a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

《創作》俺は山奥にいる


俺は山奥にいる、山奥にいる、山奥にいる、ダムのすぐそばだ。
本当はダムだって邪魔なくらいだ、人っ子一人居ない真緑の空気を俺は吸いに来た。
来月から働くという仕事場を見た、制服を着て作業をするんだと、一日中、ひと月のうちのほとんどを作業所で過ごすんだと。
俺は何だか暗い気持ちになって、それを晴らしたくて、自転車に乗って山奥まで来た。

 

ああ俺は今山奥にいる、山奥にいる、山奥にいる、そう思うと全身の一粒一粒が沸き立つようだ。
急に尿意を感じ、ためらいも無くジッパーを下ろし目星をつけた小ぶりな岩へ尿を当てる。
尿は薄い湯気を発しながら放物線を描いて滑り落ち、土の地面に吸われてゆく、俺は人里にもう帰りたくないと思った。
何で毎日風呂に入らねばならんのか、何で毎日決まった時間に飯を食わねばならんのか、何で毎日洗濯せにゃならんのか、何で毎日髭を剃らにゃならんのか…
挙げたらキリが無いが、俺にはどうも、人間であると言う事自体、違和感の連続だ。
そういうわけで俺は、物心ついた時から山奥に来ている。
俺は物心ついた時から山奥に時折逃げ込んで来ている。

 

俺は今山奥にいる、動物たちはまだ息を潜めている、俺は今神域に足を踏み入れている、動物たちはまだ息を潜めている。
妙に静かだ、鳥も鳴かない、俺が里の家に居るときにはうるさいくらい猿も鳥も鳴くのに。
動物たちは人間を恐れているのか?人間がむやみに山に入るのを咎めているのか?
だとしたら俺は、動物たちの神域を侵しているのだろうか?
だとしたら俺は、どこに行けばいい?
でも山はさ、山奥はさ、道があるから地続きだろ、家から俺はずっと道を走ってきただけだ、何も悪いことはしてない。
俺は何だかやましい気持ちになってきて自分に言い聞かせた、俺は何も悪いことはしてない。

 

俺は今山奥にいる、本当にそうだろうか?山奥には神様がいる、神様は人間の男をたまにかっ攫うと俺は聞いた。
山の神様は醜女で、女が登山すると嫉妬して転ばせ、熊を呼び覚まして怪我をさせるんだと。
男は山に根付くように足跡も残さず攫って婿さんにする、何人も婿さんがいるらしい。
あの向こうに見えるのがありがた山と言って、爺婆が登る山だ、登ったまま降りてこない山、爺婆は山の神様の供物になるらしい。
…果たして男を欲している山の神様は爺婆の来訪を喜ぶんだろうか?
喜ばんよなあ、俺が山の神様だったら喜ばない、けど鳥は喜んでる、爺婆が山に登るともう騒いで踊っている。
それを皆は不気味だと言うが、俺は、優しく歌っているように思う、だって俺も鳥に食われたい。
里で死んで棺桶に入れられるなんて考えただけでぞっとする、その上焼かれるだけだろ、それなら鳥のごちそうになりたい。
その方が山の神様も喜ぶだろ?ん?じゃあ爺婆の来訪もやはり嬉しいのかな、俺の知ったこっちゃないが。

 

俺は今山奥にいる、だから顔も洗ってねえ、風呂にも入らねえ、髭も剃らねえ、飯も腹の減ったその時に食う。
野糞して、ション便して、暑かったら服も脱ぐ、それの何が悪い?
全部が全部を綺麗に隠して、暑くても作業着に身を包んで、それの何が楽しい?
少し道を逸れた場所に俺はいる、ここで野宿しようか、自転車はわきに停めた、道はすぐそばだ…俺は帰りたくない。

 

俺は今山奥の草地に裸で寝転がっている、ここは見晴らしがいい、日暮れまでまだ時間がある、この時期は人通りも無い。
空気の中には真緑の粒が大量に混ざって俺を興奮させる、どういうわけだか山に入ると勃起してくる、片手でしごいている。
女、というものを俺は知らないなと漠然と思った。
女は、山奥の草地に裸で寝転がるよりも気持ちのいいもんだろうか?
この山の空気に溶け込んでしまうような快楽よりも、女を抱くのは気持ちの良いもんだろうか?
…そうは思えない、俺は土の匂いを嗅いだ、そこら中に生えている草の中に俺は今包まれている、俺の全身が山に包まれている。
たかが女にそんなことできっこない、ああ俺は、山の神様を女房にしちまったのかな…射精の波の中で俺はそんなことを考えていた。
精液は地面に垂れた、俺はこの場所そのものを愛でているんだ、俺は少しうとうとした。

 

寒い、そうだ、俺は今山奥に居るんだ、俺は滅多に寒さを感じない、羽織れるのはこれしかない。
小さな火が欲しい、火をおこすのが何だか少し面倒だ、俺は寝袋だけ出して乾パンを囓った、砂の味がした。
海の砂の味だ、俺は海を知らない、海も女も知らない。
水を少し飲んでそのまま寝袋に入った、急に汗をかき始めたので上半身裸になる、いつもこれだよ、結局暑くて仕方が無くなるんだ。
遠くから水の匂いが漂ってきた、ダムは海まで続いているのだろうか。

 

暗がりに灯りが見えた、何かが俺に近寄ってくるような感覚があった、空気が圧されている。

 

誰だ?
と俺は言ったが声は出なかった、ただ真っ暗な闇の中に灯りが見え、白装束の何かが踊っているのを俺は見た。
そうかあれが山の神様か、俺は山の神様を見たぞ!
その時急に切なくなった、何故だか人里に帰りたくてたまらなくなった、俺は誰かに会いたくてたまらなくなった。
誰かというのは山の神様じゃなくて、人間の誰かだ、男でも女でも爺婆でも何でもいい、とにかく人間の誰かにこのことを話したくてたまらなくなった。
その為なら毎日作業着を着て、毎日風呂に入る、毎日決まった時間に飯も食うし、毎日洗濯もする、毎日髭だって剃ってやると俺は心底思って、畏れからガタガタ震えていた。

 

寒い。

 

俺は今山奥にいる、山奥で寝袋にくるまっている、起き上がらなきゃ、そろそろ朝だ…あれ?
寒い。
…ああまた寝てしまった、そうだっけか俺は今、山奥にいるんだ、山奥で寝袋にくるまっているんだ、不思議と震えは収まっている…ああまた寝入ってしまった。

 

寒い、何か白いものが近づいてくる。

 

誰だ?
と俺は言ったが声は出なかった、ただ朝焼けの真っ赤な光が放射線状に広がり、その中を白装束の何かが手招きしているのを俺は見た。
その時急に俺は悟った、俺は山の神様に娶られたんだ。
ただあれは言葉の通じる相手ではない、俺は目玉だけを動かして何かを制そうとしたが無駄だった、ああ、ああ、やめてくれ。

 

…俺は今山奥にいる、山奥にいる、山奥で山の神様と一緒にいる。
山奥の誰も来ないような草花の中で、寝袋にくるまったまま、俺は生まれて初めて人間が恋しくなり、ひたすら呻いた。
白装束の山の神様が怖かったわけでもない、ただ、此れは言葉の通じる相手ではない、俺は人間の誰かと話したいと生まれて初めて思ってとうとう泣いた、俺の涙を山の神様は啜った。

 

俺が目を覚ましたのはそれから数日後だった。
俺は相変わらず寝袋に居た、何日分かの夜露が俺の顔を湿らせ、真昼の陽光が俺の身体を温めていたせいか寒さは和らいでいた。
俺は自分の身体を見た、俺が思うよりもずっとずっと小さな身体だったのを覚えている、俺が空を飛んでいたからかもしれない。
山の中に紛れたたったひとしずくの雨粒、そんな感じだった。
ダムの中に雨粒は何粒くらい入っているのだろうか、一人の人間なんてそんなもんだ、たった一粒に過ぎないんだ。
山の神様が俺の数日前の精液を何度も何度も舐めているのを見た、山の神様はまだあの山にいる、俺の身体も、寝袋も、自転車も。

 

山奥に居た俺自身は一粒の身体よりももっと小さく細かくなって、さらに上空へと舞い上がった。
そのままダムの水流に乗って川を下り、別の支流に移り、あるとき、川辺で夜空を見上げている女が、ギターを弾きながら歌っていたので思わず、励ますつもりで星のように瞬いてみせた…人が恋しかったからだ。
そこから先はまた別の機会に話そう、俺が俺自身から別の存在になったことはまたの機会に話そう、命は続いてゆくんだ。
俺の身体は分裂し、新しく生じたんだ、ある意味俺は同時に別の場所に居る。

 

そう、俺の古い身体はまだ山奥にある、俺の寝ていた寝袋もまだある、俺の乗っていた古い自転車もまだ、山奥にある。
山の神様が微笑んでいる場所に俺は居る、お前は女でありながら俺自身でもあるから、だから山に手招きされているんだ。
人っ子一人居ない真緑の空気を吸いに、いつでも来いよ。

 

俺は山奥にいる、山奥にいる、山奥にいる、ダムのすぐそばだ。