a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

疑似母子相姦(達することの不必要さ)

 


内面に宿る母性を、強烈に感じる時がある。

 

男には一切、こちらを愛撫させないよう言い含め、一方的に女である私だけが愛撫を重ね、まどろみ合うというもの。

 

私は元来握力や腕の筋肉が発達しているらしい、絵を描くにはもってこいだと思っていたが、男を長時間愛撫し続けるにも適している。
睦み合う時用の液剤を塗りたくって、肛門やペニスを、本当にゆっくりと優しく、はじめのうちは触れるか触れないかぐらいの強さで撫で続けるのだ。

 

大体2時間くらい、それ以上でもいい。

 

だって絵はもっと長時間描いているのだから、本当に微弱な力とローションがあれば、手は動かし続けられるものなのだと私は知っている。

 

会話しながら、相手が甘えるたびに「いい子だね」と声をかけながら、手を止めずにいる。
途中で男が寝てしまってもよい。

不思議なもので眠っているのにペニスだけは勃起している。

 

その間私は詩を頭の中で思い浮かべたり、絵のこと…次に筆を置く場所や色を細かに計算しはじめる。

絵については実際、生きているのなどたった数分に感じられるかのような…圧倒的な時間の足り無さを実感している。

 

眠っていても愛撫を続け、頭も撫でてやる。
そうしていると、心底、男が愛おしくなってくる、たとえそれが一時的な、性に於いてのみの相方であっても、可愛くてたまらなくなる。
寝息にも色がある、目を覚ましてもまだペニスを愛撫されているのを、素直に感じ入る様子の男を見ていると、たまらなくなる。

 

相手が射精をせがんでも、「我慢してね」と言って握力をさらに弱める。
射精しないでいるのがしんどいと言う、その様子をおでこにキスをして、見守る。

 

私自身がそうであるように、苦痛を感じ始めてこそ、快楽が本物になるのだ。
快楽なのに苦痛である、という場所まで男の手を引いて連れてきてやるのだ。

 

快楽が苦痛に変わる場所…この場所は私だけの場所だったよ、誰にも知られないように隠してきた秘密の場所だったよ。

 

でもあなたは子供のように可愛いから、お母さんはここまであなたを、連れてきてあげたの、ここからの眺めは、美しいでしょう。
いい子、ここまでよく耐えたね。

 

射精を懇願する男の、はち切れんばかりのペニスを、気を入れてしごいてやる、頑張ったからご褒美、顔にかけたいなら顔に、とにかく出したいというのなら飲むことにしている、私は精液が好きなのだ、無理矢理飲まされたのに好きなのだ。

 

何故かこの、男に一切愛撫を許可せず、こちらだけが長時間愛撫し続けるというセックス…肉体的に結合すらしていないのだが…この交わり方をすると、非常に穏やかな気持ちになる。
子供って可愛いなあという気持ちになる。
そして独自の絆みたいなもの…こちらへの信頼と言っても過言ではないような…そういう感情を男から感じる。

 

今のところ一番満足度の高いセックス、私が「自分の母性を発見した」と思えるほどのセックスはこの疑似母子相姦とでも言うべき穏やかなセックスである。

 

このセックスを知ったのは大体1年前。

 

5年以上のセックス封印時期を経て、出会い系サイトで男を漁るぞと私は決意した。
決意にあたって子宮に避妊リングを挿入する無麻酔手術を済ませ、痛みが引いて、男と交わる日々が続いた…はじめのうちはわからなかった…でもある男に出会ってふと実感したのだ。

 

いつも私は最深部では戦々恐々としていた。

表面上は常ににこやかに、男の申し出を受け入れていた、妊娠しないようにすること…トラウマを思い出さないようにすること…それがセックスだった。
だからセックスで和やかな気持ちになる、ということが私にはいつまでも理解出来なかったのだ。

 

私にとっての理想の男(雄)は、眉毛が薄く、一重で、面長…つまり私の要素の真逆を備えた男こそが至高の美形である。
さらに詩歌に長けているというのが先生である、向こうはともかく、私が先生に惚れないはずがないのだ。
そんな私はあるとき出会った男を、一目見て思った。

 

「私の息子」

 

私が、私にとっての美男子との間に子を成したら、こんな感じの奴が生まれてきただろう、眉毛が薄く、目はくりくりしていて、予想外に大柄だった。
避妊リングが腹の奥底に宿っている、そのため妊娠しにくいという安心感が、私の内部をも照らし出したらしい。


あなたは可愛いから、私に甘えて欲しいなあと私は伝えた、表面上の笑顔を超えて相手に何か伝えたのははじめてだった。
あなたのうんちのお世話だって出来るよ、あなたは息子みたい、本はあまり読めないというのも含めて、絵が好きなことも、私をゾクゾクさせるよ。

 

実際、こちらへの愛撫の禁止を素直に守ったのは彼だけだった。

 

女への愛撫の禁止。

 

乳房を触るのはよい、乳首を吸うのも良い、だってそれは甘えている気持ちからだから。
でも私を喜ばせたいのなら、私をいかせようなどと思わないで、甘えきってね。
これに「うん」と首を縦に振ったのは今のところ彼だけだ。

 

「女をいかせなきゃセックスしたとは言えない」

 

この呪縛に男が取憑かれていると、常に気が散っていて、私をいかせるということだけに気が逸れ…膣に乱雑に指を入れられたり、結果膣炎になったり、こちらも割と散々な目に遭う。

 

AVの、女の達するシーン、あれ、本当にいらないよね、しかも見てて嘘だってわかるし、実際のセックスの質を著しく下げている。

 

つまりセックスには…もしかすると射精すら不必要なのかも知れない。
女が達するということも不必要なのだ。
それでも満足できるのだ。

 

なぜなら…肉体的に相手と向き合うことがセックスに於いての至高の快楽だと私は思っているから。

素裸で向き合うその時間に、快楽も苦痛も色濃く出る、そんな時間を共有することが快楽の度合いの高いセックスだと私は思う。

 

自分の醜さ、滑稽さ、目も当てられないような不格好さ、時に汚さ、弱さ…

他者に封じたいものこそが顕在化したその時にこそ、それを目の当たりにする相手の実在を知り、心身を委ねたという実感を得るのだ。

実感の無いところに感動は無い、無感動なセックスは、肉体的に双方が達しても、心底孤独なものだ…。

 

疑似母子相姦がしたい、疑似母子相姦…疑似とさえ言ってしまえばレイプですら、愛の行為になってしまう、でもその言葉に値札が貼られるや否や、途端に愛は失せ、薄っぺらい背徳が勝ってしまう、孤独が勝ってしまう、性産業は孤独の集合体だ。


私は、本当に世の中の誰かが傷ついたであろう、母子相姦という言葉を、こうして平然と使うのである、背徳を表す言葉を嫌っているくせに、背徳の言葉を使うのである、言葉の暴力を肯定しているのである。

 

なぜなら…暴力性のある言葉の内部に、自分の母性の宿るのを、私は感じるから。

自分自身の矛盾の中にこそ、光が宿るのを、感じるのだ。

 

快楽と苦痛に、許しのようなものを、感じるのである。