a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

脳みそについて


掃除の労働は疲れない、言語野を使わないからだ、ただ泳ぐように、1秒くらい早く、という思考だけで私は身体を動かしている。

6~7時間の短い労働のあと、そのままの気分で帰宅し、そのままの気分で家事をし、そのままの気分で書いたり描いたりする。
以前の仕事ではこうはいかなかった、同じような労働時間でも、もっとずっと緊張していた。
通勤時も緊張していた、普段とは違う自分にならなければと戒めていた。

 

女で笑顔がキマっていると、何故だか人格者だと思われる、人格者とはいかないまでも、何故か対面した相手は笑顔の私を信用する。
もちろん、ここでいう対面とは、本当に外面だけの、少ない時間での対面の事である。
自分で言うのもなんだがこの大熊スマイル、これは本当に役に立った、しかしこれが元であらぬ誤解が生じたりもした。
このスマイルを連発するのは接客では大いに役立った、しかし、同時に、おつりの計算も出来ないほど私の頭が弱いと気づいた人を…主に職場の人間を、混乱させることが多かった。

 

言語の無い手作業だけは早い、そういった業務の素早さと、接客での笑顔、電話対応時の発声の良さ(仕事時だけ)、これが元で「出来る人」扱いされてしまい、大変だった…なにがどう大変というのを、説明するのすらもう、苦しくて嫌なほど。
仕事が出来ないというのとも少し異なるのだ、空気が読めないという意味での、意味不明な人になりがちだった。

 

正直、私は独特に男受けがいいので、より一層仕事場の人間関係に於ける信用を崩して、崩して、それを修復して…主に職場の人間に対して、私はいつも警戒し、「騙しているつもりじゃないんです」というような申し訳ない気持ちに苛まれて過ごしていた、とにかく居場所が無かった。


姉御タイプの人が職場に居るとなんとかなった、彼女たちに助けてもらったようなものだ、大熊は面白いねと誰かが言ってくれればなんとかなった、有り難いものだ。
ああ、仕事面での居場所の無さに関する話は…辛いなあ。
職場での人間関係、これが上手く行かないと、生活が困窮してしまうというのが、この世の摂理なのだ、それはもう身に染みている、思い出すだけでも不安になる位に。

 

…何故対人関係で誤解を生むのか、私は使用している頭の分野が一つしかないらしい、だから馬鹿なのだ、だから大変なのだとふと気付いた。

 

普通に話す時と、芸術面でのやりとり、変人さんはこの二つが本当に別れている人だ。
脳みその使いどころが別なのだ、創作をするときの脳と、仕事時や周囲の人間に対して振る舞うときの脳みそが、別人かと思うほど彼は異なっている。
文体というものは、普通、どんなに意識して書き分けたつもりでも、一人の人間が書き分けたとばれてしまう。
ところが変人さんの場合、本当に別人のような文体になる。
普通のときの文章と、芸術面での文章が、本当に別人が書いたかのような気配になる、不気味ですらある。
ああこれは、勉強も会話も出来、孤独の作業である芸術の才もある、両刀タイプ、どうりでポテンシャルが高いわけだよ。

 

先生もこのタイプだろう、だから大勢の人と話が出来るのだ、自分の変わった部分すら他者に対し華やかに見せる事が出来るのだ。
だから私の文章も読めるし、きっと絵も見る事が出来るのだ。

だから私のようなファンがつくのだ。

 

私がこの二人に憧れるのは、自分よりも沢山の分野を処理できるからだろう。
脳みその一カ所だけで全て処理しようとしても、処理しきれるわけがないのだ…こう言い聞かせても私の脳みそは一つの場所しか動かない仕組みらしい。

 

私の両親は二人とも理系である。
二人は音楽と、数字で会話している、数字を追うのが本当に好きらしい、多分数字の感触や図形が見えていて、手応えがあるのだろう。
実際ほとんど単語で会話している。
しっかし、理系同士が子供をこさえても、理系が産まれるとは限らないのだね。
彼等も一つの脳みそを使っている人々だ、だから頭は良くない、なぜなら、その他の物事が見えていないから。

 

頭の良さというものを定義するなら、脳みそを沢山活用する、広範囲で脳を活用している人ほど頭が良いということだと私は感じる。

 

知能障害スレスレの頭の悪さをいつも父から罵倒されていたが、なんだか腑に落ちなかったものだ。
父はプログラミングの本を出したり、数字めいたものに関しては確かに強かった。
だが、いつも職場で辛い気持ちで過ごしているらしかった、仕事が嫌で嫌で死にたいと癇癪を起こしていた。
転職の時期は一触即発だった、現在は株で生きながらえている。
父もまた、頭の一カ所しか使っておらず、周囲の人に誤解を招いているタイプだろう。

 

この、脳の一カ所しか使えない人たち、この人達は一般的には頭の悪い種族である。
ただ、私はこの一カ所こそが、創作の脳みそであり、私の根源であり、愛、のようなものを感じる部分でもあり…視界に七色のフィルターをかけ、景色を美しく見せてくれる効果があるのを実感している。

 

この歳から客室清掃を選ぶなんて、もうそれしか仕事が出来なくなるよと、脅しめいた台詞を言われることもある、親切心から。

 

私も、そう言われると暗い穴が地面にぽっかりと開いているような錯覚に陥る。
だが、私は私でしかないのだ、どんな職業に就こうが私が私である事から、苦しみからも悦びからも逃れる事は出来ないのだ。
だったら、この運動の仕事が私には、手先を動かすということも含め、とても合っていて、楽しいとすら思えるのだから、そういう楽しい事を、自分の仕事として選びたいと思う。
無理をして、業務そのものよりも職場の人間関係に気を遣い、疲れ果てて倒れるように眠る(あるいは眠れない)よりも、良いではないか、合う事をして、脳の一カ所のみをフル起動させて、狭い視野で楽しく生きて行くこと、それの何が悪いだろうか?

 

私は絵を描いている時の気持ちで生きている。
本当に驚くほど誰の役にも立っていない。

 

ただ、変人さんや先生に接する時には、心から、脳みそのこの部分だけで話せて、それを相手もわかっていて、それが嬉しいと思う。
友人もだな、友人の親父さんも。

 

芸術のフィルター、脳みその一カ所の部分、私に根付いている視野ごとそう呼んでしまえばいい、これが無くても生きていけるなんて嘯くのは、傲慢だ。
一度この視野を発動させてしまったら最後、もう、他の脳みそでは味わえない快楽が待っている。
絵も音楽も詩も、そういうものでしょ。

 

私たちは、ただ快楽の為に生きている。

永遠の快楽というものへの憧れだけで、生きている。