大熊あれいブログ

文章ブログです、雑記帳のような感覚で主観的、感覚的に詩やエッセイのような独白文章を書いています。不定期です。

朱色からの避難(宗教)

 

朱色は私には強すぎる、真冬の朝日は私にはもう痛い、昔からそうだった、私は正月が苦手だ。
感覚のみで行われるのが日本の行事である、そこには言葉が無い、色だけがひたすら迫ってくるのをすんなりと受け入れる、それが神事である。

 

母の所属していた宗派に私も子供の頃入っていた、私は一生この白黒の祈りの中で生きるのだと当時は信じていた。
白地に黒い墨で「命の源」という意味が書かれていた。

しかし母は言った「この白黒の紙そのものが凄いのでは無いんだからね、この文字の表す意味に辿り着いたその心境が、真実だという意味だからね」母の言うことはいちいち至極もっともに聞こえた。

 

なんとなく神妙になるとか、漠然と畏れを感じるとか、清々しい気持ちになるとか、この類いの「感覚」にただ没入することは信仰では無いと母は言った。
それは信仰ではなくて、素敵なお店に居るのと同じ、悪いことでは無いけれど思考停止しているだけ、みんながそうするからその流れに乗るということは危険なのと口酸っぱく言った、私は母の言うことをよく聞いた。

 

私はぼんやりと、多くの日本人の様子を見ていた、ひょっとするとそんなに多くの日本人ではないのかもしれない、神社仏閣に訪れる人々を私は遠くから眺めていた。

皆が何を求めているのかさっぱりわからなかった、自分の意識はしっかりしています、という体で5円玉を投げてはうっとりと手を合わせている。

 

「変なの」と私は思った、陶酔しないことに陶酔するような、伝統行事に於ける日本人の独特な雰囲気を、いつしか恐れるようになった。


周囲の空気は正月になると朱色に変化した、私はそれを遠巻きに見ていた、そしてどこへも自分が所属できないのだということに行き当たった。

 

白黒の祈りの中では、常に学びながら居ることが求められていた、それこそが陶酔せずに居ることへの心酔だった。

時に無宗教と呼ばれる事を好む人と火花を散らすことを、この宗派の人々は好んだ、発言することもまた強く求められた。

私はごく幼い頃から教団内での居場所の無さを感じていた、つまり私は人間社会のどの輪にも違和感を覚えていた。

 

正月は特に、行き場のない気持ちが強く出る、朱色の門を私はくぐれないとずっと思って過ごしていた。

だから朱色を見てもとても自分の、3次元的な意味での故郷の色とは思えないのだ、異教の地へ迷い込んだようで、恥ずかしいほど心細くなる。

 

そんなわけで私は年末から正月過ぎまで、働いて過ごしている、休みは労基法に違反しない程度に与えられる。

 

現在の私は芋虫のように、葉の代わりに空気を食べながら年末年始を歩く、食べた空気の分だけ進んで職場へと辿り着く、これで良いのだと思った。

確かに居場所はあるのだと、自分が進んだ方向に居場所はあるのだと私は納得したのだった。

朱色の空気をかき分けて避難することも含めて、これこそが個人の道なのだと、私は意識を保ったまま、今まさに陶酔している。