大熊あれいブログ

絵画やイラスト、詩や独白文章を公開しています。不定期です。

飯が炊けるまで美醜の話や

 

結婚写真て新郎だけがフンドシ姿で写っても、許されるもんなんか?

 

フンドシ一丁に下駄、扇子を手に顎を斜めに引き上げ、確実にメンチ切ってる新郎、どう考えても頭おかしいやろ…滅茶苦茶格好ええ…。
新婦は白無垢、笑顔、ああ…いいなあ、そりゃ惚れてんのもわかる、フンドシ姿ってのはね、通常キマらないから。
美の基準は時代により変化するけど、均整が取れていること、健康であること、何より自分に自信があること、フンドシでも大丈夫、みたいな気概が彼を美しくさせているのやろな、まあ彼の場合フンドシ履き慣れてるっていうだけかもしれんが、ああ、これは私が最近妙に仲良くしている変人さんの事な、やっぱこの人、変人やわ。

 

それとは別に、以前やりとりしていた人で、ただの友人関係だったのだが、喧嘩別れしちゃった人も居るなあ。
そいつは平たく言うとデブで純朴、だが逆恨み気質で、仕事もうだつが上がらない、当然モテない元アル中なんだけど、もし、仮にな。
仮に彼が自分の事を「僕はデブで逆恨みがちで仕事もアレだしモテない元アル中なんだよね~」と明るく、開き直って言ってたら、私彼の事結構気に入ってたやろなあ。

股関節の悲鳴のために病院行くとき、老婆のような心境でバス停で待ってたらさ、見るからに何らかの障害かかえた風な年増が、わざと私にぶつかってきたのよ。
なんでわざとだってわかったかって?
そのあとそいつ、横入りしてきたから、私を押しのけて。
いやね、もうさ、そんなスタスタ歩けるならアンタ、今の私よりよっぽど健康じゃねえか、この婆、アンタからすりゃ私は若い女かもしれんが、だからってなんであんたより恵まれてるから、その分サンドバッグになって当然みたいな態度とんのよ、殴るぞこの豚、と思ったわけよ、その時は具合も悪かったし、私こう見えてね、脊椎反射が結構ね、過敏なほうなのよ、父親似でキレやすいのよ、勿論我慢するけど。

 

…でもね、彼女はもう醜すぎて何故か許せてしまったのも事実、そのあとバスでとなり会わせた小綺麗な女がさ、目くそほじり出したのよ。
これさあ、小綺麗なやつほどやるよね、小綺麗なサラリーマン、小綺麗な、華奢な靴履いたような女性なんかが結構やる、目くそほじってパラパラさせてやがんの、手を、貧乏くさいというかなんというか、地味な格好してる私の方に向かってパラパラさせやがんの。
何お前ら自分が綺麗だと思って、目くそくらい許されると思ってない?フケと同様なんだよ、しかも手をパラパラさせるってことは故意だよ、故意にやってんだよねえ?きったねえ、汚い、きたねえよ。

 

とか考えてたらさ、ああ、だったら最初に体当たり+横入りしてきた障害者のデブの方が、まだ、美醜でいったらマシかなあという気がしてきた。

 

後者のほうが私はムカついたの、自分でも驚くんだけど、小綺麗な格好をしているのに動作が小汚いという方が、総合的に汚いわけよ、目障りなの。
汚い奴が、豚みたいな奴が豚みたいな動作をするという事には、何の矛盾も無いでしょ、そして軸がはっきりしている、正直さも感じる。
小綺麗ならその格好に見合う挙措でないと、矛盾を感じて苛々すんの。
だってホームレスが目くそほじってても、鼻くそほじってても、もうどうだっていいでしょ?だってホームレスなんだから、どのみち汚いのは当たり前なんだし。
ね?

 

格好って…怖いでしょ、小綺麗な格好したのに挙措によってはホームレスよりも汚い、醜いということになるのよ、うん、だから私小綺麗な格好はしないようにしてんの、うん、元々そういう格好に似合う靴が履けないっていう理由もでかいんだけどね、美しくありたいなら身の丈に合った格好をするっていう鉄則に従って生きてんの、ナルシストだから。

 

また目くその話になるけどさ、目くそ目くそってしつこい?まあちょっと我慢してよ、友人もやってたからすかさず注意してやったよ、何故かって?
友人には子供産め産めを散々言われてきたので、もうこりゃ歯に衣着せず思ったこと、大きなお世話を私も言おうと決めたのよ、友人ははっきり言って格好が小汚いので、だからこそ動作が小汚くても大して醜くないのも事実、だが言ってやった、私が我慢ならなかった、そして理由はもう一つある。

 

最近私と友人とでハマっているあの俳優さあ、稽古場ではずっと裸足なんだと。
裸足で出入りして、裸足が土足みたいな状態らしいで、裸足でスイッチが切り替わるのかも知れん、それ知ったとき、私、なんか怖えなと思った、怖い人のような気がした。
あの俳優の舞台、間近で見る勇気ないよ、私にはそんな勇気あらへん、だって怖えもん。
彼のワークショップ、行く気もあるみたいやな、友人よ、お前さん、そりゃええ事や、私も応援しとるで。
でもな、目くそパラパラ…あれやるとき無意識なんやろ?それなあ、稽古場でやってみい?彼のワークショップ中、演劇講義中、ああちょっと気い張って疲れたな~、そんな集中力の途切れたタイミングで、稽古場で目くそほじってパラパラさせてみい?

 

…物凄い剣幕でお前さんが怒鳴られる予感しかせえへん…怒鳴られるだけで済んだらええ、それを忘れてしまえるようならそれでええ、お前さんの根性がそんだけ図太いならええねん。

 

あの手の気質の人間は私なんかよりずっとキレやすいで、これは癇癪持ちの勘や、癇癪持ちには癇癪持ちがわかるんよ。
いや、これは私の単なる妄想や、勘や、あの俳優が悪人やと言いたいわけやない、つまりな、美醜に関しては人一倍うるさいと思うんや、稽古場を土俵やと思うとる奴やな、彼は、純粋なんやろな、だから稽古場を汚されたくない気持ちが強いんちゃうか、そんな気がする、気がするだけや。
こんなしょうもない事で、またお前が演劇から遠のくような事が起きたらと思うと…こういう妄想してしまうんや、妄想やのうて悪い想像やな。

 

長々書き連ねたこれが、何の話かって?目くその話ちゃうで、美醜の話や、何を美しいと思うのかを私は実体験と空想とを総合して分析しとるんや。

 

なんでエセ関西弁かって?そりゃまあまた別の折に話すわ、私には関西弁バイブルがあってなあ、漫画のなあ、多分全然売れてへん女郎漫画のなあ…まあ長うなるんで今回は割愛させてもらいま、それとは別に何故だか友人とは、いつからかなあ…エセ関西弁で話すのよ、私ら前世は大阪の人間やったんかな、大阪弁なのか関西弁なのかも判別ついとらんがな。

 

例えば最近の股関節痛、臼蓋形成不全と左右の骨盤の大きさ異常の話もな、この手の話書くとな、泣き言書くとな、必ず出てくるんよ。
「あなたより大変な人はもっと沢山居る」とか「あなたは恵まれてる」って言う奴。
だから「今の現状に感謝しなさい」と言う人、「もっと良いことを書きなさい」と言う奴、喧嘩別れした奴は「僕の方が不幸だ」というタイプやな、これがムカついたんや。

 

彼等の言い分が間違っているとは言わん、それは正論や、ただし、「比べれば」の話や、客観的に見たらの話や、そして彼等は彼等で自分の正論は自分のブログに書きゃええねん。
私な、物事書くとき、描くときもな、主観をそのままに唄いたいんよ、書きたいのよ、そのままに、辛いなら辛い、楽しいなら楽しい、醜いなら醜い、虎視眈々と金勘定してる自分の醜さも、そのままに書きたい。
例えばな、自分が小綺麗で周りが薄汚い、だから私の綺麗な目くそくらい散らしてやるわ~花吹雪よ~と思ってるんやったら、私な、それをそのまま書きたいんや、まあ別に思うてへんから書かんしやらんけど、思ってたら書いたしやってたかもしれんな。

 

つまりな、それが私の美なのよ。

 

正論や綺麗ごと、自分の思う理想の人物を私に投影してくる奴にはな…どう対処したらええんやろ、絶交は、ちと惜しい気がすんねん。
でも私もキレやすいからなあ…「正論ばっかり言う綺麗な人が見たかったら、宗教かアイドルのブログでも見て癒やされてね☆」って返すしかないやろなあ、現状。
私にはな、恥ずかしい話だが、抜きん出たものが無いのよ、創作の助走として、とりあえず腹にたまった腐敗物を出しとかなあかん、そういう文章なんや。
仕事上がりに夕暮れの公園で、誰も望まない弾き語りをしている、文章って唄やね、誰も聴かない唄、正直なものを声にして吐き出さなあかん、ただそれだけやねん。

 

文章の美醜もな…今な、秘かに一人だけ、面識はほぼ無いが凄いと思うてる人がおんねん、多分女性やな、私誰かのファンになると、相手が綺麗すぎて一切関与でけへん、女性なら尚更や。
彼女は言葉の使い方が、独特に日本語文法を無視してんねん、いやあれは無視ではないのか、誌面に載るということは無視ではないのか。
憧れの人の書いてた文章も、当時の文章はやはり日本語文法を華麗に無視して「。」を打ちまくっていたので、何か通じるものがあるのかもしれん、言葉を絵の具のように使うね、そんなに自由に泳げるんだね、そういう時に「ああ~頭おかしい、凄い」と私は感嘆すんのよ、それと同時に彼等に光を感じる。

 

変人さんは写真に写るとき、自らを作品にしてしまう、そういう事やろ?いや、ただの変態かもしれん、でも強烈に日本男児の強さみたいなものを感じた、極右翼かもしれん、というかあっちのあぶない世界の人かもしれん。
でもな、私、そういう突き抜けた人が自分の思想そのままに生きとんのは、正直、醜いのに美しいと思ってしまう、醜いのに美しいんや、そや、美しいんや、頭おかしいほど美しいんや、こんなんあかんか?

 

こんな美学おかしいか?正直さが美しい、醜さも美しい、これは美学や、私の美学や。

 

ええねん、はたから見ておかしくてもええねん、自分で許してんねん。
それだけは私、はたから見ても、客観でも主観でも、私は心底恵まれとると思うとるよ、自分の美学を捨てないというところが、恵まれとんねん。
そしてこの美学、この軸を捨ててないということが、私の一番の豊かさと美しさやな、だから私は、汚くても綺麗やねん、どんなにセコくても酷くても不健康でも股関節弱くても頭弱くても綺麗やねん、目くそ散らし如きで怒り心頭してても綺麗な女やねん、フンドシ一丁の男に見とれるほどアホでも綺麗やねん、無茶苦茶やろ?

 

ほな、そろそろ飯が炊けるから、支度してくるわ、またな。