散文の自画像 

創作魂を持つ大熊という人間が、散文で日々の自画像を綴る文章ブログです。

幽霊(散文)


よりにもよってこんな日に公演か
あいつ、舞台の上を確かに跳びはねて歌ってたなあ
お客さんにも役者の顔で接してた、この世界の生き物なんだなあいつは
あいつはあいつ自身でいるよりも
他の誰かを演じる方が力の湧く性分なんだ
そういう奴だよあいつは、この世界では幽霊みたいな奴なんだあいつは
久々に唄声を聴いた、正直昔より鈍ってるな大分、どうか巻き返してくれよと客席から身勝手な祈りを送る

 

一方ホテルの中ではまだ何も聞こえない
暴風雨が吹き荒れる予報だけが延々と流れている
電車の終電が鉄道というものが開通した当時と同じくらいになるとツテで聞いて
ビジネスホテルの清掃員を辞めたその日に
またビジネスホテルに呼ばれるように、したたかに予約して泊まる
窓はぴっちりと閉まっていて小雨がしとしとと周囲を濡らしている

 

観劇あがりの休日の夜、電車も止まり、舞台のようなオフィス街の廃墟
台風が来るという茅場町はもう
死者の街みたいに静まりかえっている
空まで生えたビル群が
雨に打たれてひっそりと
墓標のように立っている
そこを
地元の子供が一人
ここぞとばかりに大声で歌って歩いている
そりゃあこの街に住んでいたらそうなるわな
子供ってそういうものだ、子供の唄声だけがコンクリートの密林を谺する台風の夜

 

それにしてもうるさいなあ

 

おかあさぁん、何でこの人裸で寝てるの?
…仕方が無いでしょう、ここには寝間着も無いんだから、そういう人なんでしょう、あんまりじろじろ見ちゃ駄目よ
おかあさぁん、この人呻いてるよ、なんでなんで?
…苦しいんでしょうね、さ、あんたも寝なさい、私たちはこっち側で寝るのよ、窓側でね

 

窓は閉まっている、何も聞こえない
真夜中、多分暴風雨が悪さをしているという予定だけが延々と流れている
隣の母子は私を見て相変わらずぺちゃくちゃと喋っている
年端も行かぬ子供が私に興味を示して
さっきから私を突いている
私は素裸で、余所の子供を無視してまどろんでいる

 

たまに目を覚ましては意図的に身体を動かしてうっ血を防いでいる
腰が痛い、重い、等とは別次元の痛みが発生する、これは台風だ、身体の台風だ
私を構成している骨組みそのものにガタが来ている
私を構成する糸がぷつんと切れそうな、実に、全てにめげてしまいそうな痛みだ
しかし血液の運行を取りやめにするわけにも行かぬ、私は目を覚ましては身体の向きを怖々変え、悔し涙する
ああ、憧れの先生は結局、エリートだからな、エリートだからなあ…遠い人だからな
痛みはともかく気持ちも絵をこさえては持参する姿も、哀れで仕方が無いだろう私の事は、彼からはそんな風にしか見えないだろう
杖が欲しい杖が、真夜中の便座に座った途端に脱臼しかかるとかもう、この身体の使い道は一体何だというのだ
畜生、畜生、おい、何を笑っていやがるこのクソガキめ

 

ねぇおかあさぁん、この人泣いてるよ?何で何で?
…さあねえお母さんにはわからないよ、その人に聞かなきゃわからないよ
おかあさぁん、この人ずっと泣いてる、あ、寝始めてる!
…そうね、私たちも寝ましょう、お母さんもう寝るよ

 

同衾している母子のうちの子供が、私にぴとっと寄りかかってきた、こっちだっていい加減寝たい、同衾は本当に疲れる、ビジネスホテルには魔が宿っていて、他者と自分を比べて泥沼に沈む罠が仕掛けられているのだ、私はそれに引っかかり涙している
その子供は、素裸の私が無反応なので何かちょっかいを出そうという魂胆らしい
あのなあ私はな、愛人の子供しか可愛いと思ったことがないのだよ
余所の子を可愛いと思ったことが無いんだよ、人類なんて滅びちまえ、クソガキ
寝入りばなにこうも背中をつんつんされると段々と腹立たしい気持ちになる
あ、うそ…
口に何か触れた
子供の指だ
小さな小さな指が
私の口の中で
ちろちろと動いている
そうか、目にもの見せてやろうじゃないか、これで子供が大泣きしようが構うもんか

 

私は

台風の訪れている真夜中、口の中に入れられた見知らぬ子供の、その小さな指を

思い切り噛んだ

 

意外なことに
子供は無言だった、全く動じていないらしい
指は尚も少し、申し訳なさそうに動いている
というのもこの私自身がその指に思い切り噛みついているので
子供は、この素っ裸の女の口から、指を抜くに抜けないでいるらしかった
それにしても唐突に大人しくなったものだ
それならこうだ、とばかりに私はその子供を思い気入り目を見開いて睨み付けた
こっちも苛々してるんだよクソガキ、私は寝たいんだよ
台風の日なんだから寝るとこ無いのはお互い様、そのお互い様の領域を超えてんだよこのクソ親子め

 

ああこんなとき
あいつならきっとね
歌って跳びはねて舞台を駆け回ったあいつならきっとね
嫌な顔ひとつせずに余所の子供に優しくしたと思うんだ
「てかお前こんな可愛い子をクソガキとか酷すぎじゃない?」っていうあいつ独特のオカマ口調で私を責めるだろう
「てか子供の指噛むとかあり得ないから!」っていうあいつ独特のオカマ口調で私を責めるだろう
「お前は足痛いかもしれないけどさ、親御さんだって疲れてるんだよ、そんでこの子はお前に興味持っただけで、悪気があったわけじゃない事くらいわかるでしょ?」っていうあいつ独特のオカマ口調で私を責めるだろう
こんな可愛い子を!とか言いながらこっちを見ているあいつの顔を思い浮かべていたらさらなる涙が流れてきた
こうやってビジネスホテルには涙が溜まってゆくのだよ、それを誰かが掃除するってわけ

 

私はしばらくの間、宙を睨み付けていたが誰も居なかった、窓の外がぼんやりと明るいことに気がついた、朝が来たのだ
ゆっくりと起き上がると、口の中の指の感触も消えていた
私は裸で部屋に一人
暴風雨の音すら聞かなかった…台風は来たのだろうか?
一晩中、この大きめのベッドの窓際で眠る母子の気配がしただけで…本当に台風など来たのだろうか?
「台風だからって知らない親子と同衾とか、無いでしょ…」
一人で脱力しつつ、運転再開の知らせを聞くやいなや無職の私は朝のオフィス街へ繰り出す
ずっと昔に行ったハワイみたいだ、南国の風が高いところから帯のように季節外れの夏を運んできている、泣いた後みたいに全てがキラキラと輝いている
ほとんど何の苦労もなしに地元の駅に辿り着いた途端思い知る
入場規制で駅員二人が玩具みたいなロープを手に、改札の前に立っている、数え切れないほどの出勤を控えた一群が駅員の一挙手一投足を見ている、もうすぐレースが始まるらしい
確かに台風は来たのだ

 

あいつは
現実では幽霊みたいな奴なんだよな
あいつは
きっと舞台の上で生き返っているのだ、あの劇団ではのめり込めばのめり込むほど浮いていたけど、それでも飛んで跳ねて歌うのがあいつなのだ
台詞こそがあいつの本音なのだ
だから何処かで
あの子供は騒いでいるのかも知れない
「おかあさんと寝てたら女の人が居て、その人に指を噛まれた!怖くて声も出なかった!そして消えちゃったのその人!」って騒いでいるのかも知れない
何処かでは私が幽霊なのかも知れない
キャンバス以外の場所では私とて、あいつ同様
幽霊なのかも知れない