散文の自画像 

創作魂を持つ大熊という人間が、散文で日々の自画像を綴る文章ブログです。

【詩】小さな祈りを自分に課すことにしたのです

 

小さな祈りを自分に課すことにしたのです


課しているのは恩寵です
課しているのは恵みです
課しているのは配慮です
それを天を介して私は自分に課すことにしたのです

 

恵みがありますように

 

だけどこの祈りは
実際には口に出してはいけないのです
言葉にした途端に
枯れてしまう祈りです

 

何故なら祈るということが
演じる事になってはいけないのです
誰にも聞かれないのならば私は口に出して祈ります
そうでなければ心の中だけで
自分の意志で配慮を行うのではなく
小さく射るように祈りを唱えます

 

すれ違う数多の人に
影のように映る大勢の誰かに
恵みがありますようにと瞬間の祈りを行います
目の前の人に
一呼吸置いて
それが愛着の在る人なのかどうかはさておき
恩寵という文字や象徴を思い浮かべます
これが私の一番の
実践的な祈りです

 

そんなことはおかしな事だと
きっと多くの人が言うでしょう

 

このときに自分の感情が暴れるのを私は見ます
私の纏うぼろ布も咄嗟に言うのです
こんなことは意味がない
こんなことは誰も望んでいない
目の前の人間はむしろ敵である、赤の他人である、恩寵なんて望んでいない
そう叫ぶ私を私は見て、このぼろ布のもつれ、糸のもつれ
整合性の取れなさを
そのまま
すべての「母」に託します
すべての源に託します

 

全ての母よ、もつれ合った糸を解いて下さい
こんがらがった結び目を解いて下さい
私の纏うものをどうか
もう少し
あの方に近づけて下さい

 

私が自分の魂に課しているのは配慮の精神です
しかし配慮の精神を自分の感情に課すのではなく
全ての源を信頼し
その源に
配慮を頼んでいるのです
私が「信じて」いるのは恩寵そのものです
恵みです

 

けれどもそれを言葉で「主の恵み」と言うのは憚られます
だって私には主の恵みが何であるのかが
どうしたってわからないからです、何を読んでもわからないからです
何もかもに線引きをしてしまうのも
どうしてか
わからないのです
だからこのわだかまりも全部
すべての「母」に頼みます、もつれ合った糸を解いて下さいと頼むのです

 

そうすると胸のあたりが軽くなり
私は
すべての源が本当に私の言葉を聞き入れてくれるのだという事を確かに
祈りの内側に於いて「知る」のです
これが信じるということで
祈るということで
傍目には
滑稽なほど
哀れなことです
そして滑稽であればあるほどに、自分が、恵まれていることを私は「知り」、より一層祈るのです
祈らずにはおられないのです

 

祈らすにはいられないのです

 

私が何に祈っているのかを
私自身すら知りません
何かに当てはめようとしても
うまくゆきません
それでも私はあり合わせの祈祷書に書かれた文言で祈ります

 

恵みがありますように

 

外に出るのが怖いと思った時
恐ろしい記憶を思い出したが為に人間を怖いと思う時
その時にほど
私は心の中で
他者への祈りを射るのです
すれ違う誰かに
毎日顔を合わせる人に
愛している人に、大事な人に
信仰の在る人に、信仰の無い人に、人間を嫌いな人に、知らない人に
天を介して恩寵がありますように
自分の愛着の持てない動植物にも
恩寵がありますように
自分から見て嫌だと思う振る舞いに対しても
先ず
天を介して恩寵がありますようにと祈る事にしたのです

 

御助けが働きますようにと祈る事にしたのです

 

これが祈りだと
深く感じるのは、消えることのないように思えたわだかまりが消え
尚且つ、少しの努力を要するからです
欠片ほどの気力と
すぐに逃げ出そうとする心を制する「信じる」力が必要だからです
このようなことが私の小さな十字架であり
僅かに手に持てるぶんだけの
重荷であると、私は確信したのです
毎日があの丘へ辿り着く道のりだと思えば
その実これは
容易いのです

 

全ての源の恵みがありますようにと私は
天を介して
心の内側から至る神秘の糸を手繰りながら配慮します
天を介して
自分の行った至らない物事への償いを実行します

 

恵みを実行します

 

これが私の出来る小さな働き
小さな喜び
小さな悲しみ
小さな祈りなのです