a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

《創作》鳥肉

 

僕は楽園に居るのをやめてしまった、大体10年前に僕はその庭園から抜け出て、以来外側から楽園を見ていた。
内部の構造は迷路のようになっていて、手をついて廻っても楽園の中心部には決して辿り着けないのだ。
かと思うと、何の自覚もなしに庭園の中心部に居る連中も居る、生まれてから死ぬまで無自覚に遊び続ける連中も居る。
僕はどういう訳か楽園の構造自体は把握していた、鳥という、この名前の通り僕は飛べたから、上から見た簡単な迷路を、僕は知ってしまっていた。
鳥は日々飛んでは、地面からは見えない物を俯瞰し、どんどん賢くなり…だからこそ恐れおののいて幸福から遠ざかる、愚かな生き物なのだ。

 

空き缶の中に吸いかけのタバコを押し込んだ、たまに真っ白な調理衣に灰がついてしまう、空き缶は僕の吸い殻を口で受け止めながら静かに笑って言った。
「大変な事になってるな」
僕は空き缶の言葉を無視した、僕にとって大変な事とは…楽園から完全に切り離される事だった、楽園を見られなくなることだった、それ以外に大変な事などこの世には存在しなかった。
「今日もまた話し合い、明日はここへ来てその白い服でステップを踏んでタバコを吸って、明後日また話し合い」
僕は空き缶の言葉を無視した、僕にとって話し合いは…必要だったが不必要だった、それは楽園にはあまり関係が無いように思われた。
楽園の事を妻にも話した、あの女はもう楽園に居るんだ、僕はそう言った、その点では確かに妻は…僕の理解者だった。

 

僕が女にした事といえば、既に楽園に居る女に、迷路遊びをしようと提案した事くらいだった。

 

女は楽園に居るのにもかかわらず、林檎の木と会話しているのにもかかわらず、僕と出会ったその時にはまだ蹲っていた。
あまりにも長い間…少なくとも女にとっては…蹲っていたので蔓草が女にまとわりついていた。
僕は上から声をかけた。
「真っ白な時間を過ごしすぎて怖いんだね、わかるよ、何でもいいから線を引いてごらん、何本も何本も何本も繰り返し繰り返し繰り返し…それが力になるから」
女は意外なほど素直に僕の言葉を飲み込んだ、スケッチブックに何本もの線を引き、言った。
「駄目…夜の緑の光が出てこない、私の線は光っていない」
僕は再度女に教えた。
「大丈夫、そのうちひとりでに線の後ろの空間が君の手を動かしてくれるようになるから…君はもう楽園に居るから、楽園を信じてごらんよ、在るということを信じてごらんよ」
すると女にまとわりついていた蔓草がほどけ、女は立ち上がった、女は楽園を信じられずに居たのだ、そしてまさにその瞬間から、楽園を信じたのだ。

 

心臓が嫌な調子で伸縮しているのを僕は感じた、身体は物事の重さに絶えきれなくなっている様子だった…それでも不可思議な力がいつも僕には漲っていた。
「それは楽園からの力よ」
女はいつだったか僕に向かってそう言った。
「あれだけ巨大な作品を作っていた人が何もせずに居て、耐えきれるわけがないじゃない、破裂しないように力を吐き出してるのよ」
女はそう言って何か下品な仕草をして笑った、僕は言った。
「そうだね、何の不思議もないね…でも、楽園の外側から見たら僕は…」
そして妻との出来事が浮かび、僕は口を噤んだ、僕は楽園の外側に居る、僕は楽園の外側に居る。
妻も楽園の外側に居る、息子の神無月もそうだった、だからこそ外側での僕は彼等とうまくやってゆけると、僕は楽観していた。

 

僕はタバコに火をつけた、煙は宇宙までのぼってゆく、海の匂いが辺りに漂っていた、女からは草木の匂いがすることを僕は思い出した。
「何一つ矛盾が無いって顔してるな」
空き缶の言葉に僕は頷いた、事実そうだった、楽園に居ない人間には楽園は無いのと同義だった、だからこそ女の事も説明しようがなかった。
でも、楽園は外側まで浸食してきたのだった。
僕の生活にまで浸食してきたのだった。
楽園とは無関係の女であったら…今までのように、そのような女が何人居ようとも…特に問題にはならなかっただろう。
誰も泣かなかっただろう。
僕が欠けてきているのを、生活を共にしている人間は感じたのだ、彼等は、欠けている僕を心底心配している。

 

「あんたのチンポをちょん切って食べてあげる、身体の肉も全部味をつけて焼いて食べてあげる…本当は、食べるなら私よりも若い男がいいけど、あんたは鳥だから特別よ、涙も全部、スープにして飲み込んであげる」
女の声が耳元で蘇った、その瞬間に陰茎が根元から立ち上がるのを僕は感じた。
空き缶が冷やかすように言った。
「おい、大丈夫か?」

 

僕はふいに、あの女に既に自分が食べられているのだと感じた、そしてそれこそを望んでいるのだと気がついた。
今まで僕は、自分を食べてくれる人を望んでいたのだ、だからずっとずっと探していたのだ。
飽きもせず相手を探し、探してはまた次の相手を探し、相手からの要求のその上を行くように加虐した…が、何かが足りなかった。
楽園が足りなかった、善悪への完全な許しが足りなかった、理屈抜きの喜びが足りなかった、与えられることが足りなかった。
つまり自分の肉を与えることが足りていなかった、自分の弱さを見せる事…その一切が欠けていた。
外側でのどんなに異常な物事も、病気も、おかしいと感じる全てが、楽園では許されている…女の語りかけるのを僕はただ聴いていた、心の中で聴いていた。

 

空き缶がまた何か言おうと口を開きかけたのが見えたので、僕は空き缶を蹴飛ばした、空き缶は店の裏手の路地を小さく音を立てて転がった、僕は夏が好きではなかった。
僕は仕事場に引き返した、楽園の一切を頭から閉め出そうとしたが難しかった、確かに僕の身体からは既に、楽園の草木が生え始めていた。

 

神無月にもこの草木が見えたのかもしれない、だからばれたのだろう、それでいい、それでいい。
僕はそう思いながら動物の死肉を刻んだ、血が少しだけまな板に滲んだ、鉄板は地獄のように熱かった。
僕は言葉で客に何かしら挨拶をした、僕の目玉は鉄板を見ていた、包丁は何も言わず僕を哀れんでいるようだった。
鉄板の温度、肉の厚み、涙、切り口、塩加減…女が僕を調理出来るはずなかった。

 

女が僕の肉を食べるとして…僕は冷静に考え、手先を動かした、手先は勝手に動いた、働いている時の僕は霊媒だった。
誰が僕の肉を調理するのだろうか…僕はため息をついた、もしそんなことになるなら新しい料理人が必要だった、新しい男が、女には必要だった、その程度の女だ。

 

仕事場だというのに、楽園の完全な外側だというのに、包丁が口を開きかけていた。
僕は、過剰に心配する包丁を制して本当に小さな声で言った。
「大丈夫、楽園でやれることを本当にしでかすのは、楽園に居る人間だけだよ、僕は楽園の外側に居るから…やらないしされない、人肉を食べられたりしない」
するとその瞬間、笑い声と共に女の言葉が聞こえた。
「あんたは鳥なんだから鳥肉よ、言ったでしょ、あんたは特別なのよ」
僕ははっとして見上げる動作をしたが、いつものように、まさに永遠の迷路といった体でワイングラスが無限に吊されているのが見えただけだった。
そういう訳で僕の冷や汗は、水蒸気となって、肉の焼かれる匂いと共に路地裏へ流れ、蝉の鳴き声のただ中に紛れたのだった。