散文の自画像 

創作魂を持つ大熊という人間が、散文で日々の自画像を綴る文章ブログです。

《創作》地下牢(グロ注意)

 

地下牢に男が一人、座って何やら言葉を発していた、蝋燭だけが男を静かに照らしていた、その小さな炎だけを男は頼り、ただひたすらに人の姿を求めていた。
朝…といっても暗がりに何日も閉じ込められている男には解らなかったが…番兵が牢獄の入り口の、ちょうど階段を下る手前に兵役の訓練で使う藁の的を置いた、置き場所に困ったがためにそこに放置された大きな藁人形は、影となって牢獄に佇んだ。
目を覚ました男は歓喜した、久々に人間に会えること自体に歓喜した、男の場所からは藁人形は全く、人影に見えた、人が一人こちらを向いて座って居るように見えた。

 

「おい君、聞えるか?聞えているんだろう?私は無実だ、私は神官だ、ここから出してくれ!」

 

男はありったけの声で叫んだ、蝋燭が男の吐息で揺らめき、男の目からは藁人形が…座した人間が少し動いたように見えた。
男は自分の粗相を思い出したくなかった、全て忘れてしまいたかったが毎時間思い出してはうろたえた、穢れた身を清めさせてくれと神に祈った。

 

「せめて水があれば…ありったけの水があれば私の穢れは落ちるはずなのだ…穢れているから私は投獄されたのだ、神殿の庭を穢したから投獄されたのだ」

 

しかし…と男は思った、実のところ納得がいかなかった、そして納得がいかないという思いを抱いているからこそ反逆罪でここへ投獄されたのかも知れないと考えた。
全てあの昼食会に参加した者たちには見抜かれているのかも知れない…男は悪寒が走った、それもそのはずである、男は数日前、病に冒された人間の肉を食べたのだ。
人肉を食べさせられるとは…男は再び嘔吐いた、投獄されてからも嘔吐き続けていた、日に一度施される何かの盛られた皿を少しだけ啜ったが咀嚼して飲み込む事は叶わなかった、男自身も病に冒されたのかも知れなかった。

 

「あんな事が許されるのか…神殿の中で…あんな行いが…でもあの行いそのものに神性が宿っていて、それを私は見抜けずに居るのかも知れない」

 

だから投獄されたのかも知れない、知れない、知れない…男には何一つ決定的な部分が解らなかった、頭の中で神典をめくった、ひたすらにめくった。
男は幼い頃から神典と共に生きてきた、最早頭の中に神典が在って、神典の第何章何節と考え、手元に在る架空のページをめくればその内容が一字一句そのままに読めた。
男はそうやって「蝋燭の灯りで」本当に神典を読む如く、牢の外側に吊された灯りににじり寄って手元の神典をめくる仕草をした、ここ数日それを繰り返していた。

 

神典には男のように無実の罪で投獄された、預言者の話もあった。
神典には男のように無知の罪で投獄された、神に背く者の話もあった、王族に背く者の話もあった、神罰を下され、石打ちの刑に処された者の話もあった。
また神の為に人を食べようとした人間の話もあった、神の為におぞましい近親婚に身を投じる者の話すらもあった、神典にはおよそ、世で言うところの善悪は無かった。

 

男は昔からそれが疑問だった、おかしいことが何故許されているのか全く理解出来ぬまま男は神官となった、妻は居なかった、神官とはそのようなものだった。
神殿には神を降ろす女がやって来るときがあった、神をその身に降ろした女はその一夜は神そのものであるため、神との交わりを行う神官もいた。
それを嫌悪する一派に男は属していた、そのような戯れ言は言語道断であるとし、血の穢れのおそろしさを説いて回った。

 

「あれで恨みを買ったのかも知れない…陥れられたんだ…私は陥れられたんだ、穢れを食べさせられるなんて事の何処に神性が宿っているというのだ?なあ、君、そう、そこの階段に居る君、話すのも口が穢れるような気がして私は話せない、病気の女だぞ、病気の女が昼食会に運ばれてきたんだ、生きていたんだ…」

 

外の遠くかすかな空気が揺れたような気がした、笛の音だった、もうすぐ聖なる収穫祭りだということは男も知っていた、既に数日経ったのかと男はその時に気付いた。
笛の音は耳を澄ませば澄ますほどに大きく聞えた、男の知る懐かしい神を讃える歌が男の耳元で張り裂けんばかりの大音量となって音楽を奏でた、男は耳を塞いだ。

 

「今の笛の音は…君にも聞えたろう?あるいはこれは私の幻聴なのか?笛の音が聞えるだろう?なあ、こんなにうるさくては話が出来ない、君、頼む、ここを出してくれ、私は身を清めたいんだ、頼む」

 

男は身をよじって叫んだ、ああそうだった、あの日も音楽が奏でられ私は中庭に居た、神聖な中庭に。
男の意識はまだ中庭に在った、神殿の中庭は緑と白の小さな葉を持つ草で覆われていた、神典でも聖なる草とされる植物が神殿を覆っていた。
中央には泉があって、そこには鳥たちがやってくることもあった、朝の光を受けてこの泉が輝くときの光景は神々しく、泉は穢してはならないものの喩えとして説法でも取り扱ったほどだった。

 

…その泉に男は粗相をしたのだった、投獄されるのは当たり前と言えば当たり前だった、男は気力が失せていった…男の身体は汗ばんでいた、身に纏っているものにはその日吐き出した汚物がまだ残っていた、髭にも汚物がついたままだった、男はまさに穢れていた。

 

あの日、神殿に招かれた面々を思い出してみたが、男には理解出来なかった、何故皆があのような出来事に応じたのか理解出来なかった、男だけが応じる事が出来ずに吐き戻したのだった。
あの日は神官たちが王族を招いていた、神殿に備え付けられたとんでもなく巨大なテーブルを取り囲んで数十人の男たちが座っていた、昼下がりの中庭が食事の席から見え、鳥たちもおこぼれをもらうために舞い降りてきていた、麗らかな日であった。
音楽が流れ、王族たちもやって来た、はじめのうちは簡素な前菜が配られて酒も振る舞われた、酔って混然一体となることは聖なる事だった。

 

…それからだ…男は身震いした、男の目に檻に入れられた女が、粗野な番人二人に抱えられて祝いの席に連れられてきたのだ、音楽はそのまま流れていた、一瞬、神官たちは動揺して皆、顔を見合わせた。

 

しかし誰も止めなかった、王族の遊戯を止める権限のあるものなどその場には居なかった、そのような者などこの時代には居なかった、いつの時代にも居なかった、檻はそのまま皆が座して居る大きなテーブルのそばへと揺られてきた。
まさかこの食卓の上に、病気の女を乗せるなどということまではしないだろうと誰もが思っていた、男は既に目を覆っていた。
凄まじい金属音がして嫌な予感は的中した、番人たちは檻を食卓の上へと置いた、それでも楽団員たちは音楽をやめなかった、神官たちは硬直していた。

 

檻の中の女は既に高熱に魘されているらしく意識は朦朧としていた、それだけでも十分に穢らわしかったが、女はほとんど丸裸の状態で、素肌からは異様な何かがびっしりと生えていた、それは木の芽だった、なんともおぞましい光景であった、一目見て皮膚病の女だとわかった、皮膚病の女を食卓の真上に乗せるなど…それも神殿の神聖なテーブルの真上に載せるなどあってはならないことだった、極めつけに女の股からは血が流れ、テーブルに滲んだ、神官たちは口を覆った、穢れが入らないようにである。
しかし誰も発言しなかった、問うこともしなかった、この呪われた宴の目的を問う事自体が神の意図に反しているようにも思われた。

 

檻は番人たちによって解錠され、女は髪の毛を引っ張られてテーブルに横たえられた、檻は番人のうちの一人が携えて何処かへ持ち去った、既に食事は始まっていた、各人の前に皿が用意され、そこには味の良い供物が並べられていた、既に皆が食べ始めていたのである。
番人の一人は鋭い刃物を持っていた、何が起こるのか皆固唾を飲んで見守っていた。
あ!と誰か言った、その時に刀は女に振り下ろされ、女の表皮に生えた木の芽が削がれていくつか食卓に転がり落ちた、木の芽は新緑で若葉がいくつか付いていた、削がれた枝の部分からは鮮血が流れていた、女の肌からも血が流れていた、血と、この病によって硬化した皮膚が見えた、女は悲鳴をあげた。

 

男の皿の中に木の芽が、滴る血をそのままに落ちてきた、王族は笑っていた、仕草で「食え」と皆に促した。
この血の宴の意味するものが果たして何なのか誰にも解らぬまま、皆は目配せし合い、女は悲鳴をあげ続けた、悲鳴があまりにもうるさいため番人が女の頭部を強く殴ったが王族はそれを阻止した、悲鳴と血と病、穢れこそを楽しむべきであるという意図が見て取れた、最早正気で居られる者は一人もなかった。
女から発芽した木の芽は給仕が細やかに小皿に盛って各人の前へ置いた、皮膚病の皮膚そのものを食えという命令にどう対処すればよいのか誰にもわからなかった、すると鳩が餌をねだりに来たのだろう、ふわりと食卓に舞い降りてきた。

 

鳩はそのまま男の目の前まで来た、鳩は紅い嘴で血と硬化した皮膚のついた木の芽を咥えた、持ちきれずに落として、葉の部分だけをついばみ始めた。
葉を食べ終えると鳩は血を啜った、鳥が血を好むのは山師から聞いていたがどうやら本当の事らしいと男はぼんやりと考えていた、食卓の真ん中に肉の削がれた女が、肉の削がれた狩りの獲物のように…肉そのものといった体で…虫の息で横たわっていた、背中中を削ぎ取られ、血と透明な体液が滴り落ち、病人特有の匂いを発していた。
鳩は嬉しそうに再び次の木の芽を咥えると優雅に飛び去った。

 

給仕が、誰も手をつけないのを見かねて再びやってきて木の芽に塩や香料を振りかけた、塩とありったけの香料で緩和された「食材」は一見、本当にただの肉の切れ端のようにも、サラダのようにも見えた、中庭は何事も無いかのように相変わらず輝いていた。
神官の長がまずそれに手をつけた、鳩を真似てか葉の先だけを少しだけ囓り、王族に目配せした、それを見てほとんど全員が同時に小皿に盛られた女の肉片を食べ始めたのである、病気の女の、病気の肉片を口にし始めたのである。

 

男は長に倣って葉を口にした、葉は苦い味がした、塩の味がした、女の病んだ唾液と涙の味がした。
王族は「残さず食べろ」と合図した、皆青ざめていた、涙を浮かべている者もあった。
男は木の芽の木の部分を食べる気にはなれなかった、断面にはまさに女の肉がこびりつき、血が垂れているのである、しかし食べぬわけにはゆかなかった、一つを口に放り込み、咀嚼した、嫌な弾力があり、血の味がした、見知らぬ経血の味がした。
周りを見てみると不可思議なことが起きていた…何人かが笑顔になっていたのである、神官のうち数人が笑顔で食べ進めていたのである、もう小皿を空にしている者もあった、男は冷や汗をかいた。

 

女の木の芽には食べたものを感化させる働きがあるらしかった、神官たちは皆、何かが「降りてくる」とか、「光が見える」「音の色が見える」「音楽には色がある」と騒ぎ出していた、立場や年齢にそぐわぬ妙に無邪気な彼等の様子を見ていると、感化の起こった者たちの知能が何やら少し退化したような印象を受け、男は狼狽した、やはり病気の種なのだと思うとますます鳥肌が立った。
しかし中には嘔吐すまいと口を真一文字に結んで微動だにしない者もあった、王族の許し無く退場することも叶わなければ吐くことも許されず、かといって食べるために口を開けることすら不可能といった状態だった…男もそうであった。

 

男は口の中の一欠片をどうにか飲み込もうとした、もう女の味が広がっていた、他人の指、他人の頬…咀嚼した次の瞬間に何らかの光景が広がった、女の記憶と思われる何かだった、女は大柄な影から逃げていた、逃げて光りを反射する泉へと身を投げた…。

 

気付くと男自身が席を立ち、中庭へ向かって走り出していた、誰にも男を止める事は出来なかった、男は影から逃げていたのだ、女の記憶から逃げていたのだ。
光を反射する聖なる泉の前まで男は来た、中を覗き込む仕草をしたつもりが一気に嘔吐していた、男は吐瀉物まみれになって泉の中へ倒れ込んだ。
…男が意識を取り戻したのは蝋燭の灯りがたったひとつ揺れる地下牢でだった、土壁ではなく全てが石で厳重に作られた独房に男は入れられていた、牢の全面は檻になっていて階段の隅や蝋燭が見えた…それだけが男を、辛うじて狂わせないでいる要素だった。

 

「あれは一体何だったのだ…何故あんなものを食べなければならない、穢れている、穢れている!」

 

説明出来ない物事に男はうろたえ、自分の処遇があまりにも酷いのを嘆いた、神典の中にも自らを嘆く皮膚病の男が居るのを男は思い出した、それでも自分の不幸よりかはまだマシな気がしてならなかった、この牢獄に果たしていつまで入っているのか皆目見当もつかなかった。
笛の音はいつの間にか止んでいた、聖なる収穫祭りが終わったのか、あるいは自らの幻聴だったのか男には判別出来なかった。

 

「なあ、君、聴いているんだろう?返事をしてくれよ、私はあの時どうすればよかったのだ?聖なる泉を穢したから投獄されたのか?穢れを食べなかったから投獄されたのか?」

 

その時まさに男の耳元で声が聞こえた、男の聴きたかった声だった、答えをくれる声だった、影の声だった。
…君が貶めたからだよ、穢れを貶めたからだよ、穢れを穢れだと貶めたからだよ…
…女の肌から何が生えてきていたと思う?…
…穢れが生えていたのではないよ、確かにあの女は病気だ、だけど病気が生えていたわけではないんだ、ねえ、あの女が生じたのは一体何の力によってだと思う?…

 

「神…神によって…」

 

…神と言ってもいいけれど、彼女の両親は偶然出会ったに過ぎない、異教徒だからねあの女は…
…君の崇める神の力の及ばない場所にあの女は居るんだよ…
…あの女の皮膚からは木の芽が生えていた、そこに理由なんて無いんだ、ただ偶然生えただけさ、つまり偶然が生えていた、ただそれだけなんだよ…

 

「わからない…つまり私は神を貶めた罪でここに居るというのか?でも女の崇める神は…全部偶然だというのか?何にも何一つ理由など無いというのか?私の投獄にも?」

 

…偶然、偶発を愛せと神は言っているんだよ…
…それが君には聞こえず、恐れによって偶発そのものを貶めたから、ここに居るのかも知れないね、あるいは…
…あの女は君自身なのかも知れないね、君は自らを貶めた、偶発的に生じた自らを貶めた、自らの神を貶めた、だから相応の処遇を受けた、全ては神の僕になるための試練なのだよ…

 

「そんなはずがない!!私は私だ!!神官をずっと昔からやってきた!!異教の神を崇めたりもしない!!穢れたりしない!!私は私だ!!」

 

男の声が牢獄の中に何十もに反響した、女の木の芽を食べて感化した連中ならそれが虹色に鈍く輝いていることを見て取ったろう、しかしそこには男以外の誰も居なかったのである。
蝋燭が自然に消えた。
男は自分の大声で蝋燭が消えたと思っていよいよ半狂乱になった、地上へと上がる階段の隅に座る人物に精一杯呼びかけたが誰も返事をしなかった。
唐突に男は悟った、誰も居なかったのだと男は一瞬にして悟り、愕然とした。
次の瞬間に男は何十人もの、何者かが自分を一斉に見つめているのを感じた、それが影たちであることを男は知る由も無かった、影たちが何者であるのかを知る由も無かった。

 

翌朝、日に一度の食事を与えるために番兵が地下牢へとやってきた、昨日置いた練習用の藁人形が階段の下に転がり落ちていた。
妙な予感がして番兵は牢の側まで近寄ったが、既に男は息を引き取っていた、その目は見開き、両腕は何かを掴もうと持ち上がったままだった、男が一体何を見たのかを本当に理解したのは件の女だけだったろう。
男は付近の墓地に投げ捨てられ、雨水に打たれ清められ、ついに、晴れて神の僕となったのである。