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八王子スーパー拳銃強盗事件(自分のこと)

 

※この記事は、当時の状況を私が体感したままに書いております。
事件に関連する事を開示しているというより、個人の主観に基づいての回想録としての文章です。
故人を冒涜、事件を娯楽として文章に起こしているわけではありません。


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今から四半世紀ほど前に、八王子のとあるスーパーで強盗殺人事件が起きた。
夏祭りの7月の夜だった。

私は当時10歳だった、私にとって10歳という年齢は、既に性体験をしていた年齢でもある。
それは小学校に上がった7歳時からはじまり、目をつけられ、狩られるように大人の男の射精相手に選ばれてしまった時期だった。

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「夜は危ないから」
と人々が言うのを、私は心底馬鹿にしていた、私は日が暮れるその前に悲鳴を上げている、だが無論誰にも届かない悲鳴であった、昼なお暗いあの団地群の中で、道を隔てた向こう側の公園で、何故だか執拗に追われる日々を繰り返すうち、母の祈りは揺れるようになった。

 

「私の祈りで、あれいちゃんにますます男の人を寄せてしまっているのかも知れない…」
母は時折そのような言葉を口にするようになった、以前ならば嬉々として、白黒の紙に書かれた郷土へと祈りを馳せていた彼女が、しょげ返っていた。

 

私の着ていた服には、母の作ったものもあった、黄緑色のスカート、抹茶色のワンピース、私は渋い色を好んでいた、それを大人の色だと思っていた。
母は大人しい私を、どんなに外が怖くても引きこもらないようにと気を配っていた。
外に出たがらない日は、私をベランダに出るように促した。

 

ベランダには鉄製の柵がついていた、柵の外側から見た私はいかにも滑稽だろうと私は思った、柵の外はもう、誰もが私を好きに触れる恐ろしい世界だった。
一階なのだからすぐにでも外に出れたのだ、だが私は出なかった、柵にしがみついたまま外を眺めるのが好きだった、少なくとも暗い昼間のうちは。

 

夏祭りの会場は、私の住む公営団地に隣接した都営団地だった、私たちの住処というのは一種の共産圏のようで、巨大で無機質、その中に大勢の人間がひしめいて暮らしているのだった。

都営団地のひときわ大きな棟は、当時から自殺の名所と化していた、壁の壁面にはどうしてか、「ねえさん」という文字が大きく見える、自然の摂理でそのように壁の素材が剥げ落ちたのだ。

 

今夜は…と私は思った。

夕方の道を、お財布だけを手に、好きな子の話やお小遣いの話で盛り上がる旧友たちとは離れて歩きつつ、一人で歩き回ろうと決意していた。

 

夏の夜の空気、甘いものとしょっぱいものと、大人と、そして子供特有の匂いが色濃く漂う有機的な空気、もう海水と言っても過言では無いほど、生き物の濃度が濃いのを感じた。
ここは培養庫の中、老人が飛び降りてゆく棟の内側ではいつも命が、弾けている、甲州街道はほどよく世界を切り離しているようだった、私が、私たちになれる世界を用意してくれているようだと思った。

 

はじめて一人で、私は夜の道を歩いていた、手持ち無沙汰なので飲み物だけをちびちびやりながら、時折サンダルに小石が入るのを避けて、薄ぼんやりとした明るい夜を肌で感じた。

このまま、学区外まで行こうか…
このまま、駅まで行ってみようか…
このまま、誰も知らないところで、誰でも無い自分になれないだろうか…

夜の世界では少なくとも初潮を迎えてからの子たちが、雌として見られている様子だった。
誰も私を追い回そうとはしなかった、夜の世界は安全である、下手に昼間出歩くよりもずっとずっと、子供には安全であると確信した私は、唐突に反抗的な気分になり団地を抜け出た。

 

誰かがカラオケで歌う機械的な音が、私の後を案じて後ろ髪を撫でているようだったが、無視した。

 

高くそびえる飛び降り棟を横目に、私は街道まで出た、歩道橋まで来た。

たった100メートル、もうだめ、と思った。

意気地なしと自分を罵りながら私は歩道橋の階段を上がり、雄雌一体という体の成熟した男女と踊り場ですれ違い、地上よりも高みにある橋の真ん中まで来た。

昼間であれば、そこから富士山が見える、車が飛ぶように、私の股の下を光を発しながら走ってゆく。

富士山を見ながら暮らしている人々のことを思おうとしたが、宵闇に圧倒され何も感じられなかった、遠くで赤い光が点滅している、山の匂いがする、私の冒険はここまでだった、私は歩道橋を渡りきらず、自分に負けたように感じながら引き返した。


翌日、歩道橋を渡って向こう側の、隣接した学区外のスーパーで強盗殺人事件が起きたと知った。
私よりも7歳ほど年上の人たちも頭部を拳銃で撃ち抜かれ、亡くなっていると知った。


・・・


その場所に改めて、先月の昼間、木枯らしに吹かれながら既に30代となった私は、長年の友人と共に行ってみた。


現在強盗事件現場のスーパーは駐車場になっていて、空気が開けていた。

駐車場の柵には看板が掛かっていた。

そこには「覚えていますね?」とどこか詰問口調の文言が大きく書かれていた。

八王子とはそのような場所で、江戸と山奥の中間地点、処刑の場でもあり、暗い花街もかつて存在し、どこか文化も言語も独自である。

私の両親を含め沢山の人が流れては行き場もなく、山と平野の境目で、川だけを友としながら揺蕩う場所、それが八王子であると私は感じる。

看板の文字に、下から藪睨みに見据えられているようで、怖気が走った、柵の外側から見た私の文章もこんな印象なのかもしれないと思った。

 

「ここにな、スーパーの入り口があって、平屋だったんよ、んで事務所がそっちの、ポコって飛び出た部分の土地な…」
友人の案内で私は異次元へと誘われる、入り口に並ぶレジ、長年置いてある添加物の香り、埃、ぼんやりとした蛍光灯、有線の音楽、従業員用のエプロン、、、銃声。

 

駐車場の砂利を、スニーカーで踏みしめながら私は思う、死は今この瞬間にも起きている、だが印象的な死は、舞台があり、スポットライトがいつまでも当たっているようで、実に儀式めいている、それゆえ永遠性を帯びている。

 

私よりも7~8歳上の人と、私は何故だか縁が濃い。
私の文章を良いと言ってくれた近所の内科医も、最近知り合った元画廊の主もこの年代である、つまり故人の年代である。

 

「俺もあの夜祭りに行ったよ、すぐそばの、ほれ、その公園、そこに居たよ」
友人が指さす先に人工的な広場があった、電線に守られているかのようだった、友人は、今生きてここに居て、寒さに震えている、斜視の私もまだ落ち延びている。


・・・


新たな建物が出来るらしい、クレーンが首を長くして、古代の社のように駐車場を後方から見下ろし、場を清めていた、空まで届く階段は、無事魂を引き上げただろうか。

 

※故人のご冥福をお祈り申し上げます。