散文の自画像 

創作魂を持つ大熊という人間が、散文で日々の自画像を綴る文章ブログです。

家に借金があった

 

家に借金があった。

 

家…この家という世帯、つまりM氏に借金があるのを昨日知った。
M氏は自分の稼ぎややりくりを一切私には見せない男である。
自分の物事は自分で管理したい気持ちが強く、何にどれくらい使うのかを誰かに開示するのが苦痛なのだと思う。
その気持ちは非常によくわかる、誰かに何かを開示するというのは常に説明と、無理解とを一心に引き受ける作業でもある。
その仕事をやったところで大した成果は出ない…どころか全く誰にも配慮などしてもらえない。
また自分の稼ぎというものも彼にとってはセンシティブな事柄であり、隠したかったのだろうし、数字や思考の分野は…M氏と私というこの二人の世界に於いては、間違いなくM氏の引き受けるべき分野であった。
だから言葉にすると恐ろしいのだが、私はこの家の家賃は知っていてもそれがM氏の給料のうちのどれくらいを占めるのか、また諸々の契約形態がどのように発展しているのか(スカパーとか)、この家の何一つを知らないまま漫然と過ごしてきた。
本当に気にならなかったのかというとそうではない、その実常に不安であった。
もしM氏が倒れたら本当に私は何一つ把握していない。
もしM氏が居なくなったら本当に私は何の手立ても無い。
そういうわけで私は大体月に1回はM氏に聞いていた、「支払いの明細とかを見せてほしい」、ただ、給料明細を見せて欲しいとは言いにくかった。
その都度M氏は私の問いを、ゲームをしながら受け流した、広義的な無視であった。

 

何故無視したのか?
M氏のリボ払いが膨れ上がっていたので、私を無視したのである。
借金額が膨れ上がっていたので、金の話は殊更避けたかったのである。
…ただ彼の心情としては私を常に安心させたかった、そうなのである。
負債の外側で安心しながらぬくぬくと生活していて欲しかったというのが、彼が借金を伏せていた一番の理由なのだ。

 

もう一つ大前提として、M氏は自分の世界を生きている、その気持ちは痛いほどよくわかる。
当の私を含め内向的な人間というのは概ねこの傾向がある、だからこそ自分の事はなるべく開示せず、「内的世界が崩壊しないように」「常に外部から受ける傷を最小限に留めるため」、自分の内側というものに固く蓋をして他者と接するのである。
それがどんなに親しい、近い間柄であったとしても、その内的世界を共有出来ない人間であると見なされる場合、開示は行われない。
当たり前である、実生活では語り合う人でも、内面をわざわざ語り合ったりはしない。
見せたりしない、私だってM氏に文章や絵を見せたりはしない、見せたところで疑問が湧くだろうし、何故という問いに真面目に答えるだけの労力が惜しいのである。
つまり内外の「ショック」、M氏自身の内的世界が開示され崩壊するというショックと、私の受ける「借金がある」というショック…この内外のショックを彼は防ぎたいが為に私を無視していたのだ。

 

きっとこれを読んでいる人はまだ不思議だと思う、甚だ不自然だと思うかも知れない。
10年も給料明細を見ずにいて、家まで建てて、それでのんべんだらりと過ごしている私という女が心底整合性の取れない存在に思えるだろう。
…私という人間の大前提を話しておくと、私はかなり出来の悪い人間である、これは一般的な謙遜とかではなくて、テストをやれば小学校時代から0点、3点、5点、そのような出来の悪さを常にごく当たり前に叱咤されて育ってきた人間である。
今更学問の出来不出来などを何故取り上げるのか?と訝しがる人もいるかもしれないが…
ここまで出来の悪い人間だと、「私なんかがお金のことをやろうとしたら家計が破綻するだろうから、M氏にまかせよう、M氏もその辺りの事は自分で整理したいようだし」と何の疑問も無く、金銭管理を同居人に任せたのである。
出来の悪さというのは、自分が心底信用出来ない、自分自身にとって自分が信用するに至らない、信用という軸に於いて「信用」「出来ない」…だから出来ない人間、出来損ない、駄目人間という図式なのである。
私にはほとんど呆れるくらい成功体験が無いので、何かを誰かが管理してくれるとなれば一も二もなくその誰かに全てを任せてしまう心理状態なのである。
自分が駄目であるので何にも参加しないほうが被害を最小限に抑えられると盲信している部分がある。
結果の借金発覚である。
見よ、これが劣等生の末路である。

 

M氏は何もお金を使い込んだわけでは無い。
ただ、M氏の考えていた昇格のタイミングと、返済のタイミングとの間にずれが生じただけである。
そして運悪く私の脚の肉離れや股関節の悪さの露呈などが重なり、私もパートとはいえ仕事を辞めてぶらぶらし出してしまったわけである。
私がパートを続け、自分自身の貯金をし、家に金を入れるということを続けていれば…昇進のずれが生じたところで、リボ払いが膨れ上がるということも免れたのである。
借金というのはM氏のリボ払い金額のことだが…とはいっても私はカードを持たない人間なのでまだ実感しきれずにいるが…普通に考えて結構な額だった。
私の奨学金が数百万、もすぐ返済し終わる予定…返済ってしんどいなあ…と思いながらなんだかんだで月々支払っていくと段々貯金(のようなもの)は目減りしてゆく。
まあ別にあの奨学金が無かったらすごく楽になったかというとそうでもないような気がするが、奨学金分を月々貯金していれば今頃配当金株の軍資金くらいにはなったろう、数百万である。
リボ払いはボーナスで返せる金額ではあるが、支払いというのは一端膨れ上がると結構尾を引くものである、それは奨学金で十分解っているので貯金とかはもういいからすっぱり払ってくれと懇願した。
ただ、今回の支払いを終えたとしても私が仕事をしない限りはなかなか貯金は出来ないという現状を昨日、はじめて私は知った。
だからややもするとまた、リボ払いは簡単に膨れ上がるという仕組みの中に今、私とM氏は居るのである。

 

「あんまりモノ買わないようにしてね」
とM氏は最近言うようになった、でもモノを私はあまり買わないのにと自分では思っていた。
M氏が言っているのが散財についてではなく「食費や生活費を削ってね」ということなのだという理解に至らなかったのである。
それもそのはず、M氏は会社仲間とゴルフへ行ったり、ゴルフクラブへ入っていたり、スカパーやdマガジンやその他色々な何かの情報系契約を好んでしている人物である。
ゴルフ用の(ゴルフというのは暗にドレスコードがある)服を買ったり…それはとても安いモノなのだが、そういうものを日常的に購入している様子や、新しいアンプやイヤホンといった電子機器系の物品、外食、M氏の好む喫茶店での飲食…そういった生活態度を見ているととても「お金に困っている」風には見えなかったのである。
自転車も京アニけいおん」(OP)に出てくるブロンプトン、そのブランド自転車のメンテナンスや修理…頻繁なプロレス観戦。
M氏が自分で稼いだ金を自由に使うのは当たり前である。
だから文句も言わなかったしそもそも疑問にも思わなかったのである。
「あんまりモノ買わないようにしてね」と繰り返されるまでは。

 

私とM氏の家での関係は根底的には主従関係であった。
稼ぎ頭のM氏が9割、私が1割、責任の割合はこのくらいであった。
だからM氏が私に何かを相談するということも無かったし、私が「この家」に於いて参加する物事というのもその実無かった。
掃除や炊事、庭仕事という家事は私がやっていたがそれは「責任を伴う仕事ではなかった」のだ、それはあくまで嗜好の上での仕事、バイトみたいなものだったし、私もそれでいいと思っていた。
だからこそ私は居場所が無いように感じていた、もしかするとM氏もそうだったかもしれない、私たちは出会った当初から男女関係「ではなかった」ので、漠然と絆を保ってきた。
私たちが好んだのは「内的世界を独自に守る」ということだった。
これは動かしがたい性質で、もしこの部分を揶揄したり少しでも嘲笑したりする相手とともに住んでいたら…たとえそれが男女の深い間柄だったとしても、恋をしていたとしても、即刻離れただろうと思う。
それほどまでに私もM氏も自分の内的世界を守って生きてきた人間だったのだ…その内的世界というものがどのようなものかは、誰にも開示せずに。
だからこそ踏み込まないということが何よりの尊重だと私も思っていた。
…だが、それがこの共同体に於いて「参加」するという概念まで取り去っていたのを、なかなか気付くことが出来なかったのである。

 

それは「会社」に所属しているのに「仕事」が全く無い、というような状態とも言えるだろう。
私とM氏とは同じ「この家」という組織に所属しているが、この家に参加する事象は皆無だった。
私はM氏が休みの日にゲームに没頭しているのをただ視界の隅に眺め、触れないでいた。
そして漠然とした不安に駆られて聞いた、「お金のこととか話さない?」、だがM氏は言った、「…お金は大丈夫だから、あまりモノを買わないようにしてね」、私はやりきれなくなって二階へ上がった。
離れたいと思ったが、離れられなかった、私とて、自分の世界を邪魔されずにいるこの環境を…M氏を、好んでいたからである。

 

ただこの関係性は先にも述べたようにM氏が責任の9割を負う形で成り立っていた、だから病院へ行く際にも何をするときにも、少しでも入り用のときには私はM氏に縋るしかないのだった。
M氏が酷い奴なのかというとそうではない。
だが不自然だった、私の役割は無いのに私は年がら年中朝から晩までこの家に居てしかるべきだという空気が彼にはあった。

 

金銭面、数値の開示と、感情とは切り離すしかないのだ。
開示するのが恥ずかしい、情けない、「あやちゃんを心配させたり不安にさせたりしてしまう」…この感情と事象とを区別せねばならない。
それに心配をただひたすら回避してほしいというのは…「いつも笑っていて欲しい」、そういう言葉は綺麗だが、それは人間に対する望みではないと感じるのだ、そんなのはただの愛玩動物に対する欲求である。
私は人間なので喜怒哀楽もあるし性欲もある。
M氏は私に鶴の人という男が居るのを知っている、私が教えたのだ。
その時M氏の心中はこうだったろう…「俺が9割も担っているのにこいつは遊んでいる」…そうだと思う。
M氏は口に出してこそ言わないが、9割担った分は私が「ただ漫然とそこに居て安寧を享受すること」で消化されると思っている風だった。
だがちょっと考えてみて欲しいと私は昨日言った、「会社に来て仕事も与えられずに居て、それなのにただそこに居ろって言われるのは辛いよ」、人間が何もせずにただ漫然と存在することだけを求められるのは実際けっこうしんどいのである。
人形ではないのだ。
生き物は絶えず外へと意識を向かわせる仕組で出来ている、絶えず発露すること、絶えずはたらくこと、絶えず参加すること…それが生きているということなのだ。
絶えず意識のはたらきをしないと…死んでしまうのである。
だから鶴の人が私の絵をひとつの世の中のはたらきとして捉えてくれたように思えたとき、とても嬉しかったのである。
ようやく一人の人間に成れたような気がしたのである。
私は特段鶴の人と別れる気も無い。
だがM氏を心底嫌いかというとそうではなくて、私はM氏と作り出した「この家」に参加したいのである、M氏が困っていたら助けたいのである。
男や女ということを軸に考えるのではなくて、人間関係を私は分散させている…これはかなりいびつに見えるだろうが、この分散を行わないと私のような人間は「たった一手間違えるだけで路頭に迷う」のである。
そしてもう一つ、私はM氏の為にだってなりたいのである。
私だってM氏を助けたいのである。

 

「参加させてほしい、実際の稼ぎをという話ではなくて、この家の人間として5割、私にも参加させてほしい、この家を会社だと思ってよ、私を一人の社員だと思ってよ」

 

だから給料明細を見せて欲しい。
今の負債額も見せて欲しい。
これから買う物も見直そう、何にどのくらい出費があるのかを把握しよう、二人で参加しよう、二人で家計簿をつけよう。
私を信用してほしい、一人の人間として信用してほしい。

 

私は昨日この物事が発覚したとき、信用、信頼、と言う言葉が頭に浮かんだ。
私は子供時代から出来ない人間だったので、なかなか信頼されるという場面が無かった、(馬鹿)高校に入ると周り中そんな奴らだらけで、誰一人人と真っ正面から向き合うというような根性のある人間は居なかった。
あの馬鹿高の多くの人間の性根が腐っていた、というのも馬鹿馬鹿言われるのが日常であり、人生で在り、さらには絶対的な事実であると盲信している人が大半だったため、自分が本来「頑張れば出来る」ことでも頑張らないと決め込んでいた。
頑張れば出来るという感覚は、他者の誰からも刺激されずに内在したままである…実際に何かをやってみても、出来るという経験自体が無いのでいつまでも自分の到達点を見る事が無いのである。
…それ以上に、親、教師、とにかく周囲の人間からそもそも、全く信用されていないので、何にも参加する意欲が湧かないのである、だから馬鹿はポテンシャルが低いのである、馬鹿だから低いのではなく、信頼というものを体感したことが無いからポテンシャルがより低くなるのである。
私とM氏との関係もこれに似ていたかも知れない。

 

M氏は多分、駄目な人がいたらさっさと自分で仕事をやってしまうタイプだろう。
「俺やっとくからいいよ」
これは一見優しいが、相手をいつまでも信用しない言葉でもあるのだ…勿論、自分でやったほうが実際に早いからやるのである、やってあげるのである。
でも…私の質問に答えてくれなかったとき、私は何となく思ってはいた、M氏に根本的に信用されていないのだな…。
そして私は自分で納得していたのだ、私は馬鹿だし仕方ない。
私とて、自分の到達地点をかなり低く設定して、それで満足していたのだ…虚しさに耐えるという方法で満足していたのだ。
そこに双方の信用、信頼が無いということに気付かないまま、10年も経過していたのだ。

 

全体像を知らない限り、自分の一手がどれくらいの影響を及ぼすのかを把握することは難しい。
信頼していないと知らせたくない、任せたくない。
それは当たり前だろう。
でも、信頼してもらわないと物事に参加するのはより難しい。
私の努力が家計というものへの参加なら、M氏の努力は他者を信頼することである。

 

借金の発覚はとてもびっくりしたが…知れてよかったと思っている。