大熊あれいブログ

絵画やイラスト、詩や独白文章を公開しています。不定期です。

サラと現実

 

セックスアンドザシティー、Sex and the City、SATCまたはS&TC、ああ、実は私にも、このブログによく出てくる「友人」以外の、友達がいる。
絵や演劇、死にたい気持ちを素直に話せる人を友人と呼ぶなら、私は義務教育時代には友人は居なかったが、それでも仲のよかった子は居る。
死にたい気持ちを話せたお友達、Kちゃんは死んでしまった、Kちゃん以外の友達、もう本当にセックスアンドザシティーに素で出演出来る勢いの女友達が一人居る。

 

サラ・ジェシカ・パーカーそのものみたいな女友達が一人居る、そういう雰囲気の子が。

 

…まあ、あんまし観たことないけどこのドラマ…けど言わんとしてることはわかるよね?
お洒落で、心身共に強靱な女が、仕事に恋に…みたいな話で、弱い奴らは完全にこの世界観から淘汰されていてあまり画面には出てこない、そういう海外ドラマ。
ここまで女が強いともう、両性具有的な美すら感じる、まさにそういう女友達が私にはいる。

 

なんとなく察してるだろうが…私は彼女が少し苦手である、というかなんで友達なのかもわからない、でも実はそれこそが私たちの友情なのだと思う。
共通点が無いのに…芸術(創作)に関心があるかどうか、子供の有無、仕事への熱量、現実的に生きているか空想癖か、この全てが噛み合わないのに私は彼女の事が好きである。
彼女とは中学時代に仲が良かった、過去の話じゃん、と思うかもしれないが一応繋がっている、そして私は30になるくらいまで彼女と度々会っていたように思う。

 

彼女は運動神経良し、成績優秀、顔も可愛い、巨乳、媚びることなく男と対等に話し、酒も嗜む、こう書いただけで凄くいい女なのがわかると思う。
有名大学卒業後、大手銀行の総合職として働き始め、20代半ばで子供を産み、見事職場復帰を果たしている。

 

「総合職はね、海外転勤もあるかもしれないんだ、私フランス支社行きたいなあ~ねえ、もしそうなったら旅行で会いに来てよ!」

 

いつも彼女は溌剌としていて、一体どうやったらそんなに頭が回転し、肉体的にも動き回れるのかさっぱり謎だった。

絵に描いたような彼女の経歴と、対面したときのサラ・ジェシカ・パーカーばりの美貌、母親としての強さ、それがいつから苦しくなったのだろうか?

 

「あれい~こっちだよ」
と、私の名前を呼びながら手を振る彼女といつも、駅で待ち合わせしていた、彼女は妊娠中ですらお洒落だった、爪はいつも加工されキラキラと上品に輝いていた。

 

「ねえ、あれい、あんたも図書館でもっと出世しなよ、なんでそんな下の方で働いてるの?」
図書館で出世ったって、館長ですら雇われ館長だぞ、ここでは出世が何の意味も無い行為なんだよ、契約社員てのはどこまで行っても首輪に繋がれたような存在なんだ、偉くなるということへの恩恵が一切無い世界なんだ、というような事を私は彼女に言った。
「じゃあどうしてそんなところにいるの?あれいは落ち着いてるから秘書になるといいよ、秘書って結構重要だよ、うん、秘書がいいと思う」
彼女はそうやって、私に、どのような職業で自活して生きてゆくべきか説いてくれた、私は彼女が頼もしく、何より、自分と別世界に身を置いていていつでも『現実』を愛している様子を見るのが楽しかった。

 

彼女はまさに現実を愛していた。

 

私を見て「あれいはもっと自分を磨きなよ、もっと綺麗になれるのに、髪ももっといじればいいのに、勿体ない」と言った、彼女はいつも腹をすかせていて、不思議なほどよく食べ、酒を飲み、そして不思議と太らなかった、そういう体質の人は本当に居るのだ。

 

彼女の英語の発音を覚えている、紺色の中学の制服、スカートから覗く少し日焼けした彼女の膝、姿勢の良い後ろ姿。
彼女は英語の時間、積極的に暗記した部分を読み上げていた、恥ずかしげもなく勉学に勤しんでいた。

 

そんな彼女から半年ほど前に連絡が入った、ねえ、会わない?いつなら空いてる?ちょっと相談したいことがあるの。
でも私は彼女には会いたくなかった、サラ・ジェシカ・パーカーに会うのがもう疲れたと思った。
彼女の子供と彼女、三人で会った事が数回ある、楽しかった。
それなのに会いたくないと思ってしまった。

 

私は全く現実に生きていない、ということを考えた。
そして、生きることへの見解の異なる人と…仲良くするのが楽しかったのに、それが出来なくなりかけている自分を、許せない気持ちに苛まれた。

 

私はね、もう図書館も辞めたの、引っ越したから。
今はね、接客もやりたくないから、掃除婦をしているの、うん、私ニキビが大量発生することがあるでしょ、あれがしんどくて。
いや、ホントのことを言うと、とにかく私は昔から、現実に身を置いているということが疑問でしかないの、だから隠れていたいの。
私はずっと昔から世界そのものが怖いの、世界中が怖いの、男が怖いの、女だって怖いの、おかしいでしょ。
最近ね、生まれつき股関節が脱臼気味だってことがわかって、リハビリしてるの、歩けるよ、大丈夫。
ねえ、サラ、私がいま、不幸だと思う?現実を生きていない私を幼稚だと思う?

 

「あれいは子供を産みなよ!子供を産める期限があるんだよ…私は息子が居て幸せ、この子を一人前の男に育ててみせる、レディーファーストのわかる男じゃなきゃ出世できないからね」

 

そう言っていたずらっぽくニッコリ笑う彼女を私は好きだった、厳しさのある彼女が好きだった。
彼女が息子に依存することなく、この子を守るとかいう理論でもなく、母として一人の男を育てると言っているのを見るのは、本当に楽しかったんだよ。
いい母親だなと思った。
そして、これはもう父親なんか要らないなと思った。
彼女は夫以上に稼いでいたから、その上家事もこなし、子供の世話もし、いくら彼女が現実を愛して愛して愛し抜いていたとしたって、限界があるものだ。

 

でも私は彼女の愚痴を聞かなかった、相談も…だって、彼女には、実家があったから。
現実を愛している人には、それ相応の見返りがあるらしい、彼女の実家も富裕層なので、彼女がどういう決断をしようが、生きて行けるのだ。
私が何故彼女に会いたくないのか。

 

それは、後ろめたさである。
彼女を羨んでいるのか?違う。
彼女とはわかり合えないと思っているのか?それも少し違う。
私は現実を生きていない、やはりずっと生きていない、それが後ろめたいのだ、かといって生き方を変えることなど出来ない、そして私自身が自分の生き方を自分にとって善いことであると思っている部分も少なからずある…しかし、現実的に考えて、それを他者に説明出来るかと言ったら、答えはノーだ。

 

私は仕事への熱量が薄い、掃除婦は仕事だが、責任のある仕事か否かと問われれば、責任は確かにほぼ無い、あるけれどとても小さい。
私は子供を産んでいない、股関節や骨盤の左右の大きさの違いの件は最近知っただけで、やはり自分の意志で産まなかった。

 

じゃあなんで生きているの?
自分以外の人のことを考えた事ってあるの?
何か世の中のためになることは考えたりしないの?

 

彼女と会うと、彼女の存在自体に私は少なからずショックを受ける。
自分が現実をいつまでも見ていない事に、ショックを受ける。
絵や文章というのは他者へは説明出来ない、この芸術面での繋がりを私は説明など出来ないし、する気も無い。

 

じゃあずっと絵を描いて過ごしているの?
何のために?
絵を売るの?展覧会とかやるの?応募するの?
ねえ、あれい、世の中に関与せずに生きていて本当に幸せなの?
誰のためにもなりたくはないの?

 

私が彼女に会って、というよりも現実社会に対して、自分が何一つ説明出来ない、行動出来ないということを思い知らされる。
彼女は悪くない、強いて言えば私も悪くは無い。
生きている視点や意見が違うからこそ、会っていて楽しかったのだ…でも、会えないと思ってしまった。

 

私が今やっていることって一体何なのだろうね?私はいつの間にか、同じ世界観だけの人と泳ぎたいと思ってしまうようになった、同じ価値観の人だけを人間だと思うようになってしまった、同じ金銭感覚の人だけを、同じ政治意見の人だけを、私は求めていたよ、本当の本当はサラ、あんたに会いたい、全部が全部正反対なあんたに…でも同じくらい強く、会いたくないと思ってしまう。

 

いつになったら彼女に会えるだろうか?

いつになったら別の現実を強く生きている人と、話が出来るようになるだろうか?

 

彼女に会いたくない理由はただ一つ、私は引きこもれる余裕は無いから外へ出ていたが、精神的には幼い頃からずっと引きこもりなのだ、それを悪いことだと、本当のところ、自覚している。

 

そして引きこもり特有の、内的な精神価値というものを私はまだ見いだしていない、それが見いだせたらきっと彼女ともまた会うだろう、そうなれるように、私は祈っている。