Don't forget to call me.


私を忘れないで、いえ、忘れないでなんて生易しいものじゃない、忘れないでどころじゃなくて常に立ち返って思い出してそして電話して話して。
私を忘れないでというよりも私を忘れる事なかれ、私を忘れる男に呪いあれ、私を思い出す男に幸あれ。
だから言葉としては、厳めしくForget me not.しかし伝えたい本心はDon't forget to call me.
休みの日には電話してね、そうねそうよね、地続きの何処かへあなたは行く、言葉の少し違うゲッセマネの園へ鶴は羽ばたいてゆく。

 

あ!
と思った時には彼に抱きすくめられ、口づけされそうになったが私は身をかわしてしまった。
「今は駄目!今したら思い出だけで満足しちゃうでしょ、帰ってきてからだよ」
晴れ間が差し、雨で洗われた東京の街がさっと煌めくのが見えた、このような光を新しい街へ行く人は誰もが胸に抱いているのだ。

 

プラットホームは空に近い場所だった、鶴の人は荷物を新幹線内に置いて自分は外に出て、発車時刻ギリギリまで私と喋っていた。
「新幹線が鶴ちゃんの荷物だけ載せて行ってしまったらどうする?」
と私は茶化した、「鶴ちゃん行かないでって引っ張って馬乗りになって無理矢理東京に居させるかもよ」、鶴の人は笑って言った。
「もしそうなりそうだったら、俺もあやさんのこと抱えて大阪連れてっちゃうかもしれないよ」
連れてって…と言ったのは私の内部に宿る何者かだった、連綿と命を受け継ぐ根幹、海の底からの囁きを送るあの「影」そのものだった。
鶴の人の腕が私の身体を掴んだ、光の中の街、本当は何処へだって行けるのだ本当は、お金が無いなんて嘘、身体が痛むから不安だなんて嘘、自分を養ってくれている誰かに悪いからなんて嘘。
自分じゃやっていけそうにないからなんて嘘。
相手に唐突に身体を持ち上げられて新幹線に一緒に乗り込んでしまったという女たちこそが、命というものの根源を誰より知っているのだ。
ただ一つ、私にとって何よりも本当の事は創作の導きに身を任せることだった、ミシンを置いて好いた男に攫われるのは私の本懐ではないし、鶴の人とて、創作を軸に生きているのだ。
そして実際には、私は連れて行ってとは言わなかった。
私たちは新幹線のドアの閉まる寸前、互いに「待ってて」「待ってる」と言い合った、時空が歪むような感じがして鉄の巨体は鶴の人を飲み込み、濁流をするすると進んでゆき、やがて見えなくなった。
彼は大阪へ行った。

 

…さて、つい先日までは私も鶴の人も「二ヶ月後に成長した状態で会おう」等と歳に似合わず青臭いことを言い合っていた。
何故青臭いのかというと成長というものを何をもってして観測するのかということ自体が不明確であるというのが第一。
第二に、そもそも何を、的確な達成目標としているのかも不明確。
第三に…互いに自己開示して助け合う要素が一切無いということ、絆という要素が足りないということ。
この要素が欠乏した場合、これが男女の間柄のみの「相互理解」である場合、二人の仲等というものは全く以て、ただの幻想に過ぎない。

 

この三つの青臭い要因から導き出される答えは一つ、この出張が少しでも延長されたりした場合、呆気ないほど簡単に、私も鶴の人も新しい相手と巡り会ってしまうだろうということ。
私たち人間の働きが根源的にはただの運動であると仮定して、その運動をどこまで予測出来るのかということをラプラスの魔的に「過去の事象やその人の置かれた環境」や、その人の運動パターンに当てはめて未来予測したならば、私も鶴の人も短期欲求に弱いので、窮地+物理的に近い人が居ない場合、ほとんど避けようもないくらい確実に新しい恋の果実を囓ってフラストレーションをやり過ごすであろう事は簡単に予測できる。
『自分たちの軸である創作』と日常の全てが絡み合っているという私たちの大前提を忘却し、他の人に些末な話や相談事をした場合、私たちは互いを忘れてしまうだろう。

 

およそ全ての事が詰まるところ創作の神に通じている…というのが私と鶴の人の自分の軸である。

 

出発前、東京駅にある大型バルコニーのような見晴らしのいい場所で彼は本を広げ、私に見せた、そこには和洋折衷の魚のレシピがふんだんに載っていた、「要するに、大阪の店ではこういうものをじゃんじゃん作って手早く売れっていう業務命令なんだ」、面倒くさい処理の不要な簡単なレシピ、インスタ映えするレシピ。
彼の短期的な職務は、「新規開店の店を回せるまでにメニューや稼働動線の下地を練って稼働させて、後継スタッフに任せる」事らしいのだが、問題はそれが駅の内部の店である、ということ。
私は彼の仕事などの話はいつも興味深く聞いている、だってそれすら創作にまつわる話であるので私には彼のいわんとしていることが解るのだ、だからこそ安易に頑張ってとか、きっと出来る等とその場の空気を盛り上げるだけの台詞は吐かないようにしている。
傍目には憎たらしい女のように見えるかも知れないが、正直に「それじゃあ今までとは勝手が違うんだね」という感想を述べた、鶴の人も素直に頷いて話続ける。

 

「魚料理は出来るけど、そりゃあ出来るけど、でも原価の3掛けで売らないと元は取れないんだよ、原価が1000円なら3000円は取らないと採算つかないよ、そういうことを考えて口出ししてくれる人が…いないのかもしれない」
新店舗でのメニューを手渡され、ざっと目を通すとランチメニューだけで沢山種類ある、「駅の中の小さいお店でしょ?」と素人でも問い返したくなる品揃えであった。
つまり鶴の人のこれから二ヶ月働く現場は、品揃えが良すぎて、売値が安すぎて、料理人のやれることの本来の許容量を超えているのだ、それを新規開店なので一からこなすのだ、難しい仕事(あるいは意味のわかりにくい仕事)である事は素人目にも明らかだった。
「でも俺はやってやる、なんかここまで舐められると逆にやる気が湧いてきたよ、これ全部やってやる!」
と鶴の人は私に向き直って目をキラキラさせていた、かわいい鳥のようだった、「格好いい」、少なくとも出会い系にハマっていた時期の鶴の人より数段もかっこ良い事は確かだった。

 

難点を言うなれば、よしんば鶴の人本人が怒濤のメニューを料理人としてさばききれたとして…それを後継者にも引き継げない限り、ただの一職人芸にしかならないのだ。

 

私は果てしなく続くビル街を見ながら思った、鶴の人には料理人のツテがあるので何もこの会社の命令を聞いて、大阪まで行くことはないのだ…料理そのものをお酒とゆっくり楽しむお店、単価の高い(安くはない)お店に彼は既に導かれている様子だった。
でも彼は、それでも先ず大阪に行くのだ、それは何故か?
きっと「やったことのない事」や「難しい事」あるいは「憤りや醜さを感じること」そのものに彼は価値を見いだしているからだろう。

 

政治について話したときに、彼は「あやさんは世の中の何に対して憤りを感じる?憤りを感じることにこそ、これからの事が懸かってるんだよ、意義がね」と言った、それはきっと彼自身の仕事に根ざした無意識の言葉なのだろう。
写真で見た駅の中の新店舗は、さながらこれからさばく魚を泳がせる小さな水槽のようであった、魚たちは己の磔刑を解っているのだろうか。
エスの苦しんだゲッセマネの園が、彼の2ヶ月間の行き先なのであった。

 

本を読みながら語り合った後、新幹線のプラットホームに行くその前に、小腹を満たすために私と鶴の人はまさに、引き寄せられるように東京駅構内を歩き回ってから「駅の中のさっと飲食出来るお店」に入った。
入るなり店のルールがわからずに苦戦したその小さな飲食店の床には「初見の客には意味不明」の矢印が記され、これまた「初見の客には理解不能」の立て札があった、全体的にごたついている、飯を食べるというよりも捌き捌かれる場所であった。
今度からはこういう店で働くんだね
二人して頷き合い、急かされるように会計し、急かされるように食べ、そして私は言った「鶴ちゃん、今私この場所で何を食べても何の味もしないよ…不味くはないの、案外美味しいのだけれど」、突き詰めるとカロリーメイトでもよい、駅の中の食堂というものは概してそういうものだ。
鶴の人は頭を抱えて苦笑していた、相変わらず目はきらきらしていて、実に快活に言った。

 

うん、無理だね!

 

だが私も鶴の人も笑顔だった、凄く楽しい気分ですらあった、それでもやるしかないという自覚めいたものが芽生えたからだった、おそらく二人同時に腹を括ったからだった。
誰かに嫌われたら…そして実際に嫌われた過去、お金がなくなったら…そして実際に苦しんだ過去、身体が痛いから…鶴の人が遠くへいってしまったら…。
鶴の人が遠くへ行くから、近場で話せる誰かにまた恋をするのだろうか?
だとしたらそれは随分と消極的な恋だ。
例えば洋裁を習う時にだれかに嫌われたら逃げるのだろうか?
それは随分と消極的な熱意だ、元来誰に好かれても嫌われても、やることはやるしかないのだ。
傍目には無茶な課題があったとしても、鶴の人にとって根源的に挑戦したい物事…それがたとえ嫌悪感すら覚える物事であっても、それでもやるという決断がそこに在るのなら、そのはたらきをしに行く他無いのだ。
それならば私も鶴の人を待つほかないのだ、これは私の課題でもあるのだ、消極性を超える課題でもあるのだ、鶴の人を待ちながら、洋裁をやらねばならないのだ。

 

私と彼が本当に待っていて欲しいと望んでいるのであればやることは一つ、話すこと。
概念を共有した状態で話すこと。

『話す相手』…話し相手とは少しニュアンスが異なるのだが、自分から話す、その相手…それが鶴の人と私との関係を一番よく表わしている。
話しをするのは本当はセックスよりも深いことなのだ、これをしなくなったらすぐに気晴らしが欲しくなってしまう、ただのセックス相手に成り下がってしまう。
先日までは二ヶ月後に互いに達成していようと誓っていたが…達成か未達かはどうだっていいのだ、二ヶ月後に成長しているかどうかを測定など出来ない、格好つけている場合ではないのだ。
短期的な恋の輪廻を私も、鶴の人も、もう若くもないのでいい加減抜けた方が良い、新しい出会いや恋は日常を塗り替えてくれる格好のスパイスだが、それに快楽の基準がある以上、その快楽から先を見ることは出来ない、死ぬまで課題に辿り着けないなんてもう懲り懲りだ。
私に問題があるとすれば消極的であること…自分の導きに対して、自分の人生に対して消極的だったのだ、苦しいからやらない、それは整合性がとれているけれど命が無い。
苦しいから待てない、苦しいから次の恋なんて言っていられないのだ、未来が懸かっているのだから。

 

忘れちゃ駄目だからね!
と私はプラットホームで小さく叫んだ、私を忘れちゃ駄目だからね!
鶴の人の夢や軸を信じて共有して忘れずに居る私を、忘れちゃ駄目だからね!
忘れる事なかれ!忘れる事なかれ!創作の神を忘れる事なかれ!
もし私を忘れたりなんかしたら料理人が調理されたというニュースで持ちきりになるでしょうよ。
Forget me not!Forget me not!Forget me not!
ゲッセマネの園ならば英語かしらと思って思わず心に浮かんだ言葉を言ったけれど、本当に言いたいのは電話してってこと。

 

鶴の人のくれた手紙には「あやさんと居ると何かが起る予感がします」と書かれていた。
終末予言かよ…と苦笑したが、もし私の下す終末があるならばそれは創造だよ。
だって私はあなたを、あなたの未来を、これほどまでに愛おしいと思っているのだから。