散文の自画像 

創作魂を持つ大熊という人間が、散文で日々の自画像を綴る文章ブログです。

私たちの神様

 

私は話すのが下手だ。
思っていることの99%を心の何処かで処理しながら、会話ではひたすら同じ言葉を繰り返してしまう。
鶴ちゃん、鶴ちゃん、愛してる!というのは最早ギャグで、身体に坂本龍馬って彫ろうとした君もやはりお馬鹿さんだし、二人がいざ対面すると大抵鳴き合って時間が過ぎてしまう。
俺はやりたいことをやると言う君は、栄養を出し切るその前はただ、やりたいやりたいと連語していた。
君はやりたいんだね、わかったよ、結局何かをやりたいという状態をそのままに私に伝えてくる、そのやりたいことの真意をなかなか言葉にはしない。
私たちの神様ってさ、作品を捧げることだけを是としているよね。
私たちってさ、作品を通してしか神様を体感出来ないんだよ。
君も話すのが下手だ。

 

私は伝えられているだろうか?
私たちの神様の考える、伝えるということの序列は以下の通り。
①鳴き声や表情→②会話→③手紙的な文章→④文章→⑤論文→⑥聖書とか経文という祈りの「体感的文章」→⑦作品
だからね、私たちの神様はこういってるの、⑦、最終段階である作品を目標にせよ…ってね。
君は違うって言うかも知れない、鳴き声に全てが込められて作品になることもあるとかないとか唐突に語り出すんだ、そう、この語り出すってのは実は会話文ではなくて④の文章に該当する。
スイッチの入った君は唐突に②会話と③手紙形式をすっとばして④を対面して語り出す、私は好きだけどね、自分の主観的真実を唐突に述べる君は楽しそうで、まさに真理を探究しようとしている顔をしている…栄養を出し切ったからかも知れない、そうだよいつもこのタイミングで語り出している、やっぱり君はちょっとお馬鹿さんなのかもしれない。
②会話と③手紙の言葉には感情が込められている、言葉に感情が込められている、君はこの②と③がまるで抜け落ちている時があるんだ、でも私はそれになかなか気付けない。
何故って、私もそうだから。
君は、栄養が身体に溜っている時には大抵①の状態で会話らしい会話にはならないよね、そこが可愛いとこではあるけど…そしてそれが終わると唐突に語り出すんだ、いいんだよそれで。
だけどそれじゃちょっと寂しい時があるんだ、だって私は君の作品を長らく見ていないから。

 

⑦作品さえあれば、私は、君の全てがわかるんだよ全てが、君の見ている毎日の景色も思惟の変化も全てが私に共有され、更新される。

 

君に伝わっているのだろうか?君は私に伝えようとしているのだろうか?君は私に伝えたくないのだろうか?
夕方のレストラン、前住んでいた時には、同じ神様を信じている人とこんな風に食事するだなんて思ってもみなかった。
君が注いでくれた水がガラスの中できらきら光って蠢いている、私もきらきら光っている、君は命だ、君は命なんだ。
ああ、今、窓の向こうの高架橋が夕日に染まって浮き上がっている、天空まで続く橋みたいだ、外国の景色みたいだよ私の、認識を超えている。
君は言う、絵を描けないなんてのは甘えだと思うよ、本音を言わせてもらうなら俺も多少は厳しくなるかもしれないし、芸術ではどこまでも孤独なんだ、創作ってそういうものだよ。
そうだね、孤独だよ何処までも、だって私たち、同じ神様を信じているのだから。
でもね、君に師事されるのはとてもいいと思う、厳しいことを言うってことは、私もそれに対して本気でぶつかれるから。
その前に一ついい?知りたいの私は、君の思想。
君の思惟の全て。
それは作品に表れる、どんな会話、どんな鳴き声、どんなため息、どんな視線、表面上の何もかもを追ったとしたって辿り着けない究極のもの、それが作品なの。
君には君の道のりがある、君には君の仕事もある、でも本気で対峙したいのなら私に君の全てを教えてちょうだい、そしたら叱責も十分に受け止められるの。

 

創作は孤独な作業だけれど、それは知覚が限られているからだと私は思うんだ。
外国へ行きたいと言う時の君は大抵身体が軽くなった後だ、私は君に聞くのが怖かった、君はいつだったか言っていたっけ。
このまま一生会えなくても全て通じ合ったから大丈夫。
…言いたいことは解るの、①~⑦を全部ひっくるめて私に何かを伝えたいってことは。
ねえ、私は君がいなくなったらその間どうすればいい?
昨日君ははじめて私を見たね、「誰ともやっちゃ駄目だよ、その間は我慢するんだ、俺を最後の男にするんだよ」、私はびっくりしたよ。
じゃあ君も堪えるんだよ、離れている最中でも堪えるんだよ?…君は頷く、俺はそういう事はしないよと言う。
売春も駄目だよ?…君の目が泳ぐ、「それも駄目か~…ちょっとやってみたかったな…」という表情になっているが頷いている、やっぱ君は少しお馬鹿さんだ。
君の目は私の目、私の目は君の視界。
君の毎日を私は知らない、君は教えてくれている、でも言葉がだいぶ抜けている、だけどわかるよ、嘘をつきたくないってことは。
そこに君のカルマがあるってことは。
だから言葉はより一層簡潔になる、もう八方美人はやめたんだと君は言う。

 

君を知りたいよ、君の毎日を。
私が文章を書くのは、なるべく純粋に自分が見知ったことを人に伝えたいから。
なるべく純粋に伝えるには④が一番なんだ、事によると⑤や⑥にも該当してくる。
仏教思想とキリスト教思想は融合可能なんだ!
ということを私は発見した、そんなこととっくの昔に誰かが解っているかもしれないけれど私も体感したよと君に話すんだ、けれどそれは④の文章の口調で話してしまう。
対面した君は、さっきまで、鶴ちゃん、鶴ちゃん、愛してる!としか言わなかった私が唐突に図を示して説明しはじめた事に少し驚いて、静かに聞いていたが、栄養が出きって既に寝ている。
あああ、今これが一番、私の伝えられることの中で一番、作品に近い状態のものなんだ、これが一番、私の手持ちの思惟の中でろ過された思想なんだ、いちばん光を帯びているんだ、その光を君に、私はあげたい。
この光を私は誰にでも、開示しておきたい。
経験は何よりも大事だ、だけれどもたった一人の経験の範囲では限界があるんだ。
そのためには先ずこの世界を是と信じなければならない、人を信じなければならない、信用しなければならない。
君はその先に居るんだよもう既に、その場所で私を待っている、君をもっと信頼したい、君の経験を私の経験にさせてくれないか?
共有した状態ならば経験は二倍なんだ、おかしいだろうか?
共有した状態でなければ私は…いつまでも君の非日常でしかないんだ、レッドブルを飲んで勃起力を高めてから逢う相手のうちの一人でしかないんだ、君よ、私は、もっと全てが知りたい。

 

恋なのかと問うても、互いに上手く答えることが出来ないだろう。
鶴ちゃんが本当に最後の男かあ…もし万が一憧れのあの人と交われる可能性があったらどうしようと一瞬のうちに要らぬ心配をした私をどうか、咎めて下さい芸術の神様。
恋かというとそうでもない、だったら一体何なのかというと…夢の中で会った人、みたいな感じだろうか。
何かを作り出すときのわくわくする気持ち。
「私絵も続けるけど、洋裁をやろうかと思って、庭の施工はもう去年でおわっちゃったし、服は高いし自分の着てみたい服を自分で作りたいの」
君は言う、「あやさんには使われていない能力がまだあるような気がするよ、洋裁、いいねえ」、使われていない能力、そりゃあそうだよ鶴ちゃん、この世はとっても小さいから。
この世は、とても平面的だから、私も手を伸ばさないとミシンにも触れられないし、仮に作りたい服のパターンが私の内部に既に在ったとしたって、それを取り出すには試行錯誤しなきゃならない、だから君の事も君が伝えてくれないと、知る事が出来ないんだよ。
夢の中では起承転結が多角的に見えたりするよね?
唐突に鶴になったり鳩になったりするでしょう?
でも現実には瞳はこれだけ、私の瞳だけ、だから君に私の目を共有させてあげる、だから君の見ている景色を私に下さい、君を知りたい。
君の胸の中ではどんな世界が繰り広げられているの。

 

君は語っている、君の注いでくれた水は私が少し飲んでしまって減っている、全てを信じられる人は君だと、君は語っている、高校の時に聞いていた洋楽が店内に流れている。
ふんわりとした旋律に君の言葉が混ざる、糸と糸とが折り重なって美しく縫われてゆくようだね、でもこの「景色」は、私が言わない限り君には「見えない」んだ。
窓から見える風景はもう夜になってしまった、夜のほうまでこの船は移動したんだよ、夜の国まで私も鶴ちゃんも来ているのだ、天空の橋は静かに寝息を立てている。
君は何を今見ているの、君の文字を見たい、君の言葉を見たい、君の考えを見たい。
…これを私は上手く語れない、語ることは出来ても伝えられているだろうか?
私も②会話と③手紙形式が抜けているんだ、私は話すのが下手なんだ。
身体がピリピリするんだ最近、身体に包まれているって不自由だけれど、君と居ると身体に居るということも悪くないなと思えるんだよ、鶴ちゃん。
君に、伝わっているだろうか、共有したい。
私は君をもっと信頼したい。
私は君と、もっと信頼し合いたい。
共有し合いたい。
私の目を、私の創作を、私の経験を君の経験にしてくれと、いつも思っている。
これは恋の気持ちとは異なる、同じ信徒としての深い気持ち、芸術の神様にとらわれた人間としての気持ち。
鶴ちゃん、鶴ちゃん、愛してる!
君を愛しているよ。

 

私たちの神様を、共有していたいよ、鶴ちゃん。