a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

哀歌【性的トラウマと救い】

私は「性的被害者」を名乗りたくはない、被害とは過去の「現象」である、その人本人の人格ではないからだ。

 

被害について、性的トラウマについて語るというのは基本的には哀歌を唄うのと同義であると私は思う、歌い手の名は本人の名乗りたいように名乗れば良いのだ、何も「被害者」と名乗る必要性は無いのである、今日は哀歌を唄いたい、それだけのことなのだ。

 

さて、私は、成人してから性的暴行を受けたという人に若い頃は特に、全く同情できなかった。

「生理が訪れてから何年も後に遭った暴行?それって暴行なのか?肉体的には相手をすんなり受け入れたんでしょ?
性というものが元々楽しいものだという認識が覆されておかわいそうに、ご愁傷様」

二十歳頃まではそんな風に思っていた、辛い目に遭うということは人を優しくするどころか人をどこまでも冷徹にしてしまうのだ、ここに逆恨みの真理が働いているのだ。

 

幼少期に性的暴行に遭った人の何が不幸なのかというと、性という概念を思い浮かべると無意識的に「苦痛」とリンクしてしまうという点だろう。


もうとっくに過ぎ去った被害が、性という概念そのものとして機能してしまうので、性が苦しいものになるのだ、だから苦しい苦しいと、こうやって書き続ける羽目になるのである、なぜならこの書くという作業こそが、唯一、訪れる自然な欲求と心理的苦しみとの間を取り持つ、冷静な視点となるからだ。

 

傍目には煩いだろうが、この作業をすることで肉体と精神が強く結びつくような気がするのだ、子供の頃にバラバラになった自分の心理的手足を、今拾い集め、自分という人形を組み立てているような、個人的には完成が待ち遠しい呪術的作業なのである。

 

性的暴行に遭った人というのは…娯楽として、強姦や暴行、レイプという言葉などが、「性が悪いことであればあるほど楽しいという認識が」「一般的に」「売られている」という現実と、自分の惨めさ、その心理的差異に、成人してからも矛盾を感じ続けて日々苦しんでいるのだ。

 

自分が性的欲求を催すたびに…それが暴行を受けるという生命の危機なのか、それとも加虐という遊びであるのか、自分自身すらどの視点で快楽を得てよいものやら見当もつかないので、自分の肉体でありながら自分で全く関与できないような息苦しさを感じて途方に暮れてしまうのだ。

 

その時々の相手に、恋人に言って肌を重ねれば少しは楽になるのではないかと思うかも知れないが、実際、肌を重ねる相手は往々にして世の中の性認識で生きている、つまり性とは背徳であるという認識で生きている場合が多いのである。
私はどうしても、相手の背徳に沿うように自分を委ねる事は出来なかった、そのような相手に、自分の性に於ける視点の寄る辺無さを、正直に打ち明ける等と言うことは、とても滑稽に思えたし、今でも滑稽だと思っている、セックスをするという場で、お涙頂戴の猿芝居を相手と共演する気は起こらないものなのだ。


加虐側に立つ人間というものは、弱いものを見極める目を持っている、私は小学生の頃に10回ほど見知らぬ人間に性的な被害を受けた、とにかく不快だった、毎回死を感じた、うち1回は玄関の前で連れ去られ、その間の記憶の一切が抜け落ちている、気付いたら私はまた玄関に居たのだ、股から血が出ていたという点を除けば何事も無いかのようであった。

 

彼氏と、人生で初めて自主的にセックスしたときに「あれ?はじめてなのに血が出ないの?」と残念がられた記憶がある、私はその時に、自分が小学生に戻ったような気持ちになった、相手と自分との間に圧倒的な隔たりがあることだけを感じながら暗い道を帰った、団地の玄関は、小学校時代から時間が経過していないかのようだった、蛾が死んでいた、私は既に高校生だったが、小学校のあの時からいつまでも帰宅できていないような気がした。

 

いつまでも団地のドアの前で、小学生のままで居続けているような気がした、周囲の、自分と同年代の少年少女たちを見ながら思った、普通に下ネタを話している集団を見て思った、「羨ましい」、この事だけが私の本音だった。

そうやって身体のみ肉厚になっていった、成長するのが醜いことのように思えた、いっそのこといつまでの小学生で居続けたいような気がした、その方が自分の精神と肉体がちぎれるような成長の苦痛から、自分の性欲からも逃れる事が出来る、そんな気がした、そのように私は肉体的に大人へと変化した。


強姦、という言葉の定義は曖昧である。

 

膣に突っ込まれていなければ大丈夫だとか、射精させられていないのなら本人の尊厳は保たれているとか、性的被害というものは、そのような表面上で本人の辛さの判定は出来ないと私は思う。

 

「私はもっと辛かった」「もっと酷い目に遭った人も居る」という言葉は、果てしない不幸比べの文言でしかないのだとわかってはいた、わかっていたのに私は長年、この不幸比べを止めることが出来なかった、成人してから被害に遭った人ですら、羨ましくてならなかった、そんな自分が醜く、一方ではまさに今この瞬間に、被害に遭っている小学生の元へ駆けつけて身をていして何とかしてやりたい気持ちも渦巻いていた、他者を救うという事の難しさと、自分への憎しみとで窒息しそうだった、自分を救うという事から逃げたかった。

 

少なくとも今、私は、この種の物事についてためらいもなく書いている、今日は哀歌を書くんだ、そんな気分で書いている、ただそれだけが明確な救いであると私は思う、今や、不条理や矛盾はすべて書き出してさえしまえば良いのだ…これは唄である、恨み節である、この手の文章はすべて哀歌であると私は思っている、哀歌を唄うということそのものに意味がある、哀歌そのものには多分何の意味も無い、ただの唄なのである、どこまでも続く、ただの唄なのである。