a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

【仕事について】目の前に確かに在る仕事(頭と身体の弱い人間の働き方)

 


今月末でベッドメイクの仕事を辞めることにした、何故ならば、今月末で私の雇い先である清掃派遣業者がこのホテル…もとい、この地域から一気に撤退するからである。
持病の臼蓋形成不全が悪化したように感じ始めていたので、撤退と共にそのまま自然に解雇という形を選択した、次の派遣先に内定が決まっていたが辞退した、寒くなってきて骨が痛むようになったと伝える。
「ああそれはそちらの派遣会社からも少し聞いていましたよ、骨が弱いんですってね、了解しました」と、次の派遣先の女社長は実にあっさりと私の内定辞退を承諾した、弱い人間は切りたいという感触があった、生き物ならば弱者を避けるのは当たり前である。

 

私は、自分で言うのもなんだがベッドメイクの現場ではよく出来る部類の人間だった。
ここには2年居た、少なくとも自分に出来る最大限の働きをしたと思っていたし、はっきり言って現場の女ボスたちには非常に可愛がられていた、体育会系のノリが意外にも性に合っていたのである。
【目の前に確かに在る】ものを完成させてゆく、という仕事自体がとても楽しかったのでミスもほとんどしなかったし手先を動かすのが得意なので必然的に仕事も早かった。
だが、雇い先はそうは思っていなかったらしい、本来であれば若い私はもっと出勤日数を増やせるはずであった、しかし骨が悪いらしく週3~4しか働けない、そして現場での評価が妙に良いのでむやみに解雇も出来ない…みたいな空気を感じた、雇い先が私をどう見ていたかの空気みたいなものを私はようやく悟ったのである、我ながら理解が遅すぎる。

 

数字の概念を理解出来ない私にとって、やれる仕事は本当に少ない。
立ち仕事は現在の私では骨が痛んで辛すぎる、以前は図書館に通算8年ほど居たが今はもう出来ないだろう、図書館は貸し出し冊数以上の数学概念は不要であるので私にも長く勤める事が出来たのだ、しかしもっと動きたいと身体が言っているようだったので、引っ越しと共に清掃業務をやることにした。
ベッドメイクは楽しい…動き回って手先を動かす仕事が性に合っていたのだ、意外に思うかもしれないが身体を適度に動かすということが身体に痛みを感じやすい人間には楽なのである、同じ姿勢を続ける修行は小学校から開始されるが、苦行でしかないのだ。
よって座り仕事も、動き回る仕事よりもその実、身体が痛むのである。
それ以前に…事務処理仕事は私には理解出来ない物事ばかりでミスが多発した過去があり、とてもじゃないが座り仕事には手を出せない。(年齢、実技共に当然採用もされないので安心だ)

 

私の父はレジ打ちやサービス業全般を馬鹿にしていた。
「【仮に】という数学概念を理解出来ない奴らは【目の前に確かに在る】ということにしか頭が至らないんだよ、だから時間制で雇われているんだ、健常者とはいえ縄文人くらいで止まってるんだよ頭が…ああはなるなよ」
IQという物自体が今ではあまりあてにならない空気もあるが、父はこの分野に長けており、この種のテストをいとも簡単にこなす。
通常よりも高い数値を出す父は、確かに物事の概念はすぐに理解出来る、新しい仕事もすぐに覚える、世の中馬鹿ばっかりだという父を私は恐れていた、その世の中には私も含まれていたからである。

 

ダーウィンは進化論を提唱したし、昨今それに根本的な異議を唱える人間は少ない、皆心の何処かで思っているのだ、私の父とて思っていたのだ。
自分の惹かれる異性との間に生まれた子は自分よりも当然進化しているはずだと、皆何処かで盲信しているのだ。
自分が簡単に理解出来る事を、根本的に理解不能な子供が生じるわけがないと、皆何処かで確信しているのだ。
もし自分よりも子供が、健常者なのに馬鹿だった場合は悲劇である、そして馬鹿という生き物は基本的に三半規管が弱く、いい歳になってもすぐに吐くので体力的にも脆弱である、甘えるなと叫び疲れた親は遂に感情のやり場が無くなるのだ、自分の信じていたものに裏切られた気持ちだけが渦を巻き、手をあげるようになる。

 

そこで活躍するのが巷で大人気の…病気という概念である。
病気は全てを吸い取ってくれる、もっとも、この場合は親の感情的なやるせなさを吸収するのである。
いつか病気という概念自体が、人間の感情を吸い過ぎてブラックホール化するのではないか、宗教化するのではないかと思っている。(私の臼蓋形成不全だってただの骨の痛む人でいいはずだ、だが、病名が在るということが痛みが在るということを他者に理解させるのに一役買っているのを私自身も、実感しているのである、よってこの病名宗教化現象には私自身も堂々と加担しているのである。)

 

本当に生き物が進化の系譜を辿っているはずならば、私の脳みそが縄文人で止まっているわけはないのである、親と稀に会って話すと実感するのだが…残念ながら私は明らかに親よりも退化している、親の見ている概念の【仮の】景色は、親には存在が確かなのに私には見えもしないのである。
進化というよりも適応と言った方が良いだろうか…生物がその場所や集団に適応するように生じるはずなら、私は頑健で頭も良かったはずである。

 

10代の私はレジ係をやっている、レジにお釣りが表示される、そのお釣りの数字の模様と、硬貨とが合致しない。
数字という模様と、硬貨との間には見えない川が流れており、私の手はその流れに翻弄され数秒間宙を彷徨う。
レジ打ちすら満足に出来ない私を父は、苦々しい面持ちで見据えている。
進化論という現代の宗教さえ無ければ、父から見て私が至らなくても、私がそのことで極度に感情的に殴られるような事は頻発しなかったろう。
少なくとも悲劇的な人間関係にはならなかったと予想する、よってダーウィンを私は恨んでいる、大いに逆恨みしている…というのは冗談でもあり半ば本気である。

 

とにかく手先が使いたい、身体を動かしたい、【目の前に確かに在る】ものを生産したい。
ああ無情、これぞ器用貧乏が器用貧乏たる由縁である、そこに数字の概念が完全にすっぽりと欠けているからである。
ただの器用は数字の概念を理解しないので、器用には貧乏が付くのである、それは今しか見えていないからである、よって私の出来る仕事はもう内職しか残されていないのである、勿論向いているだろう、器用さだけが取り柄ならばまさに適職だろう、鬼に金棒、何も残念に思う必要は無いのだ。

 

楽しい職場の記憶なんて過去のものだ、今ではないのだ、そして未来を計算する事の出来ない人間は現在だけ見ていればよいのだ。
何を寂しがる、何を悲しがる?
身体の弱い人間が雇用されるという形式の群れの中に居たって、身体が弱いと口にした途端、人格破綻しているように見られるだけなんだよ、賃金以外にも他者に優しさを求めているだけの人間だと思われるだけなんだ。
何を隠そう私自身が、仕事がこなせないなら帰って寝ていろという思考の持ち主なのだ、私は身体が痛む中一生懸命働いているんだから、お前の分までお情けで働く義理はねえぞと心底思っている人間なのだ。
つまり私のような考えの人間が居るから、職場というのは縄文時代から遙かに時間が流れたのにもかかわらず、概して体育会系が保たれ、強い者の根性で歯車が回されるのである、無理をしてでも強い者として糧を生じさせるのである。
弱い者よりも力の強い者が一員になったほうが良いという考えがまかり通るのである、だから私は辞めてゆくのである、弱いから辞めてゆくのである。
弱くて頭の良い奴なら家で株を、身体も頭も弱く手先しか強い部分が無いという輩は内職をしていろと心底思っているので、その通りに行動するのである。

 

内職の給金を調べる、発展途上国ならばまあまあの給料かもしれない、全額貯金すればいいのかもしれない、貯金とは一体何なのかいつまでも解らないが模様の織られた布を貯めるような気持ちでいればいいのかもしれないと自分をなだめる。
この給料の割に、この手の職業でミスをした場合誰もかばってはくれない、ボスはいないのだ、雇われ先は無いのだ、市役所に商工登録した私一人しか居ないのだ。
金がもっと欲しいだなんて寝ぼけたことを、金は数字である、数字が不確かなものなら、それは幻である。
自分からは可視化できない霊的世界を欲しいだなんて、実体の無いものを手にしたいだなんて、何を寝ぼけたことをと私は自分自身に言って聞かせるのである。

 

概念の世界を泳げるようになれば金を稼ぐのは簡単である。
世の中はもう概念の世界で動いているのだ、働く事で動いているのでは無いのである、【目の前に確かに在る】もので動いているのではないのである。
【仮に】が全ての存在の頭にくっついているのが現実社会なのだ、仮に、仮にという概念の世界を泳ぐことが出来れば…数字を理解出来たのだ、父を理解出来たのだ。
【仮に】という数学概念を噛み砕いて言うと、それは予定を立てるということである、計算するということである、そして計算し合い、投影し合うのが現代社会であり利益を出すということである、未来が可視化出来る連中は金を稼げるのである、未来を可視化出来ない連中は…何も出来ないのである。

 

もう縄文時代はとうの昔に終わっているのだ、だから勉強を教えたのにと父は言う、だから数学を教えたのに、だから英語を教えたのに、だからパソコン関連の雑事を教えたのにと父は、背中で語るのである、お前に株を理解するのは到底不可能だよと老いた父は遂に、一人優しく頷くのである。