散文の自画像 

創作魂を持つ大熊という人間が、散文で日々の自画像を綴る文章ブログです。

【詩】愛せない日々


私の周りには陽光が溢れ、小さな虫たちが花の蜜を吸いに地面から湧いてきている、ねえ見える?
私はまだ時間の中に居る。
この花の蜜は大丈夫、人間の色眼鏡で作られた能なしではないから。
狂った生物が作られているのは、狂った生物を食べているから、F1種を食べているから。
そんなことを言っている自然食品の店が近所にあってね、閉店する時に、子供たちに散々感情的な演出をさせたのよ。
大きなパネルにお別れのメッセージを書かせたり、鳥の絵を描かせたりなんかして。
結局そこは引き続き自然食品のお店なの、店員すら同じ可能性もあるのよ、ああいうことをするのなら閉店セールの時の儲けのいくらかは、商品に換算するなりなんなりして子供たちにあげたらいいのに、そう思わない?
こんなことを思う私は狂っているのかしら?

 

私の周りには朝の爽やかな空気が溢れ、ああ春が来た春が来たと鳥たちが唄っている、ねえ聞こえる?
私は鳥の音楽のただ中に居る、植物の奏でる音の中にもいる、そしてカイロス的時間の好む音楽のただ中に居る、知ったばかりのジャズの中に居る。
それなのに私は怒り狂っていて、何も問題が無いということに怒り狂っていて、愛人に言ったの。
元奥様には、私と彼との仲は夫も認めているって伝えてって言ったの。
癪だったの、向こうも私が、人間関係の何もかもにただ目を瞑っている様子なのが癪だったろうから、洗いざらいぶちまけたってことを、ぶちまけたくなったの。

 

こんなにも美しい午前中の澄んだ空気を吸う、新緑が萌え出でている、でも何処か腑に落ちない、何故なら今、思考の全てを立場という役柄で考えているから。
その何処にも真実が無いの、だって私彼女の事憎んでなんかいないの、当たり前じゃない?
彼女の事、個人的には何一つ、顔すら、知らないんだもの、知らない人を憎むことなんか出来やしない。
誰が狂っていると思う?
その実、私の事を何一つ知らないのに憎んでいる彼女?
そのことをそれとなく伝えてきた彼?
それを終わらせたいが為に、全部許されているのだと敢て伝えろと豪語して怒る私?
私が怒っているのは、私への呪いを絵にして、それをあまつさえ人様に画家として見せたというそのことについてなのだけれど…こんなまだるっこしいことで怒る私こそが狂っているのかしら?
それとも、妻を抱かないということが許されてその実ほっと胸をなで下ろしている、F1種とでも言うべき、有能なミスターM?

 

ねえ、人生は謳歌すべきものだと思う?
私は満ちあふれる春の甘い香りを嗅ぎながら街外れの歯医者まで行ったの、身体の手入れは人生に課せられた税金みたいなものよ。
身体の痛みは人生に課せられた刑罰みたいなものよ、刑罰を逃れる為の手入れにすら、痛みはある。
心は飛んで別の国へ行くのよ、街外れを越えて海を超え…身近な人間関係からも遠ざかって…自分が何者か何てどうだっていい、そういう場所に行くの。
素晴らしい音楽に触れたとき、私は、とても嬉しいのにこれ以上無いほど悲しくなる。
実際の私は歯科医院の診察台に半ば拘束されていて、麻酔をして歯のクリーニングをされている、それなのに唾液を吸う器械が冷たい風を出すから、それが歯にしみて痛覚が反応している。
私はここに居る、ということが私には喜びでは無い。
どうして自分が、1930年代から1950年代のニューオリンズに居ないのかわからない、どうしてそこで生まれなかったのか、どうしてその時間をクロノス的時間として体感出来なかったのか私にはわからない。
私、ジャズが好き!と私は叫ぶ、ルイアームストロングが好き!と私は叫ぶ…でも多分、こういう叫びって死んでも出来るのよ。
私は悲しくなる。
私、自分の今居る場所の音楽が何故か好きになれないの…今居る国の主観的時間を好きになれない、今居る場所の新しいものに時間的価値を見いだせない、ずっと昔から。
ねえ、私が悲しいのは、「君の時代はどんなだったんだい?」と聞かれても、全くの個人的な時間しか答えられないということ。
私は時代を、親密さという意味で愛していないということ、どうしても、好むことが出来なかったと言うこと。
私には数十年から100年前のものこそが、新しいものであり、溺れるように聴くものであり…でもそのクロノス的時間はとうに過ぎ去ったということ、時代も場所も全ての座標がずれているということ。
それが私を悲しくさせる、歯科医院から帰宅する街外れの風景に私は居る、だけど居ない。

 

それでも自分の居る時代を愛しなさいと彼は言った、ああ、彼って言うのは、私の尊敬する画家、もう故人だし、別の国の人。
彼は人生を謳歌したのかしら?

 

私は誰も居ない居間に寝転がりながら思うのよ、もしそうなら、人生を謳歌するって事は、苦役に耐える事と全くの同義なのよね…。
彼の後ろ姿を見るのよ、最近毎日、私彼の側へ飛んで行っているのかしらね…心の中で、心ごと飛ぶのよ。
心の中でニューオリンズへ飛ぶことも、それも過去の時代へ飛ぶことも可能であれば、死後もその人が生きてるってことも、解る気がするの。
こういう遊びは死んでも出来るのよ、ああ、午後の日差しが暖かい。
もうすぐ桜祭りの季節、でも私はこの時期が好きじゃない、親密さと言う意味で愛することが出来ない。
文化という視点に浸り切れていないのよ。
余計に孤独になるから、桜という木には申し訳ないけれど、好きになれない。
自分が染まりきることの出来る、心底痺れるように憧れて、楽しめる文化に生きていたらどんなにかいいだろうと昔から思っているのよ。
私に欠けているのはそういう事なの、共感の喜び、それが欠けている、それが私の苦しみ、心の苦しみ。
ぽっかり空いた暗い穴が…私の外側に広がっていて、私はあまり実感が持てない。
けれどもこの穴を埋めようと、庭を掘り返して土をあてがってみても、庭に穴が空くだけ。
外側の空洞を埋めるには…自分の心の内から松明を取り出さなきゃならない。
外気を暖めねばならない。

 

怒りでなく、愛で。

 

私の周りを覆うように夕闇が降りて、また嘘みたいな夜が来る、毎日夜が来るってことをたまに信じられなくなるの。
暗闇の中で光る松明、十字架の聖ヨハネ、私はあなたを知らない、顔も見たことがない、でもこんなにもよく見知っている。
そうなの、私って実際には知らない人に、本当は囲まれて助けられて生かされているのよ。
私は暗夜を読み始めて思うの、私、精神的暗夜以外の場所にいた事なんて無いのだけれど?…そう彼に問いかけるのよ。
いつも暗い穴が私の外側に広がっていて、私は何にも実感を持てない。
内側の松明は確かに在る、どんな欠点を抱えていても。
人間は完全では無い、不完全さが珠々繋ぎになって作用し合っているだけ。
全てのことに意味を見いだしなさいと説かれても、私は怒りに対して怒りで反応してしまう。
誰ともそのようには話したくないのに、まるで無駄な話をしてしまう。
誰もが狂っている、完全になろうとしている人間ほど狂っている。
完全になってから有益なことをしようとしている人間ほど、狂っている。
何故なら霊魂の火は、不完全さを尊ぶから。

 

私は布団の中で思う、寝返りは打てないの、肉体はいつまでも不完全なものよ…ねえ、私が本当に言いたいのは、他者というものに対して漠然と謝罪したい、ということなの。
誰もかれもに本当は、ごめんなさいと言いたいの。
全く愛せなくてごめんなさいと言いたいの。
全く関与できなくてごめんなさいと言いたいの。
時代というものを、時間というものを、愛せなくてごめんなさいと言いたいの。

 

愛せない日々を過ごしていてごめんなさいと、懺悔したくてたまらないの、せっかく与えて下さったのに謳歌できずにいてごめんなさいと言いたくてたまらないの。


勿論、これ自体、愛ではないのだけれど。
ねえ、それでも私はまだここに生きて、過去と共に内包されている、時間の内側に私は居る。
松明が燃えている、これは本当は死んでも燃えているのだけれど、この炎を敢て胸の内から取り出して、周囲を照らす事をしないと生きているとは言えないの。
美しい世界、私の眠るその周りには満天の星々が煌めき、囁いている。
愛を行うのは本当は簡単だと、果てしない時間の向こう側から静かに囁き、瞬いている…そうだったら乗り越えて行けると、信じているのよ私は。