a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

雨乞いをしているよ(詩)


雨乞いをしているよ。

 

日差しの中は危険だ、木漏れ日もいけない、幻覚を見るから。
涼しい風の中をてくてく歩き回って、あの世まで続いている歩行会の人々の列をくぐり抜け、妙だなと思った、地面が光を帯びている。
光っているのは真昼の太陽のはずなのに、地面こそが光を発していて、青空はどこか暗い、綺麗すぎると警戒したときにはもう遅かった。

 

由縁の無い六つ地蔵を拝んだのがまずかったかな、川面には普段ゴロゴロしている鴨も見当たらない、皆何処へ逃げたのか。
川面は千鳥格子の模様に煌めいていた、ああそうか、鳥たちは煌めきの一粒一粒に変化しているらしかった。
ふと向こう岸から、おいで、と呼ばれた気がした、絶対来ないで、かもしれない。

 

向こう岸には私が居た。

 

川を挟んで向こうの私は背を伸ばして歩いていた、ゆっくりと。
さらにゆっくりと、歩調をその私に合わせて歩く誰かも居た、彼を見てはいけなかった、あまりにもまぶしすぎた。
対岸の私は、着ているものも外見も、今の私自身と見分けがつかなかった、しかし別人であった。
足の運び方や、小さな岩場を飛び越える動作から察するに、腰を痛めている様子も無かった、しかしこの私以上に、忍耐強い様子だった。
というのも対岸の私は、泣く子の手を取り穏やかに歩いていたから、隣の誰かも同じようにもう一人の子供の手を取り歩いていた。

 

私は目を逸らした、日傘の中に埋もれてしまおうと思った、影の中で息を整えた。
それからまた目を土の地面から、千鳥格子模様に太陽光を反射する水面へと戻し、そして緑あふれる対岸を見たが、そこにはもう誰も、何も無かった。

 

人生の、自分自身の欲望から逃げたことを私は悟った。

 

しかし、やりきれなさを感じると同時に強く安堵していた、私は、自分の本当に尊敬する人と並んで歩く等ということは、到底出来ないから。
それにどれほどの根源的な力が必要なのかは、言うまでもない。
私は幼い頃から、その類いの力を放棄している、生きることを放棄している。

 

こっち岸でよかったよ。

 

尊敬する人その人の、振る舞いや気持ちなどこちらからは何一つ見えやしない。
他者は根本的に幻だ。
でも私は在る。

 

届かないものや達成出来ない事、一緒に居るのが申し訳なくなるほどの人と歩いている私を、私は見た、白昼夢だ。

 

だからこういう日は、雨が降った方がいいんだ。
5月のすがすがしさは時に猛毒だ、人生そのものが未達成なら、どうして長らえる必要がある?…ほらね、毒が回ってきた。


雨雨降れ降れ、あめあめふれふれ、天天触れ触れ。
天に触られず、誰にも触られず、家に守られていて、雨風をしのげて、それだけに満足する良い人間でいたいのだ。

 

日差しの中、雨乞いをしているよ、私は雨乞いをしている。