大熊あれいブログ

文章ブログです、雑記帳のような感覚で主観的、感覚的に詩やエッセイのような独白文章を書いています。不定期です。

夢のポリネシアンセックス【逸脱】

「ポリネシアンセックスって知ってる?射精が目的ではないんだ、お互いの気持ちを尊重して肌を重ねるんだよ、入れたまま動かずにね」

 

私の好意をそれとなく遠ざけるため、性的なトラウマを解消する方法を医師として提示するため、夫婦の問題についても関与出来るのだという業務上のアピールのため…彼本人にとってはいくらでも理由はあるのだろう。

5年以上男に触れておらず、性欲を止める手立てがあるのなら教えて欲しいと必死で乞う私に対し、内科医はあろう事か自らの夫婦事情を話し始めた。

 

昼下がりの密室だった、医師は相も変わらずセンスの良い控えめな私服に身を包み、自らの診察室で余裕たっぷりに微笑んで座っていた、畜生、と思った、私は自分が興奮してくるのを抑えた。

 

「養老訓にも、射精はほどほどにって書いてあるしね、僕はあの本はためになるなあと思っているよ、セックスっていいものだけれどあんまりやり過ぎるのは良くないんだ、自分の心身の気を保ちつつ生きるということが重要なんだよ、だから出し過ぎないってことも重要なんだよ」

 

私は自分の頬が上気するのを感じ、俯いた、彼の柔らかな声を聞いているうちにありありと、彼とその妻の、ベッドでのやりとりが浮かんできた、一瞬後、気づくと妻の役を自分が演じていた。
素裸で私は横たわっていた、彼の唾液はどのような味だろうか、果たして私を痺れさせる効果はあるのだろうか、首筋に薄い唇が這うのを嫌でも思い浮かべてしまう、これこそがまさに背徳であった、この世の何よりも一番いけないことのような気がした、達するのを堪えている時特有の男の可愛さが、勝手に目の前の医師と重なるのを、私は振り払いたかった。

 

「ポリネシアではね、思春期の男の子には性教育が行われるんだよ、本当に性の教育担当の女性が、女の人と寝るにはどうしたら良いかを身体を使って教えてくれるんだ、はじめの日はただ握手するだけ、その次の日は抱きしめ合うだけ、次の日は横になりながらお互いを見るんだよ、すぐにはセックスしないんだ」

 

この話を聞いている私自身がまさに今、性経験の一切無い男子中学生のようだった、医師はその時、男子中学生と化した私にとっては今が盛りの胸の突き出た美人教師の役柄だった、その美人教師が性教育をしてくれているのを私は無意識的に思い浮かべた。
しかし互いにポリネシア人ではないので場所は日本の教室である、黒板に美人教師が男女の性の違いを大真面目に書いている、男子中学生であるところの私は彼女が後ろを向いた隙に、その身体の盛り上がりを凝視している、私は自分が恥ずかしかった、しかし止められない、この空想自体を一刻も早く止めてしまいたかった。

 

…内科医の声は私には魔術的に聞えるのだ…私は自分が三十路過ぎの女出ある事を自分自身に思い出させるのに精一杯だった。

 

「僕は夫婦問題について結構相談を受けているんだ、ポリネシアンセックスについてもいろんな人に語っているよ、それで子供が出来た人だっている…でもそれだけじゃないんだ、射精をしないセックス自体が重要なんだよ、男女のつながりはこういう部分で補われるんだ」

 

医師の声を聞いているうちに今度はだんだん腹が立ってきた、なんだって今、男日照りの今、数年に渡り拒絶されている今、それを知っているあなたに、産毛をゆっくりなぞるような事をされなくちゃならないんだ、こんなに好みのあなたに、あなた自身のセックス事情を聞かされなくちゃならないんだ、この寸止め好きめ!養老訓なんて知るか!そんなに言うなら射精せずに私を一度抱いてくれ!

 

…という自分の気持ちを、私はさらに抑えた、何重にも私は、自分の感情にシャッターを下ろしていった、医師と対面している間はその作業で忙しかった。

 

「先生とポリネシアンセックスしてみたいわ~…それを表情に出さないように頑張ったよ」
こんな風に私は、後日友人に会って思うがまま彼に話した、劣情に飲まれるとはこういうことなのだ、目の前の相手を、大真面目な相手の真摯な態度を完全に無視して素裸にしてしまう、そのような性的な感情を劣情と言うのだと私は習ったのだと話して聞かせた、友人は大変物わかりの良い人物なのでこの下ネタを大いに笑い飛ばしてくれた。

 

「でもそりゃーちょっと、その先生、デリカシー無いんじゃない?」
友人の言うことはもっもだった、そして私は思った、誰か一人を尊敬したとして、全く同時にその人の欠点に気づくこともある、尊敬と正反対の気持ちを抱くこともあるのだということに私は気づいた。

 

ポリネシアンセックスという言葉を、今後いつ聞いても私はその内科医を思い出すだろう、実際のセックスよりもずっと「してはいけないこと」として記憶に焼き付いているからだ、背徳とはこのようなものである、両親のセックスを日常的に見ながら生きてきた私だが、尊敬する人のセックスだけは、空想することさえタブーであると思っているのだ。

 

何故なら尊敬する人の性癖を、罵りたい気持ちに私は苛まれているのだ、上品な服を脱がせてやりたいという乱暴な動的欲求で目の奥がチカチカするのだ、その人と私が寝ることは無いのだ、だからこそポリネシアンセックスという静を意味する言葉の中に、尊敬する人への陵辱の夢が含まれているのだ、そして私はその言葉を、砂糖菓子を舌の上で転がすように、まさに快楽を感じながら、発しては飲み込み、反芻しながら味わうのである、叶うことの無い夢として、ポリネシアンセックスという言葉を、今日も私は発するのである。