a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

死の共有と両親

 

多摩丘陵の端っこで私を照らしていた太陽の光がまだ、残っている、数時間前の風景がもう何十年も昔のことのように感じる。

 

両親と会った、私は父親が嫌いだったのに彼等と距離を置いて会うと、嫌いとかそういう事は実は些細で一時的な感情に過ぎず、残念ながら…とても話が合う事に気付かされる、勿論厳しすぎるしつけや癇癪の記憶はそのままだ、だが、対話することが距離を置くと可能だと感じる。
私は両親と話が合う、父親とは長い間(一日とか二日)一緒に居ると火花が散り互いに絶望的な気持ちに苛まれる仲だが、それでも思考回路が非常に似ているため、何が幸福か否かの感覚が一致し、話が合う。

 

そして彼等が、本当に魂のレベルで夫婦仲がよいのだと感じた。

 

両親は60歳を迎えた、彼等は死について話し合っていた、終活について、命日を一緒にしたいんだと二人で相談していた。
80歳になると人は呆ける、80というのは人類のほとんど限界の年齢で、その時考えている事柄が明日には自然と考えられなくなる、自分自身の根幹に対して確証が無くなる時期である。
90を過ぎても元気な人はいる、というのは元気な人も居る、ということに過ぎない。
自分の命を把握していられる年齢ではない、他人に助けられて生きる年齢である…両親は、父方の親の介護をしていた、母方の家系は比較的早死であるため痴呆に至る前に死んでいるのだ、母方の家系は人生が、70歳くらいの適度な時期で終わるように出来ている、自己放棄が起こる前に死ぬように出来ている。

 

ちなみに、先天的股関節形成不全だと思われるのは、母方の祖母だった、今日母と話した際、祖母が左足をいつも引きずっていたことを確認できた、「ばあちゃんか~」と私は何故だかしてやられたように地団駄を踏んだ、母は笑った、私も笑った、なんだか愉快だった。

 

父方の家系は100まであと少しという年齢で死んでいる。
その様子を見ていると、80を過ぎたあたりから記憶が曖昧になり、90手前では自分が誰だかも不明になっている。
私は父方の祖父母によく会っていたが、呆けてからは会っていない、両親は介護施設に頻繁に通い、彼等の面倒をみていた。

 

私の両親は50歳になる手前から「社会からドロップアウト」している、40代後半から働くのを止めはじめていた。

 

株と貯金で生計を立て、一時は法的に違法な手段を使って金をせしめようともしていたらしいが…まあ、両親のことだ、単に捕まるのが嫌でやめたのだろう、それからは株で儲けている。
あとは、売られている団地の部屋を「買い」転売するという方法で奇跡的にうまく当てたらしく、現在彼等は人生で一番潤っている。
彼等は金銭を本当にゲームのように、楽しんで転がしている、金勘定が彼等の創作意欲なのだ、残念ながら私には計算するという頭が欠けているので、彼等の金儲けのノウハウも、彼等の数字上を泳ぐという楽しげな概念も、話として、理解できなかった。

 

ただ両親の話を聞いているとなんだか、RPGゲームをやってる人の話みたいだった。
うまく駒を進めて、お金を作って、ああやってこうやって…人生ってただのゲームなのかなと私は感じた、身体というのは駒で、でも、最高に楽しいゲームなのかもしれない…冒険を一緒にしてくれる人が居るなら、悲観すべき事柄など無いのだ、私は子供としては親と相性は悪かったが、彼等二人は本当にいいチームなのだ、そういう二人なのだ。
駒が動きにくくなるのはあと20年、あと20年経ったら「このゲームが何のパッケージだったのかも忘れてしまう」可能性がある。

 

痴呆はそこまで悲観すべき事柄なのかと疑問に思う人も居るかもしれない、ただ、死そのものを二人で考えることが彼等の愛なのだと思う、彼等が若い頃にはセックスに明け暮れたのと全く同じ理由で、彼等は死を冷静に直視し、二人でその対処法を練っているのだ。

 

「一緒に死のう」

 

そんな約束できる相手が居て、それは一時的な情熱に於いてそう言っているのではなく、人生の前半が生に向かっている時期には共に生を直視し、死に向かいはじめたのを感じたら死を直視するという男女の在り方は、私は彼等の子供なので余計にそう感じている部分もあるかもしれないが、それでもその生死観は凄くいいなと思う。
感情面では父を嫌いだが、いい夫婦だな思う。

 

両親もはじめのうち、私に感情的に「死ぬことへの話なんて」と否定されると怯えていたらしい、私が「そういう話を冷静に出来る相手が居て羨ましいよ」と言うと、とたんに饒舌になった。
が、両親の言う「死」は意外なほど軽いもので、というか…彼等はアレルギー体質でもなければ、何か先天的異常があるわけでもなく、父も母も性的に暴行されたことも当然無く、実に健康体であり大病もしたことがないので…そのせいか、彼等の言う死が、私から20数歳年上の彼等の言う死があまりにも軽いので、脱力した。

 

「80になったら全国のフグを食べて中毒を起こして死のう、飛行機に乗れば医者にかかれずに死ねる!」
「睡眠薬を飲んで、真冬のあの山に登ろう!」

 

「お父さん、私は食中毒になったときに、腸閉塞にもなったよ、腹がガスも尿も出さないからパンパンに膨れ上がってね、軋んで痛いんだよ皮膚が、熱だって出てる、それでも意識はばっちりあるし、そのまま歩いて病院に行ったよ、夏だったのに風が痛いほど冷たいんだ…あのね、あんな異常な状態ですら、頭はしっかりしてるしそう簡単には死ねないんだよ、あと睡眠薬飲んであの山登るのもいいけど、おおかた凍傷で手足失うだけじゃない?それも夫婦の片方だけとかね…80ジャストで死ぬ計画はいいと思うし、否定してるわけではないけど…ちょっと死ぬこと甘く見てんじゃないの?」

 

私が家を出て(追い出されて)から10数年、距離感があると対等に話せるらしい、父はうなだれていた、20年経ったらスイスに行けるだろうか?
スイス行きを目論むほうが確実な気もするが、正直、二人とも中高年にありがちな肥満もせず、身内びいき無しに見てもかなり健康体であるため、年齢を重ねても医療に於ける安楽死自体が難しいかもしれない。

 

二人が、自殺をしたいのではない事は、伝わってきた、首吊りとか、殺害とか、そういう死ではない死を切実に望んでいる事も。
父は母を殺せないだろう、もし父が母を殺したとしたら、それは父の言う二人のための死ではなく、たんなる殺害に成り下がってしまう、最愛の人を殺し、自分も自殺するということ…単に暗い死に、自分の命だけでなく妻の命すら貶められてしまう、それを危惧しているのだ。

 

自殺と自死は、ほんとうに僅かの差で、異なるのだ、自殺衝動に飲まれる私ですらそう思う。
だから楢山参りは実は自殺ではない。
死にに行くという意志のもと、独特な前向きさで赴く場所であり、生命への怨恨の場ではない。
楢山参りに関しては、ああいう姥捨て山の風習は、消して悪い意識ではないのだ、罪の意識で行うのでは無いのだと私は思う。
父が山梨の人間だからだろうか、父の楢山思考は私にもすんなり理解出来るのだ、死は穢れで話すこともタブーかというとそうではなく、自ら赴く事も可能な物事である。

 

両親とは、こうした根幹の部分では話が合う、それ以外はもう互いに宇宙人のようだ。

彼等は白い部屋に住んでいた、私だったら住まわされているように感じるような虚無的な部屋で、楽しく暮らしている様子だった。
缶詰などの食料品が部屋の隅にそのまま雑然と積まれ、カーテンの色も、家具も、全てが無造作に選ばれ、置かれていた。
もう何度目かの引っ越しだ、会うたびに彼等の住所が変わっているので面倒くさい、部屋はどこか独房を思わせた。
どの部屋に居るときもいつも世界地図が貼られている、それを頭に入れて株をチェックしているらしい、夫婦それぞれの大きいタブレット、PC画面、二人は本当にこの概念の上で生きていて、部屋が殺風景だろうがどうだろうが無関係らしい。
そうだよね、どんな場所に魂が移動しようとも、同じ小舟に乗っている男女だものね、窮屈だなんて思わないよね、どこだって楽しいよね。

 

今二人が、二人して楽しく死について語り合っているのは、株や部屋の転売が上手くいっているからである。
父は私同様感情の起伏が激しいため、ひとたび貧困に陥ったりすると本当に参ってしまうタイプであり、生活費を入れろと催促してくるのも彼である。
母は本質的な意味での、信仰心があるため、外部の状況がどうなろうとも落ち着いている、主観的に落ち着いて生きている、そうなのだ、この小舟の舵をとっているのは母である。

 

お前は長澤まさみに似ている!と、私を久々に見た両親は喜んで、長澤まさみについてのあれこれを熱っぽく話していた、父よ、昔私の事よく豚って言ってなかったか?
長澤まさみと同じ分だけ樹木希林にも似ている私は黙って彼等の楽しげな笑い声を聞いていた、もう何も言うまいと思った。
調子が良いと娘の私は果てしない美人になり、調子の悪い視点から見るととたんに不美人になる仕組みらしい、人間そんなもんだ。
はたから見て美人か不美人かに調子を合わせてしまうとこっちが参ることになる、子供時代や思春期は本当にしんどかったぞ、と口元まで出かかったが我慢する。

 

その流れで、はたから見てどうこうよりも、世界には自分しか居ないのだ、という話を父とする。

 

父はころころと職場を変えているため、長きにわたるSE時代、何かの倉庫での仕分け時代、監査法人時代、とそれぞれに、仕事に於ける自分の「見られ方の差」を体感しているらしい。
倉庫で働いていた時期は、それこそ単なるバイトであり、はたから見たら悲惨な40代でしかなかったそうだが、本人は独特に楽しかったという。
「仕分ける荷物がパズルみたいに思えてきてさ、あれを図形として組み立てて、どれだけ棚に置けるかが皆、個人的に楽しいんだよ、それが仕事の楽しさなんだ、はたから見たらただのバイトのおっさんだろうが、ああいう楽しさは…なんだろうなあ、やってみないとわからないよな」

 

一方監査法人に居た時期は、父は仕事先では「先生」と呼ばれていたようだ、監査法人の人が来る、それも40代後半の監査のプロが来る、調べる側の人間に対して調べられる側は自然と萎縮するらしい、囚人実験みたいなものである。
「あんときは愉快だったな~、部長クラスから先生なんて呼ばれるから爽快だったな、仕事は簡単だったし、全部演技みたいなもんだよな、いいスーツ着ていい役柄をやってるだけなんだよな、自分の気持ちしかどんなときにも存在してないのに」
私は父を嫌いだが、父の言うことはよくわかるし、互いがそこまで関与しないのなら残念ながら非常によく話せる相手なのだ。

 

そのあと両親に連れられ裏山へ登った。

草木が生い茂り、日差しが強いが暗い場所、多摩丘陵の端っこである、ここには昔府中が都の中心だった時代、城や建物を建設するためのレンガのようなものが製造されていた場所だったらしい。
戦時中は戦車が訓練として走っていたらしい、このなだらかな山道をそのまま進んでゆくと火葬場に辿り着く、日常的に線香の匂いがする場所だ。

 

多摩丘陵、というと私はいつも、多摩丘陵に囲まれているような景色で育ったため、全てがこの丘陵内、このお椀の内側で終始するかのように感じてしまう。
今日、最果ての地のその向こう側を見た、送電線が私たちの住む世界とニライカナイとを結んでいる、母も私も沖縄系の人間だと勘違いされるため、沖縄や、強いて言えばフィリピンなどもすごく近い場所のように感じる、祖先は南方系だなと思うと南方の常世、海の彼方の理想郷が思い浮かぶのだ。

 

「あれが大山、あとはわからない」
いつまで住んでも山を識別できないあたり、いかにも東京都下の人間だなという気がした、火葬場の煙もここに漂っているはずである。
私は多摩が好きだが、実を言うと多摩の奥地は好きではない、山に囲まれていて閉塞感がある、そこにいきなり、やや無理矢理街が作られているので不自然であり、一人で居たら確実に気が滅入る場所だなと思ったが、両親は…死を共有するほどに二人ひとつであるので…どこに居ても安心しているのだろう、誰かの焼かれる匂いを嗅いでもナーバスにはならないのだ。
「横浜も見えるんだよ」そう言ってはしゃいでいる。

 

両親と居ると、どうにも、彼等が若く見える時がある、彼等よりも私の方が歳をくっているように思える時がある、昔からだ。

 

私は両親の死についての話を聞いているその間、憧れの人のことを想った、男としてではなく、彼になら、死についての話が出来るだろうと思った。
M氏は死や性を忌み嫌っている、この話はタブーなのだ、そのように母に告げた、母は「もう少し歳をとったらわかるかもしれない」と言ったが、母自身、娘の私が死を実際に共有出来る相手とは…巡り会えなかったことを、察している様子だった。

 「お父さんもお母さんも、死について話し合えていいなと思うよ、私は、このことに関しては、一人で決めて一人で考えるしかない、死ぬときも一人、今、これを話し合える相手が居ないってことについては…私は孤独だと思うよ」
父も母も黙っていた、「でもほんとに死ぬときは、一人だから、仕方ないね」と私が言う、それでもどう返答してよいか考えあぐねている風だったので「二人は本当に仲がいいね、すごく善いことだと思う」と持ち上げておいた。

こういうときに戸惑う両親が、若く思えるのだ、まるで老婆である私が、若いカップルと話しに来たみたいだと思うのだ。

 

先生に会いたいなと思った(監査法人時代の父ではない…)、憧れの人である先生に木漏れ日の中、会いたいと思った。
先生となら死について話せるだろう、ただ、現在の私が死について冷静に考え、話したいという態度で居ても、単なる自殺願望だととられるだろう、もどかしい。
心は勝手に憧れの人に会いに行ってしまう、死を闇雲に怖がらないあの人のところへ、赴いてしまう。
最後の相談をするときにも、やはり私は先生に会いたい。
当たり前だが、先生と死ぬこともないだろう、男女の仲になることもないだろう、診察室以外では会わないだろう、それでも私にとって、死の視点を共有したい相手は先生なのだ…それは変わらないだろう。

 

私は今日見た景色を、もうずっと昔に見たような気がした、何度も何度も繰り返しているように感じた。
両親はまた、死の先の世界で、インド神話やイザナギイザナミのように、世界を撹拌しながら私を待っている気がした。
私の次の器を、勢いで適当に造り、次の楽しい事を探している気がした。

 

…だが、御免被りたい、私は次の人生は見送りたい、大気になって漂っていたい、多分またこの二人に次のゲームに誘われそうだが、勘弁して欲しい、この二人に比べると私の人生は設定がややハードモードな気がする、なんだか損をしている気がする。


私は右足を引きずりながら、一人、死ぬときも一人だなと考えながら、帰宅したのだった。