a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

《創作》樫の木

 

影の濃度が一番濃い人工物は、兵器だよ、と対岸の樫の木は言った。
女と木は時たま、川を挟んで二人だけで会話をした。
そこは小さな谷で、木々が小川に迫るように生え、山からの風が勢いよく海まで涼やかに通り抜け、鳥たちもその流れに身を任せて飛んでいた。
通りの先の教会から鐘の音が響き、川沿いに歩けば地蔵が何体も並んでこちらを見ている、人間そのものの存在よりも自然や概念の要素の強い、どこか浮世離れした場所だった。
夕暮れに女は樫の木を訪ね、時に小川のほとりに腰掛けて話すのだった。

 

兵器を手に持つとね、人間は影に操られてしまう、どんな人間でも影の影響を受けるんだ、兵器ほど影が濃縮されたものは他に見たことがない…樫の木はそう言うと少し遠くを眺めて続けた。
私がまだ若かった頃、この地域の人が道をならしたんだよ、飛行機…戦闘機用の滑走路を作るためにね、爆弾も運ばなきゃならないから大がかりだよ、でも皆一心に戦闘機や爆弾を作ってたねえ…影が、兵器に触れた人間全ての命そのものに作用を起していたんだよ…樫の木は少し口を閉じた、カラスが女を警戒し出したからだった。

 

夏の夕日は空一面に薄く伸び、紅い水彩絵の具で画用紙全体をひと刷けしたようだった、樫の木と女は地面が緑色に発光するのを感じた、静かに夜が訪れた。
「夜の緑の光…この中にも影は居るの?」
影はこの中には居ないんだ、影はこの光に当たると変化を起こす、影が緑の光そのものに変化するんだよ、消えると言ってもいい…樫の木は一呼吸置いてまた続けた。
影は突き詰めると人間の生み出した念だよ、それが磁力と作用を起こすんだ、人間は磁力のあるものが好きだろう、つまりね、夜の緑の光、この自然の光は、人間のためのものではないんだよ、この光に当たると影が消えてしまうように、あんたもこの光にあたりすぎると足が重くなるぞ、鳥たちだってほら、ねぐらに逃げ帰っているだろう?…樫の木はゆっくりと息を吸い込んだ、カラスたちがその呼吸に合わせて身を震わせた。

 

あの時は知らなかったんだ、影があんなに人間を惹き付けるなんて事をね、皆が兵器に携わり、影を身に纏っていたから、皆は孤独ではなかった、兵器の持つ強烈な念を纏っていたあの一瞬は、確かにこの地域の人間は一丸となっていたよ、あれを良いことだとすら私は思っていたよ…樫の木は葉を揺さぶり枯れた葉だけを地面に落とした。
「地面に落ちた葉のように、地面に落ちたカラスも居るのかしら、そのあたりに」
いるよ、と樫の木は答えた。
沢山いるよ、と樫の木は答えた。
ねぐらというのはね、死に場所でもあるんだ、と樫の木は答えた。

 

ひんやりとした紺色の空気が辺りに漂った、それはすぐそばの古代の墓から流れてきたようだった、ここは人間のねぐらでもあるのだと女は思った。
あんたのねぐらはどこだい?と樫の木が聞いた。
「私ねぐらが無いの」と女は答えた、黒い髪が夜空と一体となり女の顔だけが、儀式の時にだけ使用される面のように浮き上がって見えたが、女自身はそのことに気付いていなかった。
…あんたは死者の顔をしている、夜の緑の光は、私たち植物のための光なんだよ、人間が骨になったらこの光で土に成ることが出来る、あんたにはまだ良くない光なんだ、浴びすぎる前に、帰りなさい…樫の木はそう言って口を噤んだ。

 

女は少しふてくされて家路に着いた…と言っても二三歩踏み出せばそこはもう家だった。
家の中でガラス越しに樫の木に語りかけたが、家が人工物であるせいか樫の木の言葉は女には聞こえなかった。
「樫の木の洞の中に入り込んで寝たいわ…そこをねぐらにしたいわ」
対岸の樫の木に向けて呟いた女の言葉は、少しだけ開いた窓からそのまま踊り出で、小川を楽しげに泳ぎ、地面から発する夜の緑の光の中に溶けたが、女自身はそのことに気付かず鉄球を抱いたまま眠りに落ちたのだった。