくなんかないの、ラブホテルなんか行かなくったっていいの。
誰も居なくても平気で、草や木や土や川が私を満たしていてくれるから、そこで寝転んだり跳びはねたりしていれば世界は完結しているのよ、原型パターンを習わなくってもいい、服なんか着てない時もあるのだから。
本を読んだり、日記を書いたりするっていう行為すら、他者を必要としているということの表れだと思うのよ、恥じてなんかない、だけれど夢の中の私は文字すらも不要なの…私の夢での役柄は大抵言葉の足りない青年なのだけれど…誰も居なくても自分自身が神様の内側に居るって事を「知って」るの、自分の不甲斐なさを受け止めてもらえる場所のあることを知っているの、人間たちの世界から逃れてきた私は幸か不幸か人間たちの世界を忘れて過ごしている。
そうやって神様の内側に居る時に、私は祈りの中に在る、外側の事を考えるのは煩雑で、誰かを恋しいとも思わなければ自分を取り繕う必要もない、私は夢の中で別人に成り代わっているときには風呂にも入らないで、汗をかいたら川に飛び込んでいる。
夢って簡潔よね。
夢の中には当然、あの駅も無い、駅の南口のラブホテルもない、北口もない、誰もいない、私だけが神様の内側に居て、それを敢て絵にしたり唄にしたりする必要すらない。

 

でも夢で、ふと視線を感じる時がある、夢と夢との境目、ちょうど駅というものが線路を跨いで北口と南口に別れているように、夢と夢にも線路に似た境界線があるの、そこに他人の夢が混ざり込んでくる地点がある。

 

夢に於ける線路っていうのは自分自身の血管みたいなもので、私という「自分駅」からは自分自身の血が流れて動いているの。
明け方、目覚める前にそこに「帰るため」に触れると…他の誰かに成り代わっていた私は現実に於ける元の私に戻る、そして不可思議に思う、何故自分は自分の感情や説明のつかない情のようなものを絵や詩にしているのか心底疑問に思う、自分が自分であることが心底不思議で違和感すら感じる。


今朝の視線の主に対して、浅い夢の中で私は振り返って叫んだわ、「さっきから見ているのは誰?」、私を「言葉の足りない青年」の夢から引っ張り起こしたのは誰?
数多の改札を通り抜けて遊んでいた私を、私の「自分駅」に連れ戻したのは誰?
誰でもない私を、私という人間だと思い起こさせているのは誰?

 

実は前にもこういう事があって、その時に夢の中で見たのは膝をつき合わせて向かいあって座る、現実には見たことのない女性だった。
彼女は大粒の涙を流していて私に何かを訴えていた、酷く狼狽したわ、だってそれは夢と言うよりも…現実より深い現実としか言いようのないものだったから。

それから現実ではひと月もしないうちにあの人と私との関係が、とある女性にばれたの、だから夢の中で泣いていた女性はあの人のそばに居た人なんだって私にはすぐにわかったのよ。

 

今、夢の中から見つめている視線に問いかけても返事がないから私は自分に問う、私を見ているあなたはあの時の泣き顔の女性なの?あの人を想っていた女性なの?
そういえばあの時の女性の着ていた服の模様…やっぱり、今私を見つめているのは…
いえ、あの女性の服に模様なんかあったかしら?
そもそも服なんか着てたかしら?原型を取るためにボディーテープを貼ったんじゃなかったかしら?

 

ほとんど無意識的に、私が服というものから得る様々な図形を、まさに「目覚める寸前の」夢の中特有に自由自在に具現化して展示しはじめ、それを自分で眺めはじめるという「その夢の中の時」にも、彼女は私を凝視している風だった。

 

睡眠中の…ちょうど駅の線路の真ん中みたいな場所で私は彼女に「あなたは夢のどっち側から来たの?南口?それとも北口?」と問いかけていたけれど答えは無かったの。


実際に早朝に目が覚めてからも視線を感じたから、件の女性と、今朝方私を「夢の中の駅」に引き戻してまで強く何かを訴えかけたかった様子の人物とが同一の人間だと私はほとんど直感していた、勿論これを観測することなんか出来ない、証明することなんか出来ないけれど。
顔は見ていない。


何故顔を見なかったって?…振り返るのが怖いというよりも、振り返ってまざまざと彼女を見つめるのは失礼な気がして私は背中で彼女を見ていたの、現実で逢瀬をするあの人と、目覚める直前の浅い夢の中で手を繋ぎながら。
夢の中の「自分駅」に近づくということは、現実の感覚に近づくということだから。

あの人も彼女に気付いていた風だった、「気付かないふりをして」、私は夢の中で服飾の作品群を彼に寄り添いながら通り過ぎた、彼女をこれ以上傷つけないように。
振り返って「話があるのならば話しましょう」と言えばよかったかしら?
でもそれは何だかあんまりという気がしたの、あの人と手を繋ぎながら彼女に向かって振り返るなんてことは、どう考えたってやっていいことじゃないだろうから。

 

情夫であるあの人と初めて寝たのもあの駅の南口のラブホテルだった、何かと都合が良かったの、大都会というものはいろいろと、情を興ざめさせるせわしなさがあるから。
すぐに他人になってしまうから、だからあの駅がちょうどよかったの。
南口のラブホテルに関して言えば、件の駅自体が独特の気配を放っているので、その気配も相まって、いつも以上に仲良くなれるような場所だったの。
現実の私は、夢の中の私とは違って、本当に一人きりで生きて行ける人間ではないから。


すっかり目の覚めた私はあの人に連絡した、何かあるかもしれないってね。
あの人がちょうどその現実の時間に、まさに私の刺繍を見つめながら身体の限界を感じていただなんて、夏の一番暑い日、あの人が部屋の中で悶え苦しみながら鶴の飛び立つ布を見つめていただなんて事は実際には知りようもなかったけれど。
もしかしたら、彼女は、あの人の窮地を知らせてくれたのかしら?
あの人が冷や汗をかきながら呻いていた時に、私に知らせてくれたのかしら?
どうも私は夢の中では、あの人もそうだけれど、あの人を想う彼女とも繋がっているような気がしてならないのよ。
もしかしたら彼女も、夢の中の「自分駅」に着いたら、そこを数多の改札口から通り抜け、ひょっとすると私の夢に出てくる見知らぬ誰かに成り代わっていたりするのかしら?
ある夢では親愛なる誰かに。
神様の内側であるところの木々やせせらぎになっていたりするのかしら?
ある夢では「別人であるところの」私の、「見ず知らずの」好きな人に成り代わっていたりするのかしら?
夢が溶け合う場所ではそのように配役を変え、互いにめまぐるしく立ち回っているのかしら?
そして夢の「自分駅」のそばで、現実の情念の化身となって私を見つめているのかしら?

 

それを呪いというのか、あるいは情熱と呼ぶのかは私にもわからないのよ、私にすら同じような情念があるから。

 

そうね、今度あの駅の南口に行ったときに女同士の直感というものについて今一度じっくり考えてみる事にするわ。
ともかく今朝は、知らせてくれてありがとう、あの人の元奥さん…私の、畏れる恋敵よ。