【詩】私は錆びた銀の針

 

私は錆びた銀の針、海に揺蕩う銀の針
地獄でもがく銀の針、一人で唄う銀の針
あまりにも美しい夢をみたので泣いています
涙は塩水に溶け
私の身体も塩水に溶けています

 

夢の中の海は水面が太陽の光に乱反射し
眩しくて目を開けていられないほどでした
いくつもの潮流が楽しげに唄いながら渦巻き
見つめ合う私とあの人とを優しく包んでいました
私の身体は錆びておらず
他の針たちの身体もそれぞれに煌めいていました
そうです、夢の中の海が光っていたのは他の針たちの光だったのです
潮流は溶け合い、一人の敵もいませんでした
一人の仲間はずれも
一人の自傷者もいませんでした
そんな緑の海で私はあの人と見つめ合っていたのです
微笑み合いながら声をあげ、遊んでいたのです

 

夢から目が覚めた私は震えていました
錆びた身体から涙がじわりとこぼれ落ち
みじめで悲しくて悲しくて叫びたいほどでした
だってあの夢ほどには
どんなに生きてもあの夢ほどには
完成した世界に
到達出来ないとわかっていたからです

 

地獄の海水は塩辛く
冷たく
潮流はぶつかり合いながら岩礁を砕いていました
針は渦に引きずり込まれ
叫んでいるものもありました
沢山の針たちが無気力に浮いているのが見えました
そうです、あなた方の言うように確かに私は地獄に落ちたのです

 

たとえ地獄に落ちようとも、私には何かが見えました
地獄に居ても、あの夢の海に居ても
私が、この世の役柄として、何処の誰であっても何かが見えました
そうです、美しい緑の海の夢を私はみていたのです
私の針穴に教えの糸が通されていたときは、あなた方の言うように
糸に沿って進めば何も怖くはありませんでした

 

ただ
現世の何処へ行っても
私が見るのは
私の世界なのです
私が何処の誰であっても
私は私でしかないのです

 

そう考えると
自分に通された糸が
急に不自由なものに思えました

 

どんなに美しいと思われる糸ですら
あの夢ほどには世界を完成させないのです

 

だって世界は、不完全なのです
私の情が、私の涙が
塩辛いこの海ではさらなる害悪にしかならないことを
私の情が、私の微笑みすら
どうやってもあの夢の中ほどには美しくならないことを
醜いことを
もうおわかりでしょう?

 

同じように見える糸に通され
同じように思われる祈りを唱え
同じように思われる美を
同じように思われるやり方で讃え
同じように思われる針と針とが
手探りで
同じだと思いたい糸に
絡まって…
ええ、そうです、絡まってすら
いないのかもしれないのです、糸など無いのです

 

救われたと言っているあなた方、本当は糸など無くて
ぽっかりと開いた針穴に
海水があぶくをたて
笑っているのかも知れない
そうです、そうですよ、地獄は其処此処にあるのです
誰も自分がどうであるかさえ
確かめる術が無いのです
今見えている物事以上の視点を誰も
得られないのです

 

様々な色の糸を通したり
針穴をただ開けたままにしているうちに
私は自分の瞳が一体何処についているのかわからなくなりました
基準となる糸すら捨ててしまいました
それが何色の糸だったのかさえ
思い出せません
だから揺蕩うほか無いと、思い込んでしまうこと
そうです、これが地獄なのです
一人きりだと思い込んでしまうこと、これが地獄なのです

 

いいえ、お気になさらず
こんなのは錆びた針の戯れ言です
朋輩すら居ない哀れな針の独り言なのです
私が泣いているのはあまりにも美しい夢をみたせいです

 

そうです、私があの人と見つめ合う事は起こらないのです
微笑み合いながら声をあげ、遊ぶ事も起こらないのです
私の情という情が甘い海水と成ることも無いのです
いくつもの果てしない潮流が楽しげに唄いながら渦巻く事も無ければ
針の身体についた錆が綺麗になり、太陽光を弾き
眩しくて目を開けていられないほどに水面を光で埋め尽くす事も無いのです
皆が微笑み合うことなど無いのです
このような世界は起こりえないのです

 

私は錆びた銀の針、海に揺蕩う銀の針
地獄でもがく銀の針、一人で唄う銀の針
あまりにも美しい夢をみたので泣いています
涙は塩水に溶け
私の身体も塩水に溶けています

 

私はあの夢の海へは行けません、どんなに祈っても行けません
それがわかっているので
だからこうして泣きながら
地獄の海をただ、揺蕩っているのです