a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

《創作》芝の根の国


女は庭の芝を剥がしていた、どこか凶悪な様相の、腰の高さよりも大きいシャベルを深く土に埋め込ませては、呼吸と共に掘り起こした。
芝の根の国は文字通り根絶やしにされていった、剝き出しの土には多くの生き物が右往左往し、嘆いていた。
蜩が鳴いた、女にはそれが朝焼けに響く声なのか夕焼けに溶ける声なのか判別がつかなかった、ともあれ空は薄紅色に染まっていた。
血の色だと女は思った。

 

ふと、シャベルが何かに当たって動かなくなった。
女はシャベルの上に脚を掛け、土に食い込ませようとした、が、脚に体重を掛けすぎるその動作が女を躊躇わせた。
女は仕方なく地面を手で掘り進めた、汗がココアのような土に吸い込まれていった。
このココアに石灰を混ぜて土壌そのものをアルカリ性にするのよ、と女は思った。

 

ここをハーブ園にするの、そのために変化の無い芝の国は根絶やしになるのよ、女は笑った、しかし泣いていた。
女は自分が何故こうも悲しいのか、悲しすぎて直視出来ないのであった。
涙はさらに土に混ざり、土は泥になった、芝の根の国に住まう生き物もまた、泣いていた。

 

「誰かの喜びは僕らの涙」
「誰かの快楽は僕らの涙」

 

いよいよ影の声が谺した、日は傾き、空には月が出た、細い細い悲しげな月だった。

 
電灯に灯りがついた、電子音が静かに周囲に響き、虫たちがそれに呼応した。
女は尚も両手で土を掻いていた。
その遂にその何かを女は掴んだ、結構大きい何かだった。
固い何かだった。
女は踏ん張り、何かをすくい上げた、そして悲鳴をあげた。

 

それは子供の頭蓋骨だった。

 

…どうして女が、頭蓋骨など普段目にしない女がそれを咄嗟に「子供の」と感じたのかは…言葉では到底説明がつかない、ともかく女にとってそれは子供の頭蓋骨だった。
女は無心になって周囲の芝を剥がした、肋骨、骨盤、大腿骨…ちょうどこのシャベルほどの全長の…小さな一人の人間を形作る骨が、子供の骨が、まさにこの庭から、芝の根の国から、土の中から、女を見つめていた。

 

「」

 

女がその時誰の名を叫んだのかは、女自身にも聞き取れなかった。
友人のような気もした、孫のような気もした、自分自身の子供のような気もした、とにもかくにもそれは4~5歳の男の子の骨であった。

 

翌朝、女はまた芝の根の国を根絶やしにかかった、朝夕は恐ろしい真夏の太陽、お天道様に見つめられるのを避け、蜩の時間に庭仕事をするのが女の日課だった。
女は、自分自身では抱えきれない程の悲しみに対し、冷酷なまでに無責任だった。
つまり女は、昨日の出来事そのものを忘却する事で、自分自身を保っていたのだった。
骨そのものを、女は忘却し、上から石灰をまぶした、石灰は土に混ざり土の色そのものが変化した、女は骨を見なかった、女は骨を見つけなかった、女はその現実を選択したのだった。

 

季節は移り、女はラベンダーの苗を庭に植えた、女はカモミールの苗を庭に植えた、女はローズマリーの苗を庭に植えた、そのように女は、次から次へとハーブを買い集めては根絶やしにした芝の根の国の残骸を、新しい王国に造り替えていった。
ハーブは風にそよぎ、夜の緑の光を得て、心地よさそうに育った、影もその合間を行き来したが女には話しかけなかった。

 

ある日ラベンダーが女に尋ねた。
「ねえ、あやさん、ここには以前何が植わっていたの?」
女は言った。
「芝の根の国がここに在ったの、今はもうあなた方ハーブの王国よ」
カモミールが尋ねた。
「芝の根の国はどこへ行ったの?そこへ住んでいた生き物たちは?」
女は言った。
「私が根絶やしにしたわ、だって、あなた方の顔が見たかったんですもの、芝の顔は能面みたいで見飽きたから」
ローズマリーはおずおずと言った。
「あのう…私、根が何かに絡まるのですけれど…何か埋まっているのではないかしら?もしかすると芝の根の国の根が残っていて、私の脚に悪さをするのかもしれません」

 

女は血の気が引いた。
何故自分に鳥肌が立っているのか理解できなかった。
女は言った。
「それはきっと牡蠣の殻よ、石灰ってそういうものなの、有機物の塊を混ぜているのよ」

 

ラベンダーが女に聞いた。
「有機物っていうのは、つまり、命あるもの、かしら?」
女は言った。
「命が宿っていたもの、よ」
カモミールが女に聞いた。
「それはつまり死骸ということかしら…?牡蠣の、死骸?」
女は言った。
「ちょっと違うわね、牡蠣の身は剥いであるわ、牡蠣の骨、みたいなものよ」
ローズマリーはおずおずと言った。
「…牡蠣の骨ってこんなに…固いのかしら?丸いのかしら?大きい、あるいは小さいのかしら?沢山の列があって…貝殻ってこんなかしら?違う気がするわ、なんだか怖いわ」

 

女は立ち上がってハーブの王国を見据えた。
ハーブたちは無言で女に従った、女がかつての王国を根絶やしにしたと女自身の口から今し方聞いたばかりだった、やわらかな太陽の逆光にあって女の表情は見えなかったがハーブたちは口を噤んだ。

 

確かに何かが女の逆鱗に触れていた。
女自身にも何故自分がここまで唐突に、強烈に苛立っているのかの理由がわからなかった。
強い恐怖、強い不安、あるいは…抱えきれない程の悲しみ。
女は踵を返し、庭を後にし、そしてまた翌朝には庭に戻ってハーブたちとたわいない話をして過ごした、従順なハーブたちは女が傅く姫であり召使いだった、何十年もの時間がそのように穏やかに経過した。

 

驚くべき事に、ハーブの王国は未だ健在だった、女はハーブの王国の僕であり頑健な女王であった、何十年もの間世話を欠かさなかった。
「ラベンダー、カモミール、ローズマリー…どの子も可愛いけれど、能面みたいでいい加減変化がないわ、飽きてしまった」
ごめんなさい、と女が口にしたかどうかは庭に潜む影にすら聞き取れなかった、口だけは動かすのを見たという影もあったが、定かではない…この種の物事に対し女がどれほど冷酷で無責任かは土たちがよく知っていた。

 

女はある日、女の腰の高さよりも大きなシャベルを納戸から引っ張り出し、土を掘り返しはじめた。
ハーブたちは黙っていた、王国は滅びようとしていた、次の王国が何であるかは女にもまだわからなかった、しかし滅亡は最早確実であった。
女はお天道様に見つめられるのを避け、朝夕の蜩の鳴く時間に庭仕事に取りかかった、殺戮でもあり正義の裁きでもあり、美学でもあり…尽きるところ女は自分の快楽の為に、どこか凶悪な様相のこの大きなシャベルを振り下ろした、ローズマリーが何か言ったが女の耳には届かなかった。

 

まさにその時だった。

 

女の手に持つシャベルは土の中で何かに触れ、カチンと音を立てた。
電灯に灯りがついた、電子音が静かに周囲に響き、虫たちがそれに呼応した。
女はその何かを調べるため、シャベルを投げ捨て、両手で土を掻いた。
その何かを女は掴んだ、結構大きい何かだった。
固い何かだった。
女は踏ん張り、何かをすくい上げた、そして悲鳴をあげた。

 

それは子供の頭蓋骨だった。

 

女は腰を抜かしてへなへなと座り込んだ、そして自分が数十年前に庭で発見した子供の骨のことを唐突に思い出した。
女は、その子供が果たして何処の誰なのかを最早思い出せなかった。
友人のような気もした、孫のような気もした、自分自身の子供のような気もした、とにもかくにもそれは4~5歳の男の子の骨であった。

 

女は痛む脚を引きずり最寄りの警察署まで出向いた、とにかく誰かに、自分の罪を告白したくて堪らなくなったのだ。
死刑になったっていい、女はそう思った、罪に対し、誰かがそれを傾聴してくれるという事だけが女にとっての救いだった、死ぬまでに済ませなければならない責務だった。

 

警官は動揺した、夕暮れに部屋着のまま飛び出してきた土まみれの老婆に懇願され老婆の住まう家までついていった。
蜩が哀れっぽい様子で鳴いていた、周囲には夜の緑の光が漏れ出していた。

 

「子供を、誰の子供かはわかりませんが4~5歳の男の子です、可愛い子ですよ、その子を私、殺して埋めたんです、もう数十年も前の芝の根の国の時代のことです、あの時代を引きずっているのです、酷い話でしょう、私それを今日の今日まで忘れていたんですから、ほら、ここに骨がありますからどうぞ検分してください、そしてしかるべき処分を私に下してください、何十年前の罪だろうと罪は罪です」

 

老婆の頬は濡れていた、警官はさらに動揺した、老婆の差し出した骨は、ただの牡蠣の貝殻や、土にまみれた小石だった。
警官がなだめすかしても老婆はここに骨があると言って聞かなかった、警官は牡蠣の殻を手に持って、それを老婆に見せ、まるで4~5歳の子供にするように語って聞かせた。
「これはただの貝殻だよ、こっちは石ころ、骨じゃないよ、ただの貝殻だよ、なんにも怖くないし悲しくもないんだよ」
警官はほどなくして署に戻っていった。

 

老婆であるところの女はココアのような土の上にそのまま座していた。
殺戮されかけているハーブの王族たちはそのままの姿勢で女を見ていた。
植物の眼差しにはいつも、人間への同情が含まれているのを女はその時初めて知った。
殺されかけているというのに、長年のよしみでハーブたちは女に語りかけていた。

 

「あやさん、大丈夫?」

 

女は涙を流していた、何について懺悔したらよいのか遂に忘れ果てていた、本当に誰の子供なのか、果たして何者なのか、自分の身に何が起きたのか、あるいは他者に対し自分が何をしでかしたのか…何がそんなに悲しかったのか、女は遂に忘れ果てていた。

 

それでも涙は止めどなく流れ、土に混ざり、土は泥になった、ハーブの王国に住まう生き物もまた、泣いていた。

 

「誰かの喜びは僕らの涙」
「誰かの快楽は僕らの涙」

 

いよいよ影の声が谺した、日は傾き、空には月が出た、細い細い悲しげな月だけが、女を見守っていた。