大熊あれいブログ

絵画やイラスト、詩や独白文章を公開しています。不定期です。

掃除の仕事と光のトンネル


職場に着いたらまず、薄暗い廊下のドアを開け、光と風とをその階に通す。

 

外に通じるドアは2カ所、建物自体が簡単な造りなので廊下の通気はばっちりだ、ホテルの内装は主に黒…暗がりの中に真昼の光が差す光景はヒエロニムスボスの「祝福された者の楽園への上昇」…通称「光のトンネル」みたいだ、あのトンネルの手前に立っているような気分になる。

 

私の現在の家の近所に古代人の墓がある、古代といっても平安時代くらい、でもこの東の地に於ける平安時代というのはほとんど縄文時代のようなものだと思われる、高度に文明の発達した西の地では死体は忌み嫌われていたが…こちらでは当時、まだ、死体は丁重に葬られ、崇められていた。
職場の、暗い廊下に光が差している光景と、古代人の墓の内部が照らされている光景…または、古代人の墓の内部から…常世から現世を覗いた場合にも同じように見えるだろう。

 

つまり私は墓の内部を清めているのだ、本当にそう思うときがある。
各部屋のドアを開けるときには一応「失礼します」と声をかける、これには二重の意味があって、ひとつは本当に部屋に客が居る場合への保険的意味合い。
もうひとつは、部屋の内部に漂う客個人の気配への配慮、である。
そんな生き霊みたいなあやふやなものになんでいちいち配慮すんねん、と思うかもしれないが、コレをやらないとなんだか…いきなり誰かと目が合ったような気持ちになり、息苦しくなるときがある、私には霊感は特にない、思い込みである。

 

ちょっと話は逸れるが、M氏の金とM氏の社会的立場、彼の実力で私は住処を得た、更地よりも土地家屋がついているほうが、解体代込みでも実はだいぶ安いので、前の住人が住んでいた家をそのまま買った、買って、更地にしてもらった。
まだその家が残っていたとき、不動産屋も私と同じようにしていた、つまり、誰も居ない家に入るその時、「ごめんください」と声をかけていた、私が誰も居ない部屋に入るときにも一応声をかけるのと同様の心理だと思われる。
ちなみに前の住人はその家(つまりこの土地)で亡くなっている、でもそれを私は縁起が良いと思った、路頭に迷うことなく自分の意志で居住し、死んだのだから。

 

このホテルで客死には出ていない、らしい、多分。

 

ただ、妙なことが起こる部屋というのと、妙なことが起こるとき居合わせる掃除婦というのは居る。
そう、後者は私である、全く別の職場でも私が、変な場面に居合わせる確率は高かった、そしてよく機械の調子を狂わせてエラーを出していた。
妙なことというのは、妙な客…本当は2名で泊まっているのに1名のふりをする奴とか…と居合わせることや、トイレが逆流したとかいう大惨事である、あんなに大量の…以下略…あんなものは見たことがないと海千山千のリーダーも言っていた…まあいい、善くも悪くも引きが強いだけである。

 

そして妙なことが起こる部屋というのは…安心して欲しい、怖い部屋があるとかではない、これも単に私個人の問題なのだ、つまり両方私自身の問題なので、このホテルに泊まるときには何も気にしなくてよい、要するにきっとどのホテルだろうが、妙な体験というのは泊まる本人に左右されると私は思う。

 

建物は5階建て、実は地下一階もある…しかし地下室には立ち入ることは無い、地下室がどのような構造なのかも見たことがない、地下の部屋と、閉めたままの101号室があるだけだ、閉めたままの101号室はなんだか薄気味悪い、が、気にしなくてよい。


注意すべきは102号室、その窓を開くと、閉塞感のあるベランダがある…と思いきや、ベランダだと思って窓から身を乗り出すのは危険である、窓の下は亜空間。

地下02号室のベランダまで、水の無い水槽のようにコンクリートの空間が広がっているだけなので、何か落としたと思って窓を跨ごうものなら、そのまま地下階まで真っ逆さま、高さとしては2階から落ちたみたいなことになるのだ。
そういう薄気味悪い造りになっている場所もあるという話。

 

で、妙なことが起こる部屋というのは別に102号室ではない。
5階である、5階の…特にこの部屋、というのではない、通りに面した明るい部屋部屋…一見とても爽やかに感じる。
しかし私は5階の担当になると、いつも掃除中はっとしてしまうのだ。
通りに面した側というのは、部屋に光が入ってきて明るい、窓のすぐ外には電柱が見える、何の変哲も無い部屋。

 

「あ!電柱の工事してるんだな~、そうか、この階だと電柱工事の人と目線が重なるんだな~」


と思いながら掃除すること数回、数十回、視界の脇に工事の人がなんとなく居た、もちろん私の視界の脇に幻覚が映っただけである、私の思い込みである、思い込みだと気付いたのが数ヶ月も経ってからだった、これには驚いた。
電柱工事などは行われていなかった、いや、もしかすると一度くらいあったかもしれない、それを私が記憶に刷り込んでいたに違いない、そうに違いない、なのでこれも特に気にすべきものではないのだ、だって、電柱の工事は昼間に行われるものである、夜泊まっても何も感じないだろう、多分。

 

私の場合、任されるフロア(階)はその日に決まる、喫煙階だと灰皿の掃除もあって、そのたった一手間が面倒である、しかし禁煙階になると皆様快便なのか…以下略…どちらがよいとはなんとも言えない。

 

部屋には、人の気配が残る、その人はもういないのにその人の気配だけは残っている、これを念だとか気配だとか言うのはいささか心霊主義に偏りすぎな気もする。
実際に残っているのはその人の体臭とか体毛、爪といった肉体の一部である、実際に残っているのはその人本人であると言っても過言では無い。

 

はじめのうち、この仕事は「汚い」という意識が強く出て、飯が食べられなくなったりして「参る」かなと心配していた。
図書館の本を汚いという人も居る、私の人生という尺度で測ると、比較的長く図書館で働いたが確かに、本は手垢がつくもので、アルコールで拭き取って読む人もいた。
ただ、手垢と、対面して感じる思念、どちらが私にとって「楽に受け流せるか」というと、断然「手垢」である、と今は言える。
体毛も体臭も垢も便も、元「その人」だったものというのは私にとっては楽に対話できる対象なのだ、いや、特に対話はしていないか…いや待て、対話しているなあ、対話している。

 

まずすることは、部屋の窓を開け、灯りを全てつけること。
それからゴミ袋を二つ持って部屋に入る、ひとつにはペットボトル類、もう一つは可燃類…これしか分別が無くて本当によかった…部屋のゴミをつめたら風呂場へ行って風呂を簡単に水で流す、トイレも流す。
風呂場のゴミを回収、タオル類で簡単に床の髪の毛をすくい取る。
ベッドに行ってベッドカバーを剥ぎ取る、枕カバー、ガウン、そういう使用済みリネンはクリーニング用の大きな袋に仕分けて入れる。
さて、これで部屋から昨夜のお客さんの匂いはだいぶ取れた、もうこの部屋には誰も居ない。

 

人の気配は簡単になくなる、このゴミとリネン回収で5分、このあとに行われる掃除やベッドメイクの作業自体は15分、めちゃくちゃ汚い部屋だと30分くらいかかる、二部屋分時間がかかるのだから料金も二部屋分払え、という心の雑念も洗い流す。

 

前は、窓の外に、青い水平線が見えたな。
駅ビルが完成したので簡易的な海はもう消えた、なくなってしまった、私はあの青い海を横目に、もたもたと作業していた、憧れの人のことだけを考えていた。
あの人への文章だけを考えていた、考えながらでも手は動くもので、掃除のことを考えずとも、身体は動いた、だからこの仕事が私は好きだ。
太古の昔はこの辺りも海だったというから、私が見ていたのはあながち、本物の昔の景色に近いものかもしれない。
私はまだこの場所に勤めているのに、改めて職場の事を考えると…いつもあの偽物の海のことを思い出す、たった一瞬の海、憧れの先生だけが私の話し相手だった頃の事を思い出す。

 

全ての部屋の掃除が終わると、海から上がったみたいな気分になる、そして光のトンネルへのドアを、静かに閉める。

 

何故かこの仕事は、私の身体がピキピキと故障する度に辞めようとするのだが、どうにも引き留められる気配を感じ、それが嬉しく、続けている。
多分朝の光景が一番好きだからだろう、暗闇の中から見た光、墓の中からの現世、私は汚れを清めている、自分が祝福され、楽園へと上昇してゆくような気配を感じる。

 

だから私は、毎日自分が死んで生まれ変わり清められたように感じている、これがこの仕事の一番の面白さ、楽しさである、私は毎日光のトンネルの前に立ち、疑似臨死体験をしている。