a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

金銭コンプレックスと株の醍醐味


日本という国が何故金融教育をしないのか心底疑問である。
率直な疑問として、金融教育をして皆が株で利益を出せば、確実に国は税を徴収出来るのである…国民が総じて株をやったほうが国ごと儲かると考えるのは安直だろうか?
ここで言う株とは株の売り買いについての取引ではなくて、配当金の話である、配当金も利益に換算されるので確定申告が必要になる、つまりこれは歴とした儲けなのである。

 

金銭に実体は無い、金銭に実体は無く、それは数字である。
お金を稼ぐには苦労しなくちゃならない、誠実でなければならない、毎朝起きてきちんと仕事をしなければならない。
なるべく貯金しなければならない、貯金したお金をいたずらに動かしてはならない…稼ぐのは自分(の頭、及び身体)であって、お金が勝手にお金を稼いではならない…。
私も両親も長らくこう思って生きてきた、だから勉強が出来ないと怒られ、稼げないと自責の念に駆られ、貧乏という言葉自体がタブーであった。
お金というものに対する誠実性を過度に求めている、ガソリン一滴血の一滴じゃないけれど、一円という実体の無い数字に対して何か「心」を植え付けようとしていやしないかと自問する事が度々あった。

 

お金に対するタブーは、私の場合元を辿ると「勉強が出来なくて怒られた」みたいな悲しさに繋がってゆく、稼げなかった自分、出来なかった自分、価値のない自分。
そしてお金に対するタブーは、そんな「自分の痛々しいものが込められた数字」そのものが怖い、みたいな意識に発展する、少なくとも私には結構こういう部分がある。
だからお金の話は人前で語ってはいけない、お金の話は往々にして性の話よりもタブーで、人様を最も切実に「辱めてしまう」話なのだ、という思い込みが私にもある。

 

そんな私の両親は、若い頃あれほど「金が無い」と繰り返し言ってしょげていた癖に、今はその金銭コンプレックスを抜け出している、株で生活しているのだ、厳密には株で儲けたりもするが、主に株の配当金で生活している。
彼等の金銭コンプレックスを真に受けて育った私もまた見事に金銭コンプレックスを抱えている、よって金銭コンプレックスを脱した両親が若干憎らしくもある、これでは殴られ損である、私も儲けなければ完璧な殴られ損である、家を出るまでの20年間も金銭コンプレックスを植え付けてくれた相手なのでそれ相応に見返りが欲しいところである。
私の金銭コンプレックスは恐怖にも転じている、勿論この手の恐怖心はとても大事なモノで、これがなくなると暴走的に賭け事をしてしまう…そう、賭け事。

 

「株」と聞いてどんな気持ちになるだろうか?
金銭コンプレックスのある私としては、「うちの親大丈夫かな」とはじめのうち心配になった、株というものを知らないからである、賭け事で生活しているのと変わらないじゃん!という意識なのである。
株には3種類あって、現金取引、信用取引先物取引とある…このうち後者2つははっきり言って、ほとんどヤクザまがいのギャンブルである、首を吊る覚悟でやるギャンブルである。
現金取引の場合は「手元にある現金」しか無いので、大損する事は無いと言える。

 

そして株と聞いてさらにどんな気持ちになるのか。
株をやる奴は胡散臭い、そう、胡散臭いのである、上から目線で胡散臭いのである。
「初心者」という言葉が株を語るサイトでは頻繁に出てくるのが株初心者の私としては非常にウザい、初心者ってなんじゃい、そういう事言うから株人口が増えないんだよと言いたくなる。
誰かに苦手意識を植え付ける物言いが溢れているのである。
皆で学びあって、儲けあってゆくみたいなスタンスが必要なのではないのか?と疑問になるほど、「初心者には無理」と言っている輩が大勢居て辟易するのだ。
まるで株人口が増えたら困るみたいな様子なのである、ふむ、株人口が増えたら実際困るのだろうか?
日本人が大勢株で儲け始めたら個人への配当は薄まるのか?

 

私は株素人である、金銭コンプレックスとかについて考えたのもホントにごく最近、ごく最近というか人生30余年、今日本日付で考えたくらいである。(私にとってのごく最近は、ほとんどの場合「今日」を指している。)
私は親に質問した、小学生が親に何度も世の中の摩訶不思議を尋ねるように質問責めにした。
株式というものが出現してからもう何百年も経つが、基本的な形式は「株主に配当を配って株価を上げ、実益を出す」のが株式会社である…株を買う人が増えたら株式会社はどうなるのか、及び、世界の株式市場はどうなるのか?

 

「株をやる人口が増えたら、たとえば日本中の人が株をやったら株式は飽和するの?株が大暴落するみたいなバブルが弾けたりするの?」
「原則、株人口は数学理論的に考えて、地球上何処まで増やすことが出来るの?」
「株は宇宙と共に膨張しているの?」

 

両親からの答えは、「株人口が爆発的に増えたら株価が全体的に上がるだろう」、「株価が上がると株を買うということに少しお金が高くかかるようになるかもしれない」、「株バブルは弾けないと思う…宇宙が膨張期にあるから」、とのことだった…コレが何処まで的を得ているのかは不明である。
一番的確な答えは、「株価が上がりすぎるのを国の銀行が抑えてくれるからバブルは起こりにくい」、「株は利益として存在し、同時に国債があるから数学的爆発は起こりえない」、「株価が上がりすぎるのを抑える気配を皆が感じ、株価を買っている金銭をそのまま、国債に移行させるので、株だけが爆発することは起こりにくい」とのこと。

 

例えば皆が一つの会社を選んだとする…それでも「皆が、そろそろこの会社の株価が上がりすぎてきたなあ」と感じたら、その会社の株価は皆の気配と共に徐々に下がってゆくのである。
その原理で行けばどこまで株式市場や株人口が増加しても、パニック的な数字は原則、起こりにくい…らしい。

 

…?
富は、富そのものは一定なのだろうか?
それとも富そのものが膨張しているのだろうか?
株、というよりも富という概念で考えよう、富そのものは古代から一定なのだろうか、古代というか…富というものは、海水みたいなものなのだろうか?
海水は古代から一定なのだろうか?膨張したら陸地を飲み込み、その分氷が減り…地球上の水分値がほとんど変動しないように、皆が利益を得ることが出来る上限というものに限度はあるのだろうか?
株式という数学的富に、果たして臨界点はあるのだろうか?

 

そして私は、世界中が豊かになればいいのにと、青臭いだろうが、切実に思っているのである、いい歳して実に馬鹿正直に「皆がしあわせになればいいのに」と考えているのである、しかし残念ながら頭が追いつかないのである。

 

つまり私の疑問は「世界中の誰もが株の配当金を得ることが出来れば、世界中の誰もが利益を受ける事になる、そうすると今度は金銭そのものの価値が下がってしまうのか、あるいは株価全体が高値になり、結局貧しい人が株を買いにくくなり、貧困が生じてしまうのか?」ということである。
例えば、私一人が株式市場に参加したことにより、世界で「一人分」株人口が増え、世界で「一人分」株が高値になるのである、株の投資というものは株式会社に於ける人気度である。
これが世界中の人が参加した場合、理屈で考えると株式人口が増えた分だけ「株式市場は活性化する」と考えても良い。
活性化するということは株式市場に登録している株式会社全体の活気が増え、総じて利益が出るのではないかと素人考えでは思うのだが…どうなのだろうか?

 

そしてさらに言うと、さっきからここでずっと言っている株という概念は、株を売ったり買ったりを頻繁に繰り返して利潤を得る株取引の事では無く(それでは損得が生じやすいため世界中の人が参加しても貧困は生じてしまうだろう)、長年株を保持するやり方で「配当金」だけを得る、大人しい株取引についての話である。
株というものは、誰かが株券を買ってくれて、株式会社の人気度が上がり、結果的に株式会社が儲かり、その配当を出すというシステムになっている。
よって、配当だけを狙うというのは「株式会社が倒産しない限り」お堅い取引なのである。
世界中が数式上、幸福になる事はあり得るのか?
世界の数式上の幸福値は上昇し続けているのだろうか?
両親の言うように「宇宙が膨張期だから」膨張し続けているのだろうか?
富は膨れ上がっている最中なのだろうか…?

 

株式市場に世界の人全員が参加すれば株式会社がその分儲かり、世界の全員分配当金が配られ、皆が少しでも豊かになる事は実現可能なのだろうか…?

 

解けない謎はそのままに、冒頭に戻るが…日本という国が何故金融教育をしないのか私は心底疑問である。
率直な疑問として、金融教育をして皆が株で利益を出せば、確実に国は税を徴収出来るのである…国民が総じて株をやったほうが国ごと儲かると考えるのは安直だろうか?
世界中とは言わないまでも、日本中が株取引で配当金を得た方が、それがどんなに少額でもかなりの税を徴収出来る、一人100円の儲けでも20円は税に出来るのだから。
小学生のうちから金融教育を義務付ければ、格差も少なくなるだろう。
何故なら格差とは…金銭に対するコンプレックスを親子間で引き継ぐ事に他ならないのだから。

 

この金銭コンプレックスから抜け出さない限り、金銭に対する楽しい話、面白そうな話、何より…「自分が世の中に参加していると感じられる話」が出来ないのである。
この金銭コンプレックスを拭うためにも授業で金融教育をすべきなのだと私は思う。

 

あっちゃ~この女、とうとう株の洗脳を受けたのかあ~、無職だもんなあ~…と、これをお読みの方々はちょっと心配になるかもしれない。
否定はしない、恥ずかしながら実にその通りである、実の親から株教育を受けて目玉がドルマークに転じている最中である、とはいえ配当金目的の株なので、利益は僅かである。
…元手が少ないので…私の場合、黙ってバイトした方が儲かるくらいの金額しか望めない。
それは株取引だろうか?
それでも株取引だと私は言いたいのである。
何故なら、株取引の真の目的は、お金であってお金だけではないのだ、株の醍醐味、株の真の目的はただ一つ、「世の中のゲームに参加して楽しみたい」という強烈な欲求を満たすことにあるからだ。
これを楽しいと思えたらもう株の人である、と私は思っている。

 

テレビやネットを見ていて、「つまらない」と思った事はないだろうか?
ニュースでも何でもいい、目の前で起きている事が…すごく遠くに思えることが、ないだろうか?
事件事故、どっかの会社間での込み入ったやりとり、どっかの国の大統領や王様の振るまい…そういう物事に、「でも自分の生活にはほとんど無関係だし」と思ったりしたことはないだろうか?
私は結構思っていた。
だからこそ日本のテレビというものをもう久しく観ていない、芸能人とかも元々興味が無いのでほとんど一切知らない、3.11以降、ニュースやマスコミが本当に信頼出来なくなったので観たくも無いのである。
この前も日本のマスコミでは一切報道しない海洋上の事故があったが…そういうものと自分とが、遠く離れているように思えたりしないだろうか?
ただ…このまま目を瞑り続けて生きてゆくには、人生は長すぎるのだ、それは何だか…私自身ですら寂しい生き方だと思うのだ。
日本のマスコミ叩き(つまり無視)をして人生を終えたいのでは無い、世界と関わり合って生きてゆきたい気持ちが私にもあるのだ。

 

世界と利益アリで関わってゆきたい、何か「学び」ながら生きてゆきたい、株を人生の趣味のひとつに据えたい。
世界で起きている出来事を知って、世界の株価の変動でその余波を知り、自身も世界に参加してみたいのである。
日本の株は配当が少ないので余所の国の株を買う予定だ、それでも証券会社は日本のなので、利潤は日本に入る仕組みである、税は日本に入るのだ。

 

私の文章はどこまでも独白だが、世界に参加しながら利益を得ること、金銭コンプレックスから抜け出る事を…私は新たに追求しようと思う、もしこれが誰かの価値観を幸福に転じる少しの引力になったのなら、私も独白冥利?に尽きるなあと思っている。