a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

《創作》洞窟


神託はいつも「今」と出た。
洞窟のすぐそばの祭壇で女はカードをめくり、自分が神託を引き始めてからというものずっと、この神託の結果が変化しない事について、不思議さを通り越し女は半ば呆れていた。
外は快晴だった、南洋特有の甘く腐ったような匂いは女を含め、肌の色の浅黒い現地人にだけ嗅ぎ分けることが可能だった。
現地の言葉でその香りを「虚無」と言い、虚無が来たら逃げるように言い含められていた。

 

女は立ち上がりカードを束ねると洞窟を出、そのまま仕事場へ向かった。
ホテルは人工的な花々の香りにあふれていた、女は裏口から建物に入り、ボスに挨拶してから仕事にかかった。
客室内はどこか別の国のように冷え切っていた、女は窓辺から青く光る海を見た。
「あの水は、見えるけれどここまでは来ない、いつも私はあの水を見ているだけ、相まみえる事はない」

 

青いベッドカバーはさながら海のようだった。
客はここに身を横たえ、自分が海のただ中を安らかに守られながら眠るのを想像するのだ。
決して虚無に飲まれたりはしない、ベッドサイドのランプも夕日代わりだ、いつも夕焼けなんてことがあり得る訳がないのに。
シーツは白い波しぶき、だから頻繁に替えなければならない、同じ波など無いのだから。

 

女はそうやって小さく歌いながら踊るように部屋を清掃していった。
一人の泊まり客が落としてゆく澱を、綺麗な水辺から取り去るのが女の仕事だった。
女はこの仕事を踊りだと思っていた、動作をし損じるとその分数秒の遅れが出、全体のリズムが狂うのだった。
「しかし早すぎてもいけない」
早いと焦った空気が部屋に溜り、それは新たな澱を生じさせ、泊まり客を混乱させ、結果的に翌朝にはもっと汚れている場合が多々あった。
女は注意深く、しかし楽しげに踊りつつ、波打ち際に穿った穴を掃除するように、客室のひとつひとつを完成させていった。

 

「使うというのは、完成させたもの壊すことね」
男が女と寝るみたいに…と女は呟いた。
女はたまに、自分が誰かを探しにこの場所へ来たような気持ちに苛まれることがあった。
誰かに会わなくてはならないような、しかしそれが誰かわからない、何のために会うのかもわからない、そのために強烈に泣きたいような妙な感情に女は戸惑っていた。
それが為にはじめた神託だったが、結果はいつも「今」と出るだけだった。

 

仕事帰りに女は小さな診療所へ寄った、皮膚の薬を手配してもらうためだった。
一人の老医師に女は魂のことをたびたび話した、それは世間話のようでいて、真に迫ったものだった。
女は会わなくてはならない誰かについて老医師にも話したが、女自身が独特の諦念を持っていたため、一種の笑い話としての話題に成り下がっていた。

 

「あんまりあの洞窟へは行かない方が良い、頻繁に行くと虚無が君を飲み込むよ」
老医師の肌は白かったが、彼は女の言う言葉や現地の風習をよく理解している様子だった。
「どうしてこんなにも話せるのか不思議だわ、前にもどこかで会っていたみたい」
女は無意識的にそう思ったが、それが言葉に出る前に忘れてしまっていた。

 

5分ほどの診察が終わると、互いに笑顔でこう言った。
「ではまた、君の焦がれる誰かに、会えるといいね」
「ええ、あなたにも素敵な出会いがあることを祈るわ」
これが二人の別れの、毎度の挨拶となっていたのだった。

 

「不思議なお医者さん、不思議なおじいちゃん」
女は心の内でそう思いながら診療所を後にし、家へと向かった。
「今」っていつの今かしら、今はいつでも今よね、今でない時間なんて体感できないのよ、女は夕暮れの道を歩いた。
鬱蒼と茂る木々の合間から鳥の鳴き声がし、その声は何か緊急事態を告げているようだった。

 

「洞窟でなにか起こったみたい」

 

女は吸い込まれるように洞窟へ向かった、洞窟は時間が無いようだった。
朝来たときも、この前来たときも、ずっと以前に足を踏み入れた時も…洞窟内の時間は止まっていて、どこか宇宙を思わせた。
「私の全く知らない国の」
女は静かに呟きながら進んだ、「全く知らない時代の」、女はさらに進んだ、「全く知らない誰かと繋がってるのかもしれない」、女は立ち止まった。
…前世、あるいは来世というものと、時間も空間も繋がっているのかも知れない…この考え自体が現地では禁忌だったので女は口には出さなかった。

 

女はその時甘い腐ったような匂いを嗅いだ、朝に神託を引いた時にも漂ったあの匂い、虚無の匂いだった。
明らかに虚無は女を呼んでいた、おいで、おいで、こっちだよ。
女は逆らわなかった、「今」なのだわ、と女は思った。
老医師の声がかすかに聞えたような気がしたが、女は気にもとめず、洞の奥へと進んでいったのだった。