散文の自画像 

創作魂を持つ大熊という人間が、散文で日々の自画像を綴る文章ブログです。

一人一人の稼働率を上げるには実在と本音が必要です。


聖母様、私の見たあらゆる模様や妙なる人形たちは既に居るのでしょうか?
あの人形たちや人形ドレスの地点まで、私はそれを認識した瞬間にはそこまで泳ぎ着いているのでしょうか?
今岸辺から、私は遠くを見ています、暗い暗い海の中を発光しながら泳いでいます。
ミシンを買いに行って、数多の洋裁道具を揃えて、裁縫箱を見繕って…物を買う毎に私は勇気を試されています。
そのままで居る事なんてちっとも美徳ではないのです。
私は本当の事を話して、本当の事をやりたいのです、私にはそこまで体力がありませんのでムッシュのように毎時間を作品にする事は出来ません。
毎日を作品にすることは私には出来ません。
その代わり何日もかけて一つの作品を作ります…ロザリオの一粒にイエスキリストの時空間が込められているように、私の作品というものは実際の時間ではないのです。
私は今、手を繋いでいるあの人や、今暮らしているこの人や、憧れている彼の人や、実技を教えて貰う人々に支えられています。
彼等と私の糸がもつれたのならば天に引き上げ、もつれを解いて下さい、私を呪う人の糸をどうか解きほぐして下さい。
そして美しい縫い目になるように取り次いで下さい、聖なる御母、私の観ているものはとても美しいのです。
嘘みたいに美しいのです、だからこれを本当にする力を、私に下さい。
私に努力をさせて下さい。

 

全ての現象は繋がっている、よって全ての現象をはじめから繋げてしまった方が、あらゆる面に於いての稼働率が格段に上がる、それには先ず実在と本音が必要だ。

 

鶴の人と話していていつももどかしかった、どんなにその話の「地点」で未来を考えることが出来、尚且つそれを現実の事として二人で話していても、時間が過ぎて離れてしまえば…それを証明する手立てが何も無いから。
鶴の人の世界に私は居なかったから。
鶴の人が倒れたら、私は関与出来ない、鶴の人に何かあっても、私は知ることが出来ない、鶴の人の世界には私は「まだ実在していない」。
私には彼の事象を知る手立ても無いし、彼自身がそれを良しとしている風でもあった…そりゃあそうだ、元々は私たちは不義の仲でしかないのだから、彼が自分の世界に私を関わらせないのは当然だった。
どんなに絵の話をしても私が彼の毎日を知る事は無いのだと思っていた、それを実感する度に、彼を必要だと思う度に私は彼が憎らしくもなった。

「私をあなたの世界に実在させて下さい」
それが私の、鶴の人に対する願いだ。

 

「自分の本当に好きな事をやって行く中で生じる人間関係に於いて、あきらめず、その人と信頼関係を築ける事を信じて、素直に、相手と向き合う」

 

この文章を鶴の人が私宛に書いたとき、同時に「私と自分との関係」をも書いてくれた。
それは太い線で結ばれた「人と葉っぱ」だった、どうやら鶴の人にとって私は「一枚の葉っぱ」らしい。
その上にlife、「生きる」と彼は書いた、「あやさんとの関係は生きる軸だよ」と鶴の人は微笑んだ。
私はこの紙を見て、鶴の人が次の瞬間全てを断ったら去って行く覚悟を決めながら彼に告げた。

 

「元奥さんや、大事な人の連絡先を私に教えて欲しい」

 

実際鶴の人と会うのはリスクだ、今までも思っていたのだが「鶴の人に何かあっても私は誰にも連絡して知らせる事が出来ない」から。
彼の息子の神無月くんにも知らせる為には元奥さんの連絡先が必要だった。
仮に鶴の人に何かあっても、もしかしたら元奥さんは私なんかからの連絡には応じない可能性もある、「人を騙している悪い人間の言うことは聞きたくありませんので」等と彼女なら言いかねない。
彼女は正しい人間で、潔白で…鶴の人を愛しているのだから。
だから許せずに居るのだ、好きだからこそ鶴の人をもう、嫌いで、まだ好きだから許せないのだ。
だがそれでも連絡はしたほうがいい。
だって、人の命には、善悪など無いのだから。
私はこの点で彼の生命の責任を取れずにいるのが非常にもどかしかったし、そんな必要無いと彼に言われるのが嫌で伝えられずに居たのだ、「私を実在させてほしい、あなたの命の責任をとらせて欲しい」と言えずに居たのだ。

 

「そして、私の知らない場所であなたに何かあった場合…職場とかで何かあった場合、私にそれを知らせる人が必要なの、だから私の連絡先も誰かに教えておいてほしい」

 

ムッシュ…という人の話を鶴の人からよく聞く、ムッシュというのは聴く限り、性別を超えた私のライバルである。
ムッシュって何者?
と思いながら鶴の人の話に耳を傾けると、どうやら彼の職場にすごく「仲が良いというレベルを超えた」人が来たらしい、男同士の意気投合というか…職場が実際に明るくなるにつれ、売り上げも伸びている。
そのエネルギーの発端となっているような人物がムッシュという男性なのだ。
話を聴くにつれ、「単なる職場の仲良しってよりかは親友みたいな感じだ」ということを私は感じた、鶴の人とムッシュに私はどこか嫉妬した。
もし私たちが皆小学生だったら私はムッシュともぶつかりつつ、鶴の人繋がりで仲良くするような感じだろうと思う。
そして思ったのだ、「ムッシュになら、鶴の人に万一のことがあったときに私に連絡してほしいと、頼めるかもしれない」…でもどうやって頼もう?
第一まずこれを鶴の人に説明せねばならない。

 

「彼女」
という言葉を男の感覚に直訳すると、非情ながら、その意味するところはただの「女体」である。
だから鶴の人が「俺の彼女がさ~、俺に万一のことがあったときに連絡ほしいみたいなんだよね、ムッシュが適任なんだよ」…という言葉を放ったとしたら…ムッシュにしてみれば「一大事の時に女体に逐一連絡」というただのサービス労働要求になってしまう。
見ず知らずの女体に緊急サービスを頼まれているという感覚になると思う。
私はムッシュと仲良しごっこをしたいのではない。(勿論話を聴く限り楽しそうな人物ではあるが…そういうこととこれとはまた話が別だ。)
私は見ず知らずのムッシュにサービス労働を頼みたいわけではない。
ムッシュと私の共通点があるとすれば…鶴の人が大事だということ。
だからムッシュが鶴の人をすごく気に入ることも、私には嬉しい事であって…そのうれしさを共有したいのだ。

 

私と鶴の人が二人の世界に終始していたらやっぱりそれは、稼働率が下がるのだ。
どんな話をしてもそれは二人の世界の話であって、それ以外の場所で効力を発するには自分自身の力だけを頼りにすることになる。
勿論、それは正論のように見えるだろうが…
本当は、世界はそれぞれに圧がかかることによって爆発を起こす。
それぞれに圧がかかるというのはそれぞれに「認識」が生じるということ。
だからムッシュにとっても私が「実在」するとわかれば、私の頑張りすら、彼の稼働率の一端になり得ると私は思う。
一人きりで出来る事には限界がある、それぞれの頑張りを認識し合っていた方がより稼働率が上がり、仕事も上手くいく。

 

「私を実在させてほしい、鶴ちゃん、いろいろ話したことも含め、あなたの命の責任を負わせて欲しい」

 

大阪に行っても浮気しちゃ嫌だからね、私はあなたの観た「地点」も、私自身の稼働率に関わってくると思っているのだから。
鶴の人は自分のあらゆる面を隠しがちだけれど、それは結局鶴の人自身の夢に対する稼働率を下げている。
命の責任を負えない人を好きというのも、せっかくの信頼関係が水の泡になってしまう。
お店の稼働率と、その稼働率の原動力と、私は、繋がっているよ。
私も、M氏の仕事も、今日支払いをしてきたミシンの聖なるモーターも、鶴の人がいつか乗るバイクも、繋がっているよ。
ムッシュムッシュの好きなスイスの空気も、私の友人の発する一つ一つの演目の台詞も、彼の恋人の覗く顕微鏡の向こう側も全て、繋がっている。
だから本音で話した方がいい、「仕事」と「女」と「自分の夢」は分けては駄目、分けてしまうとそれぞれにエンジンが必要になる。
結果的にエンジンが小さくなってしまう…だって人間は、有限だから。
生きてるって事は有限だから。

 

だからエンジンは大きなものを一つきりがちょうどいい、それで全ての稼働率を上げられるから…だから人とは本音で話した方が良いし、互いの存在を実在のものであると認識していたほうがいい、その方が夢が叶いやすい。

 

私はあなたの後ろ姿だけを観ている、好きだからそれが憎い、だから今改めて言うよ、「私を実在させてほしい、愛しています、あなたが必要です」、あなたの夢も私に必要です。
鶴の人は笑っていた、今年に入ってから本当にお互いに深く語り合うようになった。
前回会った時にノートをとりながら話した、落書きが半分だけれど実に楽しかったし話したことの記録にもなった、これからは逢うときにノートをとろうと決めた。
これを男目線の言葉で「彼女と会ったときに落書きしながら話した」というとそれはただの女体遊びにしか映らない…女を対等の人間だと認識する男は本当に少ない。
鶴の人には姉が居るからだろうか?
鶴の人は私を「人間」扱いしてくれる、語り合うときに対等に観てくれる、私の出来ない事を「出来るよ」と言う、決して出来ないとか、大丈夫かなというような素振りは見せない。

 

私の事は何て言う?
彼女、以外の言葉で何て表したら良い?
「身内、だね」
と笑った彼の顔は実に快活な様子だった、「長く一緒に居たかどうかは関係無いんだよ、どこまで深く話せるかどうかだよ」、私は夜の街を、鶴の人と並んで歩いて駅まで行く。
あれ?江東区って…こんなに綺麗だったっけ?

 

呪いはある。
恨みも、実在する。
だが本当に実在するのは「見えるもの」だけ。
見えたもの、だけ。
素晴らしいものだけ、ほんとうはただそれだけ。

 

私は鶴の人に対していつも、憎らしさを越えて自己開示する事を念頭に接してきた。
先に自己開示することを鶴の人で実践してきたようにも思う私は今まで、誰に対しても私は一手遅れて身を守ってきた。
その実それは防御というよりも、ただの重りだったのだけれど。
私は2本持っていたロザリオのうち1本を彼に手渡した、「これは御守りで、あなたの身を絶え間なく守ってくれる」、彼はそれを受け取ってしげしげと眺め、すぐさま壁に掛けた。
「大阪へ持っていって」
彼が居なくなる事で、私も、彼の周囲の人も彼が「その場に実在した事の痕跡」を、彼が漫然と実在していた頃よりも強く感じるだろう。
果てしない苦行のような出張だけれど、善い事なのかも知れない。
互いが「真に実在」するためには、必要な道筋なのかも知れない。

 

聖母様、どうか鶴の人を御守り下さい、自己開示することと稼働率の関係を私にもっと信じさせてください。
私は実在したいのです。
素晴らしいものを、実在させたいのです。

 

素晴らしい世界を実在させたいのです。