散文の自画像 

創作魂を持つ大熊という人間が、散文で日々の自画像を綴る文章ブログです。

靄のドレス(散文)


靄がかかっている、この靄はずっとずっと私と共にある、心地よい足枷。
私ね、本当はもうこの靄から逃れたいの、でも駄目、私一人では靄無しには生きられない、靄は最高のドレスよ。
だってこのドレスは何も出来ずに居るという「非行為」を表すの、それこそが実は正義であって…誰も傷つけないしお金もかからない、誰の負担にもならない。
ね、何も出来ないってことは本当は良いことなの、本当は美しいことなの。

 

毎日何か作りたいと思って布を見ているのだけれど、そんなことを「趣味として」やった場合とんでもない値段になるのね。
毎日何か作りたいと思って型紙を見ているのだけれど…まるで歯が立たないのよ、野生動物が型紙を見ている位に意味不明なのよ、独学で出来る事と出来ない事があるわ。

 

それで今度は教室を探しているの、洋裁の教室。
私は目眩を覚え、机に突っ伏したの、私はやりたいことがある、それをやって小金を稼ぎたかったのよ、でもそれをするには途方もなく長い道のりがあるって事。
知っていたけれど、ちょっと目眩がしたのよ、あまりにも生地を見過ぎたせいかしら。
だって私の欲しい生地はどれも、ちっとも安くなんかなかったの、生地代とそれにかける時間と技術が揃ったとして、それを販売して儲けを出すというのはどうして途方もない事なのかしら?

 

やあね、泣いてなんかないわ、浪費家だって自分で最近自覚しただけよ、お買い物が好きって訳でもないの、やりたいことがあって買うべき物の単価が高いのよ、家とか、ミシンとかね。
…っていうのは何の言い訳にもならないから、やっぱり私は浪費家だって言うしかないわね。
「余計なものを作らないでちょうだい」ってよく両親に言われていたのよ、久々にニュースサイトを見たらやっぱり死ぬまでのお金は貯めるべきなのよね。
…でも死ぬまで何もせずに過ごすのが本当に良いことなのかしら?
物理的に物を生み出すっていうのはお金がかかるものよ…損得でいったらそれが特になる事ってあまり無いのではないかしら?
お父さんお母さんの言うことは的を得ていたのよ、あの人たちが数字の波を行き交う間に私は…型紙を睨んだり生地の値段を悔しげに見つめながら、理想の人形のことだけを考えるのだから。
それでも日々の内職に助けられているのよ、手先を動かせる喜びって凄いことなの、私が内職に感謝していると誰に知らせれば良いのかしら?
三次元に出現した物体を少しずつ美しくする手助け、それが内職という働きなのよ、だから手先は鈍らずに済む…理想の人形を夢想する身には丁度良い仕事ってわけ。

 

それでも色んな事が足りないような気がして、何かをやる前に立ち止まってしまうの…この癖は何処から来るのかしら?
この靄は何処から?
私は何が不自由だと思っているの?
私は何を隠したいと思っているの?
私は欠点を隠したいのかしら?

 

それで私は自分の欠点を思い浮かべてみたの、脚以外のね、それが私の脚を文字通り引っ張っているのではないのかもしれないって思ったから。

 

センシティブな話、私の発音って他人からすると聴き取りにくいのよね。
基本的に慢性鼻炎だから鼻と喉の奥の弁がうまく作動していない気がするの、今なんて言ったの?って素直に言われる分には構わないのだけれど、それでも申し訳なくなるの。
滑舌という以前に、自分で何を言いたいのか解らないときに発する音というのが私にはあるのよ、意識か無意識かで言ったら無意識ね…これってだいぶ子供じみているわ。
それを言葉と何語と動物の発声のちょうど真ん中くらいの感覚で発してしまうの。
声にはいくつかの使い方がある…それはやっぱり一人きりでは学べないもので、私も散々注意されてきたのよ、それで今度は注意されるの嫌さに、怒鳴られるの嫌さに慢性鼻炎も手伝ってモゴモゴ喋るような癖がついてしまったというわけ。
恥ずかしいわね。
会話、というのはその時その瞬間にどれだけ意図を通じ合わせられるかが鍵なのよ、意図というのはまさに糸なの、見えない綺麗な糸。
語り、というのは一人で紡ぐ服みたいな物なの、その服全体を通して相手を見つめるものなのよ…私は語りが好きなの、聞くのも語るのも好きよ、でも会話が下手なの。
何を言っているのか私の発音の一切を聞き取れない人もたまに居るくらい。
鶴の人…あの人は男にしては耳が良いのよ、姉が居るせいかしら?
姉が居ると耳まで良くなるのかしら?
それとも私が怒鳴られ過ぎたのかしら、今でも怖いのよ笑いたければ笑うと良いわ、おどおどしている私は、さぞみっともないでしょうよ。

 

物が言いにくいのは物の名称を覚えていないからっていう要因もあるわね。
何で皆あんなに沢山の名称を覚えられるのかしら?
私はその名称を知ってか知らずか適当に言ってしまうのね、もっとちゃんと覚えなさい、ここ、とかあれ、ではなくてそこは「天」と「地」よ。
そして「背」、「見返し」…でもそれって結局一冊の本を表わしているのよ。
ねえ私、物事を習ってちゃんと学習出来た経験がないのよ、型紙や布の名称を覚えられるかしら。
教室の講師にちゃんと物を伝えられるのかしら。
私の根源的なハンディキャップというのは…話すことなのかしら、人と対面して会話することなのかしら。
それってとっても、本当は楽しい事のはずなのに、私には難しい。

 

滑舌を馬鹿にされたこともあるし、避けられたこともあるし、そうやってどんどん内に籠もる毎に父親には怒鳴られてきたのよ。
じゃあ壊滅的に、漫画の描写みたいに口下手で内気なのかっていうとそうでもないんだけど…私を訝しがる人は10人のうち2~3人は居るのではないかしら。
で、私はその2~3人に心で言うのよ、「気にさせてしまってごめんね」って言うのよ、そして夜に眠るときに酷く落ち込むの、私が悩むのは仕事そのものというよりもこういう物事だった。
その割に私自身の性格もキツいから…ちっとも優しく出来なかったの、この前の仕事に就くまでは。


働きっていうものを根源的に捉えるのならば、その場所全体が嬉しく回っていなければ意味がないっていう地点に去年、辿り着いたのよ。
私からはちょうど皆の心の中が見えたのよね、見えた、等とは言わないわよ勿論…でも皆が何を求めているのかが私にはわかったから、それを差し出したのよ。
言って欲しい事を私は言ったの、本音でね。
…だから脚がギブアップしたのだと思うの、働きというものを理解したから痛みが強く出たのだと思うの。
だって何処へ行っても私は、職場で働くという場合にはどうすればいいかを、もうわかったから。
辛い苦い思い出は自分の至らなさと理不尽、楽しい思い出は皆の歯車が回ること。

 

皆の歯車が回ることこそが働きなのだわ、喜びなのだわ。

 

過去の事をあれこれ言ってきたけれど、朝目が覚めると私は強く思うの、「私って誰?」って。
そうなの、これって結局…幻なのではないかって。
そう、過去は幻なのではないかって。
悩みって幻なのではないかって。

 

だから朝一番に強く祈ることにしているの、祈るというのはお願い事でもあるのよ、働きをさせてくださいって祈るの。
その為にミシンが必要です、その為に教室に通うことが必要です、その為に穏和に過ごす事が必要です、話すことが必要です、誤解を解いて下さいって祈るの。
祈りを捧げているのよ…誰に?マリア様に?
厳密に言うと…数多の悩める魂に祈りというエネルギーを使って下さい、マリア様がこのエネルギーをうまく使って魂を助けて下さいますようにって祈るの。
マリア様が私の祈りのたった1本の糸をすくい上げ、他の数多の糸と絡めながら美しい織物を作って下さるのよ。
世界はギブアンドテイクなのよ、苦しみと喜びのどれでもいい、感謝の祈りでもいい、何でも良いけれど捧げたほうがうまく通じるのよ。
ほらね、ミシンは現に届くのだし、願いは叶うのだわ、そしてさらに祈るのよ、私の道筋が誰かの助けになりますようにって。
このときに見ているものは未来なの、このときに見ているものは願いなの。
朝起きたら感じるのは…本当は未来だけなの、過去は今の地点からは見えないのよ、もし過去を変えたいのならば、祈りの中で見えた風景を生きるしかないのよ。

 

私はほんとうに私なのかしら?
今日の私は随分弱気なの、まだ、お金を使うことと使わずに居る事の均整が取れていないのよ。
次の課題はこれなのかしらね。
毎日作りたいということが案外難しいって知って、右往左往しているのよ明日、ミシンが届くっていうのに…明日結婚式だというのに心が晴れない花嫁みたいな気持ちで居るの。

 

さっきさくらんぼを受け取りに外へ出たら、雨で其処此処が洗われていたの、夜風が優しく木々を乾かしていたわ、家の門灯がぼんやりと光っていてまるで…どの家もミニチュアのドールハウスみたいだった。
これは全部夢のような気がしたの、手でこの家ごと持ち上げて、もっと大事な場所へ隠したいと思ったわ。
もっと大事な場所って一体何処?
そんな場所この世にあるの?
いいえ、この世にはないの、人形や数多の作品が生まれるその前に居る、あの地点にしまい込みたいと思ったのよ。
イデアの世界に。
美の根幹の世界に、本当の世界に、しまい込んで永久に温存したいと思ったのよ。
でもイデアの世界には時間が存在していないから、永久に、なんていう言葉は何の意味も成さない。
一瞬も永久もないのだから…だからこの世に、作品たちは来たがるのかしら?

 

私はね、創作をする性質を帯びた人間というのはイデアの世界と繋がっていると思うのよ。
イデアの世界とこの世のパイプ、それが創作家というものではないかしら。
だから作品の為に何だってするのよ彼等は、根源の美が「来たがっている」のを察知していながらにそれを無視することがどれほど辛いか解っているから。
それがどんなに「無駄な行為」だと言われてもやめられないのよ、どんなにお金がかかってもやめられないのよ…この世の基準で言うと創作すればするほど浪費家なのだわ。
それを咎められたりもするの、自分で咎めたりもするの、でも大人しくなんてしていられないのよ…命に関わるのだから。
それが働きというもので…ああ誰か、こういう事を、無駄ではないって言って下さいな。
舞台の影から客席は見えない、無駄ではないと、言ってください、お父さんお母さん、浪費している等と言って私を責めないでくださいな。
無駄を悪と考えるのならば、創作は悪です。
全ての物事は突き進めば両方の性質を帯びるのです、あの子の手をとって月まで行きましょう、月の船が私たちを乗せてくれます。
そして朝、目が覚めたときに肉体に戻り、私は問うのよ、私は誰?
月の世界だけを私は覚えていて祈るの、あの世界を具現化させて下さい、そのような働きを私にさせて下さいって、罪悪感に駆られるその前に祈るの。

 

そして自分の至らなさや、悪事を働いているのではないかという意識や、直視し難い欠点に脚をすくわれないように、靄を纏うの。
靄は最高のドレスよ、どんな布だって敵わない優しい肌触り。
心地よい足枷。

 

どうかこの足枷を外して下さい、ロザリオの一粒一粒に宿るイデアの世界を私に触れさせて下さい。
あの人にそれを伝えておきたいのです、私は歩きます、と。