散文の自画像 

創作魂を持つ大熊という人間が、散文で日々の自画像を綴る文章ブログです。

ネット黎明期と概念の世界

モデムの音を覚えている。
ダイヤルアップ式のモデムだ、それは白い箱形のPC画面の上に鎮座していて、ネットに繋がるまでの時間を赤い音を奏でて、こちらの気持ちを高ぶらせてくれる。

 

父はプログラマーだった、ウィンドウズ95の起動音、父の書籍を読んだが意味がわからなかった、家族の誰も、父の言語を理解しなかった。
父は私に、PC方面の…形而上学的な世界観を私に理解させようとしていた。
あるいは英語を、PCか英語のどちらか一方を理解させ、その道で食べて行くよう独自の指導、および罵倒を私に施してくれていた。

 

私がはじめてネットに触れたのは小学生の高学年の頃だ。

 

一時的に引きこもりになっていた、友人も本当に一切居なくなっていた。
人生の初期の躓きと、第三者からみたら思うかも知れないが、私はもっと幼少期から出来損ない街道を邁進していたため、特に自分の境遇は気にしていなかった。

 

「ネットに繋ぐぞ」

 

というこの父の言葉に、父が旅行に行くときのあの空気を感じた、別の概念の場所、別の国へ行くときの高揚感が詰まっていた。

うまくゆかないときも多々あった、回線が安定しない、その度にダイヤルアップ式モデムが赤く光って回転するのを見ていた。

いざネットに繋いでも、インターネットエクスプローラの初期画面から、その次のページへ行くまでの移動、移動、移動…
自分はここに座しているのに、気持ちの上での移動、概念の上でのあの場所、次の場所、次のページ…
それが果てしない挑戦のように思えた、次の思考への移動は勇気が要る、なかなか次の世界へは進めないのだ。

 

「ねえ、お父さん、これってさ、お母さんの祈ってるあの、仏壇の中の、命の源、という意味の書かれた…ご本尊みたいだね」

 

概念上の「行きたい場所」、それに触れることも、実際に三次元上に立ち現れることもできないあの言葉。


それは各家庭の仏壇の中に安置され、仏壇を開いてそこに心を立ち向かわせることによって、言葉の表す生命の源、全ての故郷と対面できるあの現象。
まるで、PCを立ち上げ、モデムが勤行を唱えあげ、そしてネットという概念の場所にアクセスが可能となったときに、自分が、自分の思考までもが更新されてゆく、祈りが届いたと感じるあの現象に非常によく似ていると私は思った。

 

実体のない場所へのアクセス。
実体のないものへの移行、実体の無い場所への移動、思考の移動、思考の総体、ネットという場所自体が、祈りの先、道しるべであるご本尊によく似ている気がした。

 

母の信奉する日蓮宗のご本尊は、紙に書かれた文字である。

 

そのご本尊と呼ばれる紙自体はただの紙切れなのである、彼らは仏像や偶像、場所そのものを拝まないのだ、彼らは偶像崇拝や場所への崇拝を禁じていた。
つまり三次元上での場所や物への思考は、祈りではない、概念上の場所への祈りこそが信仰である、それが母の所属する宗派の教えだった。
ネットに触れたときの私は、既にその団体から脱退していたが、彼らの言う概念上の約束の地は、ネットの概念に非常によく似ていると思った。 

 

私は三次元が好きだった、物や場所が好きで、そこに同化したいほどの慕情に駆られていた、私は場所を崇めていた、私はここに居ると私は言いたかった、母に、というのではない、話の通じる誰かにただひたすらに言いたかった、聴いて欲しかった。

 

「そんな事ばっかり言ってると、レジ打ちくらいしか仕事が出来なくなるぞ、人に縋るような屑の生き方だけはやめろよ」

 

父は手厳しかった、父自身が食いっぱぐれていた、父にとっても…三次元は苦しい場所で、父は常にどこかへ行きたがっていた。
別の国、別の時代、ネットの世界、究極的に父は別の自分になりたがっていた。
自己啓発本であふれた父の書棚は、狭い団地の部屋で、哀しい光を放っていた。
私は父に怒られたり打たれたりしたあと、つまり週に1~3度は父の本棚を見て、生命がこんなに苦しいならどうして父は死なないのか、泣きながら心の内で問うていた。

 

私ここに居るよ、この畳の部屋に、だから壁に絵を描いたんだよ、これからだって描くよ、私はここに居るから、だから別の世界の景色を三次元に落とし込むんだよ、それが私の言葉だから、私はネットの世界を既に見ているから、ご本尊の世界を、もう見ているから。

 

その全てが出過ぎた言葉のような気がして、父にも母にもだんだん何も言えなくなった、肉親でも…形而上学的な意味での故郷は、異なるのだと私は実感していた。

 

高校の頃にノートパソコンを買ってもらった、父はそうやってなけなしのお金で私を一人前に育てようと独自に努力していた。
バイオのPCは薄い紫色で、しょっちゅう具合が悪くなり再インストールを繰り返した、幸いPC内に保存しておくほどのデータはなかった。
2000年代当時、私は2ちゃんねるにハマっていた。

 

「女は出て行け」

 

と私は何度も書いた、あの頃は何故だか2ちゃんねるは男の場所だった、なので私も男になったのである。
ネット回線はダイヤルアップ式の頃とは比べものにならないほど安定していた、当時でもそうだった、無料の占い師をやったりもした。
要するにそうやって文字でのやり取りを覚えたのだ、見知らぬ誰かへの文字が、本当に、触れない、実体のないネットという場所で、それでも実感を及ぼすほどのものになり得ると、私はだんだん覚えていった。

 

私が15~16歳の当時…2000年代というのは既に、携帯電話を持っている時代だった。
少なくともそのとき高校生の皆は、携帯めいたものを持っていた、ポケベルというのは死んだ文化だった。
だからたった10歳離れているだけでも、この年代を境に、生きている時代が大分異なる印象を受ける。
彼氏とのメールのやり取り、友達との携帯でのやり取り、そういうものを思春期で体験している。

 

結局20歳までに私が覚えたのはブラインドタッチと、ネットの世界での他者との会話だけだった、父は落胆していた。
たまに父に、何かシステム面での操作を習ったが、罵倒されたことしか覚えていない。
馬鹿と言われるとどんどん馬鹿になることだけは覚えた、だから人には馬鹿と言わないようにしているが、わからない、だからこそ馬鹿だと言うこともあるかもしれない。

 

あるのにない世界、実在すると言い切れないのに、触れられないのにそこに在る世界、ネットの世界。
母の故郷、ご本尊の世界。
私の故郷、絵の世界。
父の故郷、父の居ない、いつでも更新され続けている情報の世界、苦しみや哀しみの一切ない、綺麗な世界。

辿り着けない世界、でも、既に存在している世界。

 

私は絵をキャンバスに描いている、それを対面して見てくれる、実在する他者と、長く縁を保っている。
2000年代からの付き合いは友人だ。
それはきっと、私の故郷を絵という形で見せてきたからだろうと思う、友人の故郷を、演劇という形で私も見てきたからだと思う。

 

今、何故ネットをやっているのか、何故まだこの世界に触れているのかというと、故郷の似ている人を探したい気持ちがあるからだ。
ネットの存在する意味、それを活用する意味は、自分の言語の伝わる相手を探すのに適しているということだ、私の場合はそうである。

 

時差を超えて先生のブログを読めた、先生のブログはもう存在しないが…ネットがなければ先生だってただのかっこいい男でしかなかった。
内面を知ることも出来なかった。

 

恋人関係も、肉親も、実に表面上の言語でやり取りをしているに過ぎない。
思いやりや、過ごしてきた時間、匂い、そういった実在する身体面に染みこむ思い出が一番だというならば、それも正論だろう。

 

ただ…私は概念の世界に生きている、ずっと昔から、絵の世界が私の世界だった。
それには絵を描けばよく、それを見せればよいと思っていたが、それはたった半分でしかないと気づいたのだ。
呼応が必要なのだ。
見る側の人間がどのような人間かが、私には重要なのだと気づいたのだ。

 

ネットがない限り、その人の書いた本や日記がない場合はその人と過ごす時間が重要視される。
でもネットがあれば、実際に対面する時間が短くとも、相手がネット空間に何か発露していれば、どのような故郷を持つ人間なのか、どこから来た人なのか、深く理解出来るのだ。

 

ネットは時差を超えて行くための道具だ。
絵がそうであるように、ネットも、概念の世界を揺るぎない物にするための装置なのだ。

 

これからの付き合いは、恋に落ちるとか落ちないとかではなく、思いやり以上に…互いの世界観を重要視したいと私は思っている。
友人とも18年付き合ってきた、抜け落ちている期間はあるが、あの頃からのお互いを知っている。
それは互いの世界観を、目にしてきたからだ、彼とはネット無しにここまで内面をわかり合えることが出来た、幸福な事だ。
だから、異性というよりももっと深く繋がり会える人を私は求めている。

 

そのような人に絵の世界を分けてあげたい。
私の故郷を見せてあげたい。
これが何よりの贈り物。

 

私のチョコレート、私の手料理、私の血肉、私の涙。
ゴッホが娼婦に自分の耳を切り落として贈った気持ちがわかるよ、自分自身を与えるにはどうしたらいいか、故郷を見せるにはどうしたらいいか。
一番呼応の強い方法を選んだのだと思う、悲鳴すら呼応なのだから、拒絶すら呼応なのだから。

 

先生には絵を、友人にも絵を、変人さんにも絵を、私は贈るよ。
贈るというのは見せるということ、形而上学的な故郷に、呼ぶということ。
窓辺に絵を掛けている、掛けるというのは作用をおよぼすという意味もある、これを見るのは人間だけではない。
風景そのものへ、三次元上の、外の空間そのものへ、私はプレゼントを贈っている。

 

私は故郷を産み続けるよ、概念の世界を、卵を産み続けるよ。

絵は卵だから、卵の中には故郷が入っているんだ、世界が入っているんだ。
対面して、呼応のあるときに、三次元上の空間に、絵は孵化するのだ。
そのとき世界が実現するんだよ、概念が実体となるんだ。

 

世の中の全ての物がそうだよ、絵も、建物も、文化も、チョコレートも、全部がそうなんだよ。

 

三次元上で会えるのを、楽しみにしています。
モデムの音はもうしないけれど、あのときの赤い音もきっとまだ呼応している。

音の波に共鳴したりしなかったり、そうやって私がついに存在しなくなってもまだ、光と共にこの時空を揺蕩い続けている。

一度放たれた音は、永劫に、なくならないのだから。