大熊あれいブログ

文章ブログです、雑記帳のような感覚で主観的、感覚的に詩やエッセイのような独白文章を書いています。不定期です。

方眼用紙【宗教】

人を殺した事がある、私は11歳だった、表面上は机に向かい、白地に青の線が引かれた美しい方眼用紙を、汚す要領で文字を記していた、人を殺す物語をその時の私は書いていた。

 

方眼用紙上での私は東欧に居た、寒村から始まったこの血筋は未だ寒村に留まり続け、縄張りだけを広げていた…そのような物語を私は、東洋の果てで誰にも知られないように書いていた。

 

物語の中の私は主人公と同一化していた、38歳の男だった、その年のクリスマスに叔父を殺害した、死体は、石を積み上げて出来ているワイン倉庫のさらに地下へ、タマネギを積み上げている場所のすぐそばへ、農具と一緒に並べて置いた、汗をかいていた、叔父の血に触れたくはなかった、火薬の匂いが漂っていた、自分もこのように死ぬのだろうと私にはわかっていた。

 

「雪が…振ってきましたよ」
石段の上から女の声がした、僕の恋人、と私は思った、ぼんやりとした明かりの中彼女は佇んでいた、僕は階段の下から言った「こっちには来るなよ」私は、自分のその声に棘がないか気になった、来るなという意味じゃないんだ、お前はそこに居てくれと僕は願っていた、そう私は記した。

 

それから黙って、石段を上がっていった、自分の革靴が別の生き物のようにぬらぬらと光っていた、恋人は濃い色の髪をきつく束ねていた、給仕の役割をしているのだ。

「僕が頼んだ通りにしてくれよ」

そう私は言ったが、彼女は青白い顔で震えたまま返事もしなかった。

私は急に恐ろしくなった、誰かに見られている気がした、不意に恋人は言った。

 

「そうです、見られています」

私は冷や汗が出た。

「神様はすべて見ています、あなたが好奇心から人を殺したことも、それを隠す事さえあなたが楽しんでいることを、すべて見ています」

私は手を止められなかった。

 

恋人は続けた「あなたがどこへ逃げようとも駄目です、あなたが外国へ行こうと、空想の果てで別人になろうと駄目です、あなたが人を殺してみたいという欲求を具現化させたことは、全部ばれています」私は対抗した、「でも空想でしょ?」どんな返答をしてくるのか、楽しみですらいた。

 

「いいえ」いつの間にか声は母親のものに変化した、私は暗い石段の感触を足に覚えた、畳と違ってずいぶん冷えるなと思った、そこは土の匂いのするワイン倉庫の中だった、干し草が天窓に敷き詰められている、日光を遮るためだ、振り返ると農具と一緒に父が、頭から血を流して転がっていた。

 

「お母さん、お母さん、ごめんなさい、お母さんの好きな人を私、殺してしまった!」

私はそう叫んだ、母の姿は、私の空想した見知らぬ女のままだった、その視線は虚ろだった。

 

「でも、お母さんの信じている神様以外を、崇めたりしてないよ!」

私には父殺しよりもそのことの方が重要だった、私は女に駆け寄った、私はあなたを裏切ったりしていないと伝えたかった、裾のたっぷりとしたスカートが足に触れた、彼女は泣いていた、涙の粒が私の手の甲に落ちた。

 

「命が一つしかないように、あの存在もひとつしかないの、一緒に祈りましょう」

母であるところの女は、静かにそう言った、後ろの方から、寒村の親族達が唄っている声が聞えてきた。

「天にまします我らの神よ…」

私は女を止めようとした、空想をそのまま書き連ねることはたまに、書き手にも予測できない事態を引き起こすことがある、もちろんそれは、表面的には方眼用紙上での話なのだが…私には、現実の母が信仰する祈り以外の文言は、禁忌であった、しかし手を止められなかった。

 

「こら!!!」
私は背後から怒鳴られてはっとした、文字そのものも逃げだそうとしているかのようだった、父がそこに居た、足先に畳の質感が甦った、ペンを持つ手は止まっていた、何度も呼んでいるのに食卓に私が来ないことに父は腹を立てていた。

 

「ケーキもあるから、早く来なさい」
母は父をなだめていた、母に、走り書きとはいえ異教の言葉を見られるわけにはいかなかった、下敷きを取り去って上の一枚、白地に青の模様に記された文字を剥がし、丸めて捨てた、しかし心の内でつぶやいた。

「あの祈りはお母さんが口にしたんだから」

そして気づいたのだ。

「だとしたら私は、きっと、人殺しもしたんだ」

 

もう夜だった、居間のTVからクリスマスの音楽が流れていた、その機械音を聞いているうちに涙が出てきた、私はどこへも逃れられないのだ、どこに居ても、誰になっても、私は自分から逃れられない、泣きながら頬張ったケーキの味を、今でも覚えている。