a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

《創作》庭で死にたい(汚濁注意)


女は朝露に濡れた庭木に手で触れ、まだ涼しい風に身を任せ、誰も見ていないのをいいことに素足で芝生を踏んだ。
その柔らかい感触に静かに全身で歓喜し、女は微笑んだ、庭で死にたいと思うほどに女は朝の庭が大好きだった。
如雨露に水を入れて低木の根元を湿らせ、その一本一本に心の中で声をかけていった、おはようかわいい子たち。

 

「M氏、いってらっしゃい、今日は早いのね」

 

女はスーツ姿の男に声をかけた、二人は手を振り合った、二人は一度も男女の仲になったことはなかったがそれ以外の点では…つまり人間同士という意味では喧嘩もせず穏やかに暮らしていた。
庭は念願の場所だった、庭で死にたいのと女は事あるごとに口にした、土のある場所が好きだったのだ。
目の前を小さく澄んだ川が流れ、鳥たちが楽しげに歌っていた、蝉はまだ鳴かずにじっとしている。
素晴らしい朝、と女は思った、女は庭で過ごす朝を何よりも好んでいた。

 

名残惜しいけれど庭から室内へと戻って支度をせねば、そう思って女は玄関の戸を引いた…が、戸は動かなかった。
もう一度引いた…が、戸は動かなかった、戸はM氏によってきちんと施錠されていた、女は裸足だった。
夏の5時はもう明るい、女は寝間着姿だった。
唐突に雲間から光が差した、真夏の太陽が目を覚ましたのだ、女は月経中だった、蝉が一斉に鳴き出した。

 

太陽の眼差しで一気に気温が上がった、女は日陰に隠れた、しかしこの日陰もじきに太陽光に晒される事になる…女は冷や汗が出た。
庭木たちが心配そうに見ていると女は思った、大丈夫、と言いたかったが心の中ですらそれは無理だった。
夜の間ずっと女の膣に鎮座している脱脂綿が悲鳴をあげはじめていた、女の股から一筋の血液が流れた、女は目眩がした。

 

布団の中にいたとき、女は夢の中で男だった、女は夢の中で頻繁に男を演じ、小便が自由自在に行える事、ただその一点を大いに楽しんだ。
男を演じているときには股に重心があり、何か不可思議な自信がその重心に宿っており、放物線を描く小便が出を見ていると小便よりも自分が偉いという意識になった。
目が覚めると女は、たかが小便如きであんなに浮かれていた自分が恥ずかしいといつも思うのだった、股の重心如きで自信を得ていた自分を馬鹿げていると思うのだった。
その一方で布団から這い出した女は手洗いに向かい、小便をする自分を「小便をさせられているように」感じ、一種の無力さに苛まれ、独特に苦悶するのだった。

 

精液に赤血球が混ざってたら月経はここまで忌み嫌われるものではなかったはずよ、と女は思った、既に寝間着の股からは血が滲んでいた。
確かに、さっき戸を引いたときに戸が開いていれば脱脂綿を取り替える事が出来たのだ…戸が開いていれば。
脱脂綿は頻繁に替えた方がよいとは言うが、膣に出し入れするものを頻繁に替えるのは膣が擦れて痛みがあるときがある。
だから文字通り適当な…ふさわしい瞬間に取り出し、その都度新たな真っ白い脱脂綿を体内に押し込むのが女の身体にとって最適だった。
…そして女にとってのその時機を的確に読み取れるのは…当たり前だが女本人しか居ないのだった、膣は女本人にしか語ってはくれないのだった。

 

大便を漏らすのと小便を漏らすのと月経を垂れ流すのとどれが一番引かれるかしら、と女は思った、最早庭木たちの声は遠のき、鳥の歌も消え失せていた。
血液のもたらす印象の強さを考えると、月経というのは実に割に合わなかった、月経は膣の死に等しかった、少なくとも傍目にはそう見えるような気がした。
しかもこの股から流れ落ちる血液に手綱をかける事は出来ないのだ…一瞬止める事が出来ないわけでもなかったが、それは嘔吐を一瞬だけ堪えているようなもので、ほとんど堪える意味のない動作に過ぎなかった。

 

自分の下半身を見た、庭の土に確かに血が滴り落ちていた、これこそが夢であって欲しかった、庭で死ぬ悪夢であってほしかった。
現実の自分は今まさに魘されている男で、目が覚めたら陰茎に自分自身を投影して無邪気にはしゃぎ、岩に小便を当てて喜ぶ馬鹿でありたかった。

 

携帯、鍵、お金、何も持っていない、血を隠す服も靴さえも…戸を隔てて向こう側には女の望む全てがある。
女の望む全てとは手洗いに他ならなかった、とにもかくにも血を消してくれる場所、それが女にとって必要不可欠であった。
ああ~、この家を折りたたんでパジャマのポケットに入れられたらなあ~そしたらいつどこで生理になっても大丈夫なのに…女は夢想しはじめる自分を食い止めようと、自分自身と相談しはじめた、だがその相談は絶望的であった。

 

これから隣の家に行こうか…でもまだ朝の5時よ?
でも隣の家に行くしかないじゃない…股を血に染めて?ずっとこの印象がつきまとうわよ、それこそ一生、いいの?
じゃあ警察かしら、警察に行って電話を貸してもらって…生理用品なんて警察署にあるかしら?誰かが買いに行かされるのかしら…
そもそも今日、私仕事なのよ?このパジャマ以外何着て行けっていうのよ、警察にも裸足で行くの?

 

死にはしない、と女は思ったが身体は冷えていた、真夏の太陽が周囲を照らしはじめているというのに女は鳥肌のまま裸足で棒立ちになっていた。
女は思った、私は孤独だわ、女は思った、私はプライドが高いんだわ、女は思った。
確かに素直に助けを求めれば何とかなりそうだった、仮に自分の家へ近所の、あまり親しくはない誰かが、誰なのか一瞬わからないような誰かが同様に股を血に染めて何もかも…つまり手洗いや着替えや靴や電話を…求めてきてもそこまで悪い気はしなかった、助けてやるだろうと思った。
しかしその人の事はずっと、股を血に染めた女だと認識するだろうと女は思った。
だから女は隣人に助けを求める気持ちになれないのだった、それにまだ朝の5時だった、迷惑もかけたくなかった。

 

警察に行くことも考えた、裸足で行く事も、股を血に染めたまま…というかその日は特に当たり日で、経血量の多い日だった。
血は脚まで広がるだろうと容易に想像がついた、下半身を刺されたみたいな出で立ちで署に出向く自分を女は想像した。
警察署には生理用品はないだろう、それまで警察署のロゴ入りタオルか何かを股に押し当てて署の隅っこで縮こまっているのだろうか。
M氏に電話して、仕事先にも…女は恥ずかしさで消え入りそうになった。

 

だったらもう庭で死んだ方がよかった、勿論死にたくはなかったし、幸い家は地面に建っていて地続きだった、庭木に水をやるための水道もついていた。
マンションの落ちたら死ぬような高さの階、誰も彼もが出払った平日の真っ昼間、炎天下にベランダに閉め出されるのと比べれば笑い話で済む状況だった、死にはしないのだ、地続きなのだから。
そう、庭は世界と地続きだった、だから庭が好きなのだ、平たく言えばハワイともブラジルのサンパウロともこの庭は地続きなのだ、幽閉されているわけではないのよと女は思った、私は何処へでも行けるの。

 

…裸足で?血を垂らしたまま?パジャマで?…

 

唐突に女は脚に力が入らなくなり縁側に腰掛けた、柿渋を塗りたくった木製の、女お気に入りの縁側だった。
もうこのガラス窓の向こうは部屋なのに、部屋なのに私は…女は思考するのをその瞬間止めていた。
女の世界から言葉が消え失せ、寝間着姿の女は嬰児のように家そのものにすがりついた、母親の身体に全てが宿っているように、女には家が必要だった。
女が何よりも行きたい場所は母親の胎内、もとい、家の中だった、おうちにかえりたい、女は声ならぬ声で鳴き、ガラス窓を手で擦った。

 

女の発した鳴き声を家は聞いたのかも知れない、その時にガラス窓が開いた、動物の母親が子供に身体を開くように家は女に身体を開いたのだった。
女はその瞬間全身全霊で開いたガラス窓の間に身を滑り込ませた。
最早女は女ではなかった、夢の中の男でもなかった、ただの嬰児…あるいは性別を授かる以前の、生命の塊でしかなかった。

 

女は家の内部の香りを実に久々に嗅ぐ気がした、床からは木の温度や人工的な張り紙の香りがし、台所からは日々作る料理の…有機物の暖かい匂いが染み出ていた。
女はその場にうずくまった。
血だらけのまま、芝や草のついた裸足のまま、女は自分の膝を抱いた。
時計を見たがまだ5時過ぎだった、M氏と手を振り合ってからまだ5分ほどしか経っていなかった。
もう庭で死にたいとは思わなかった。

 

女は世界の全てに今触れているのだと思った、家とは胎内なのだと切実に思った、生まれてからも人は…特に女は…胎内に宿るのを好むのねと女は呟き、はっと我に返った。

 

まずは手洗いに行かねばならない。
女は満ち足りた気持ちで、手洗いに急いだのだった。