a.o個人ブログ

詩や創作文章、祈りについての考察を個人的に公開しています。

《創作》骨と海の匂いのする夏


夏の匂いが辺り一面に充満している、臭いな、海の匂いだ、海の匂いのする夏が来る、この匂いのせいで全部余計なものだらけになったじゃないか、全部腐るじゃないか、骨はそう言った。
俺がいなければお前なんかただの皮袋だ、脂肪と肉の塊だ、お前なんかただの穴だ、海の匂いで腐った肉袋だよ。
俺がひん曲がって生まれてきたのは理由がある、俺が欠けて生まれてきたのには理由がある。
世界が破裂しないためにさ、俺が完璧だったら世界は破裂してたよ、すぐそこを流れてるこの鳥のための川も海まで溢れて悪さをしてたに違いないよ。
俺が完璧だったら確かにお前だって完璧だった、その代わり誰かが今よりももっと欠けて生まれていたんだ、そのことにもう気付いてるんだろ?
それに俺が欠けていなかったらお前は欠けたものを探そうともしなかったろうよ。

 

「少し黙って、今立てないのよ」
骨の言葉はいちいちもっともで女は息も絶え絶えそれだけ言った。

 

夏の海の匂いは全部を腐らせるんだ、補充補充、結果的に余りばっかり出すんだ、世の中はゴミだらけだ、ゴミを好む習性が人間にはあるのさ、おぞましい種族だよ。
本当は欠けていた方が次の部品を探そうとするから世界が動くんだよ、欠けているってことこそが素晴らしい充足なんだ。
え?痛みで聞こえない?お前の寿命はもうそろそろだ、でもこれは痛みなんてものじゃない、痒みだよ、それも綿棒でくすぐられたくらいの。
お前は甘いんだよ。
確かに白衣のおっさん共が居なければお前は歩けなかったろう、捨て置かれただろう、俺と一緒に。
お前の親父代わりみたいに養ってくれる誰かさんが居なけりゃ、お前は間違いなく餓死してたね、中身の何も無いただの袋として浜辺にうち捨てられたろうよ。
つまりだ、お前はこれから死後の世界を生きるのさ、本来歩けなかった道を歩いて本来見られなかった景色を見て、本来出来なかった事をするのさ。

 

女は立ち上がった、今日はいつも軸足にしている左足で立つと左の尻が痛んだ、よって今日の軸足は右足だった、最早滑稽だと女は思った。
「何で足が2本しかないのかしらね」
蛸みたいにいくつもあれば、蛸みたいに骨がなく海を漂えればこんな痛みを感じずに済んだのにと女は思った。

 

お前の痛みなんて紙で指を切ったようなもんさ、血が滲んだのを見たから痛いと思うような類いの幻の痛みだよ、現に右足で今日は立てるじゃないか。
寝転がりたいんだろ、なあ?
でも寝転がれば寝転がった分だけ腰が痛むんだろ?
だったら歩けよ、でも歩くのも億劫なんだろ、仕事だと思えば身体が動くがそうでないときにはもう身体を動かすのが怖いんだろ。
仕事っていうのはな、集団のための働きなんだ、アレがなきゃ死ぬと思うのはそういう事だよ、仕事が出来なきゃ食い扶持がないのはいつの時代でも一緒さ。
何も出来ない奴は捨て置かれるんだ、弱いっていうのはそういう事だ、でも俺が欠けているのはな、世の中の過剰の分を「補う」ための働きなんだよ。
これこそが俺の仕事ってことだ、悪く思うなよ、欠けることが俺の仕事なんだ、世の中が破裂しないように俺も必死で働いているのさ、恨むなよ。

 

女は音楽を聴きながら泣いていた。
「ほんの一年前の音楽がこんなにも懐かしいなんてね、あの頃まだ私この川をそのまま下って歩いてゆけたのよ」

 

世の中は一定の質量を保ってるのさ、お前の友人の言うようなユートピアが実現しないのはそのためさ。
欠けてるってことが大事なんだ、保存するってことが始まって以来この世は膨張する一方だ、それがいかにまずい事なのかお前達は顧みない。
一口も囓られていないケーキを空想してはため息をついて「何かが足りない」って言うんだ、すぐそばに腐らせたケーキが山ほどあるのに過去ばっかり見るんだ。
一年前はお前にとってそんなに楽しい日々だったのか?
お前は本当は下肢の痛みに気付いてたろうよ、右足がひん曲がってるのはそのせいだろ?
それを無視して歩いていただけの話さ、それが何故今出来ない?
結局吹き込まれただけだろ、恐怖を、人間の身体は部品に過ぎないって、吹き込まれて信じ込んだだけだろ、奴らこそ法螺吹きだ、人間の魂がどこに在るのかもわからないのにな。
それともお前、魂がどこにあるのかわかってるとでも言うのか?

 

「そうよ、まだそんなに痛くない、だって仕事だと思えば、確かに身体はポキポキ音がするけど動かせるんだもの…もっと激痛があるってことが…その予感自体が怖いのよ、恐怖自体が恐怖なのよ、笑うがいいわ、欠陥品め」
女は椅子に腰掛けた、そして腰を浮かせては身体にとってどの姿勢がよいのかその都度思案した、そうするうちに夏の一日が暮れかけていた。

 

欠陥品と来たか、そりゃお前、自分の身体が物で代用出来るって事にいよいよ気付いたんだな。
そうだよ、身体は部品で代用できる、お前が海育ちの足の悪い祖母から受け継いだのはなんだと思う?
海の記憶だよ、海の記憶そのものをお前は受け継いだんだ、海の女達の記憶を受け継いだんだ、海は腐った匂いがするだろ?
お前の先祖は海の生き物を食べ過ぎたんだよ、そして海に毒を流しすぎたんだ、命を取り過ぎたんだ、もっと欠けていなければならない部分を必要以上に補って、余らせて腐らせていた。
別に悪事じゃないよ、ありふれた話さ、だから俺たちは「欠けている」という働きをしなくちゃならない、それが整合性を取るっていうこの世の摂理さ。
別にお前じゃなくたってよかったんだ、お前の妹だってよかった、お前の姪だって、甥だってよかったんだ、欠けている役割をするのは誰でもよかったのさ。
でもお前が手を挙げたんだ、お前自身の気まぐれでお前はそういう身の上になったんだ、欠けた身の上になったんだ。

 

「世の中の病気の全てが」
女は再び立ち上がり、冷凍庫にししゃもを冷やしてあったことを思い出した、まだ食べられるだろうかと女は頭の片隅で考えた。
「世の中を救うための働きだと言うのね」

 

大まかに言えばそうだな、もっとも、人間が病気だと思い込んでるものも単に別の生き物の生命活動って場合もあるからな、俺に言えるのは骨を欠けさせるのは余剰を「補う」ための働きだってことだけだ。
その働きをさらに補うために白衣の連中が出現して、さらに補うために病気が出現する、貯蔵するためにまた過剰摂取して、それを補うためにさらに何か欠ける、苦しみは喜びなんだよ。
ユートピアは訪れないんだ、ユートピアというものが訪れたら、その瞬間に全ての生き物が消滅するだろうよ。
だって生き物の原則は「自身に欠如を見いだし、それを補おうと行為する」事なんだから。
それが生きているって事だよ、その点俺はいかにも生き物だ、お前よりもずっと生き物たらんとして生きている…俺を部品に変えたらどうなると思う?

 

「別にどうにもならないわ」
女は凍ったししゃもをそのまま焼きはじめた、辺りに海の濃い匂いが漂った。
「あんたの言うことが確かなら、あんたごと全て部品に変えたって、私は生き物のままよ」
海の匂いは夏の匂いに混ざり合った、確かに空気ごと海水になったみたいで窒息しそうだと女は思った、確かに欠けていることを「補わねば」呼吸が難しいようにも思えた。
「自身に欠如を見いだし、それを補おうと行為する事が命の鉄則なら、身体が作り物でも、命の真髄はその意思と行為そのものに宿るって事でしょう」
女は焼けたししゃもを皿に盛った、大根をすりおろして添えた、これで少しは海の匂いが薄まるだろうと思った。

 

「それなら、全身が作り物でも、欠如を補おうとする意志があって、その為の行為をしようという決意があるなら、それはもう生き物よ」

 

骨は笑っていた。
女も笑っていた。
今日は骨の調子が良い、と女は思った。
骨はまた夏の臭い匂いがするとぼやきはじめたが、その声は穏やかだった。
夏の夕暮れは長く、海の匂いのする夏は始まったばかりだった。