政見放送と私

 

涼しいのは幸いだ、私は汗まみれになって手を動かしている、手と言うよりも腕と手の先だ、手先ばかり動かしていると腱鞘炎になる。
今まで、人間が進化の過程で間違えたのは食道と気管とを分ける働きを喉頭蓋にのみに頼っていることだけだ、と思っていたのだがそれだけではない、手の甲に筋力をつけられないこと…これが人間という生物を未成熟なままにしている。
もし人間という種族が手の甲の筋の上にも隆々と筋力をつけることが出来ていたのであれば、人間はおそらく永久不滅の種族だっただろう、私が今欲しているのは手の甲の筋力だ、人類がこのまま食道と気管との隔たりを喉頭蓋にのみ任せ、手の甲を未発達にさせているのであればまさにこの弱点によって生命ピラミッドの頂点からいずれ転がり落ちる日が来るだろう。

 

よって私の欲している手の甲の筋力は人類の望みでもあるのだ!というゴタクはともかく、作業を推し進めなければならない、そこには愛の作業も含まれる。

 

本のフィルムかけという作業の効率を上げるためには手の甲を守り、尚且つ本の構造を知っている事が重要だ、人間の弱点が手の甲ならば、本の弱点は「角」である、逆に表紙や裏表紙は「多少のことではへこたれない」強い部分である。
私は今100冊の本をいかに素早くフィルムかけ出来るかに命の何割かを使っている、本の表紙を裏返し、なるべく手の甲に無駄な労力をかけないようにして「落とす」、そうやって本を表裏に「落とす」たびに暴力的な音が鳴り響いている、ここは部屋の中というよりも競技場のようだ。
本のフィルムかけ世界選手権、なるものが開かれたら全国で何位目になるだろうか、ああ今、今の私ならひょっとすると世界最速なのではなかろうか?
フィルムかけは水泳に似ている、手の先や腕全体を回すように滑らかに行うと意外なほど速く仕上がる、でもこの速さは水の中のように身体に纏わり付くような圧力を放っていて、この圧力から開放される位に動作を速めるのであれば、よもや三次元を超えなければならない。

 

それもこれも全て愛のためであった、愛の証のためであった、愛の証を行うための時間を作るための、素早いフィルムかけの作業が必要だった。
内職担当者に事情を説明してその日のうちに引き取りに来て貰う、仕方ないことだよ、火曜日は私は本来居ないのだし、予定も伝えていたのだから。
全てを秘密裏に進めるためには努力と犠牲がつきものだ、犠牲というのは担当者が私の予定を完全に忘却していたことと、その日に引き取りを行うための時間を敢て割く羽目になったということ、努力とは、一針一針縫うこと。
努力とはなにもフィルムかけ100冊を3時間半で済ませることではない、努力とは、心の伴う作業なのだ、ただの水泳大会とは違う。

 

はさみとフィルムかけ定規だけが私の仕事道具だが、はさみが滅法切りにくい、はさみは「ボンドコート加工」なるものを数本持っているがそれでもフィルムのりがペタペタとくっついて私の静寂を乱す。
思わず舌打ちしたくなる、駄目だ、かわいいマナーの本には一切の悪態は醜であるとあれほど書かれているのに!
そういうことはよくないよ?☆
とかわいいマナーの本に出てくる少女に語りかけられる、そうだよね、私、間違ってたよ!と私たちは手を取り合い言う、「素敵な女性になろうね♪☆」、ここでふと我に返り汗まみれの自分を客観視してしばし心の中で無言になる。
そういうことじゃないんだ、何も煌びやかにしていろってことじゃあないんだ、汗まみれで部屋着で本のフィルムを鬼気迫る勢いでかけている、そのことはマナーに反していない、マナー違反は舌打ちについてだ。
舌打ちというよりもああもう!というような悲鳴みたいなもの、これがマナーがよくないということ。

 

「かわいいマナーの本」と私が呼ぶその本はいわゆる「女の子向けマナー」本である。
ついうっかり買ってしまった、睡眠時の夢では男になって野山で立ちションをしている場合が多いので折角だからかわいいものを現実で買おうという心理が働いたのも事実。
キラキラした児童向け少女漫画の挿絵が私の情熱を刺激した、これを全部ぶっ壊してやりたいというような意味不明の感情の渦も湧いたが何とか冷静に読んでいる。
ちなみにそのマナー本を知ったのは本のフィルムかけでだ、内職用の積み荷として知る本が最近多い、そして自分で購入した本をフィルムコートしたい欲求に苛まれる…というのも既に図書館員時代に買った本のフィルムが切れてしまったからだ。
まるでパチンコで勝った金額をそっくりそのままパチンコにつぎ込んでいるかのような「本+フィルム」への散財、本のフィルムかけで稼いだお金をそのまま本とフィルムコートにかけてしまう、パチンコ輪廻そのものに今私はハマっている、これが地獄というものだろうか?あるいは浄土への道なのか?


ちなみに私がそのマナー本を購入したのには訳がある、①政見放送を見たということと、②これから教室に通うにあたって(私にとって)多くの「人様」及び「女性たち」に接する事になるので、そのことへの不安を軽減すべく買ったのだ。

 

後者はともかく政見放送とマナーの何が合致するのかと思われるかも知れないが…結局、人間、「振る舞いが全て」なのだと何故か思い知らされたからだ、ちなみに私は政見放送というものを恥ずかしながら生まれて初めてちゃんと見たが今回のものは結構唖然とした。
政見放送での自己アピールって麻原がその原型で、又吉イエスとか愛すべきキャラクターなども登場してきたように思うが…この流れが「公式」と化してきているような印象を受けた。
あまりに文化祭じみている、というのが政見放送への印象だったのだが、確かに目先だけ良いことを言われてもマニフェストをはなから実行する気も無いボンボンばかりに政治家をやらせていても無意味だろうし、服装が「敢て」変な人であっても、その印象の強さと知恵のある人間というのは案外一言喋っただけで伝わるものである。
一見変なことをしていても、変な服装でも振る舞いが一貫していると言葉選びも自然に「その人たるもの」が生じ、見ている側も安心する。
そのような人の何を信頼しているのかというと、喋っている内容に筋が通っている事は当たり前だが「振る舞い」が「大人」であるということ。
政見放送という場面に於いて、喜劇的な要素はふんだんに盛り込んでいても、根源的に「他人を不快にさせない」という部分、マナーが出来ている人が多数居たことが、私の「人間に対面するにあたっての迷い」という部分を刺激した。

 

そんな風に政治的認識とは無関係な個人的趣味の領域で政見放送を見ていた私であったが、もし自分が政見放送に出るとしたらどんな風だろうかと想像し、狼狽した。
今の私では、俯きがちにごにょごにょ喋ってしまいそうだし、鼻が垂れるのでついうっかり鼻先ばかりを触ってしまいそうだし、何故か腕の肉をつまんでばかりいたりするので鬱陶しいだろう、鼻炎のために口を開けてしまいがちなのもマイナスポイントだ。
だから良いことを言っても響かない可能性が高い、相互的に語り合う場合はともかく、根本的に「広く浅く」話を聴いたり話をしたりということへの私の集中力は驚くべき低さで、「誰かが教えてくれている等という一方的な情報交流の場合は特に」気付くと脱魂状態のようになっている事もある、これではただの阿呆である。
良い点としては笑顔になりやすいということ、でも笑いすぎている女というのは傍目にはだらしない印象を受ける、自分で言うのもなんだが性にだらしなさそうな印象だ、しかももう中年である、微笑むという筋力をつけるべきなのである。
総合的に言うと私よりも故・又吉イエス氏の方が「マナーとして」は客観視に耐えうる人材であるという揺るぎない結果が浮かび上がってきた。
でもって人間の好き嫌い、好感や嫌悪感というものの根源は「マナーの実践」にほとんどかかっていると言っても過言ではない。
直接喋る人とは大抵の誤解は乗り越えられると信じているのだが、間接的に同性に嫌われる事がある、それは元を辿れば私の振る舞いの未熟さが原因なのかも知れない。

 

私も悪かったのよ…とマナー本に語りかけても仕方が無い、ピンク色の表紙が麗しいその本は少女向けであるが、内容は充実していたし何より可愛い、夢の中での自分の行為…野山での野郎の立ちションとは対極の力を宿している。
これから(たぶん)可愛いもの(?)を作るのだから、作り手が性根の悪そうな、頭の弱そうな、育ちの悪そうな女だったらやっぱり作品の品質も落ちる気がする。
教室の方々に対してもそうだし、習うという作業には確実に対面の要素がある。
販売するという段階に於いてもそうだ、人間が肉体を纏っている限り、自分の振る舞いを自負出来るということはそのまま、正の原動力となる。

 

私は人形の服を作りたい、洋裁の基礎の教室にも行かねばならない、と再三言っているが給料が振り込まれてからの話である上、先ずはマナーからという思考回路である。
そのマナー本を買うためのフィルムかけの怒濤の作業、マナーなんて何のその、本を滑らせている音はスパンキングでもしてるんじゃないかという音だ、角さえ守られていれば本は傷まない。
それよりも手の甲を守らねばならない、手の甲には加重をかけてはならない、だって愛の作業が進まないから。
そういえば鶴の人ってマナー良いよなあ、鼻炎等の患いが無いせいか食べ方もちゃんと口を閉じているし、女に対する奢り方もスマート、だてにナンパが趣味だった男ではない…そういえば男の子向けのマナー本ってあんまり見たことが無い…私が男だったら終末に野山に出かけて立ちションやオナニーをするのが一番の気分転換だろうから、当然と言えば当然、故・又吉イエス氏よりも人前でのマナーがやはり、なってなかっただろう、女にもモテなかっただろう。
食べ物も、基本的にめんどくさがりで酒も飲まないので牛丼一択だろう、そして思い出したように攻殻機動隊を観て…本質的には男であっても女であっても私は私でしかないのだ。

 

残念な私でしかないのだ、なんとかこの残念さを学習して補っておきたい気持ちが強い。

 

客観視したときにそこはかとなく残念な私を、精神の土台から支えてくれている鶴の人がもう、すぐに居なくなる、別に最果ての地に流刑になるわけではないのだが不安である。
不安と平静の間を行ったり来たりしている、鶴の人が居ない限りセックス出来ないので、そりゃあしたければすればいいんだが、する気は無いので操立てして待っている、何が不安って…セックスする相手が居なくなることが不安である、二ヶ月で戻ってくるという話を彼は社長につけたらしいが…新規開店の場所から二ヶ月足らずで戻ってこれるものなのだろうか?
その間だらしない笑顔と真顔との両極を行ったり来たりしながら、ついうっかりフラフラしてしまわないだろうか?
そうならないために、秘めたる愛の証の作業を推し進めている、その作業故に私は、人生であまり口にしてこなかった台詞を吐いている。
…忙しい…私は今、汗まみれになって手を動かしている。