a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

☆M氏の拒絶と愛(性的不能、セックスレス、信頼関係)

薄暗い夜の部屋にて、私の目前でオレンジ色の閃光が散った、黄緑色も少し混ざるくらいの、幾筋もの強烈な火花だった、はっとした時にはもうドライヤーから焦げ臭い匂いが漂っていた。

 

私の気付かぬ間に、私の身体は悲鳴をあげたらしかった、隣の部屋からM氏が駆けつけてくる、そのトントンという妙に柔らかい足音を聞いている一瞬のうちに、私はさらに声をあげた。

 

「入ってこないで、大丈夫だから、今裸だから!!」

 

M氏は私の部屋で起きた何らかの現象そのものを知りたがっていた「どうしたの、怪我してない?」私は「裸だから!!」と返した、それがすべてだった、私は彼に自分の裸体を晒したくなかった、たとえ怪我をしていたとしても、感電していても、裸を見られるのはご免だった。

M氏のうなだれる気配を感じ、私は何かしら彼を慰めるようなことを言って、とりあえず服を纏った、濡れた髪はどうしようもない。

 

M氏は、子供の頃相当な肥満児だったらしい、それが原因かはわからないが…
今から…四捨五入すると10年ほど前に2度目のデートでキスしたとき、その一時間後に彼のマンションへ行ったときから、彼が私では欲情できないということを私は知った、彼は私の裸体を見た、私は…これほどまでに、意気消沈した男というものを、初めて見た。


すべてわかっていて籍を入れた、M氏のことは理想の父とばかりに慕っていた、私(と両親)の生活が困窮しているのを救ってくれたのも彼だった、彼が居なければ…私は何度でも彼のような男を捜したに違いない、ほとんど全くといっていいほど欲情しなくとも、優しい男を、私が父親だと心から思える相手を、私は求めたに違いない。

 

名前が変化してからの1年は、事も無く過ぎた、ほぼ毎日訪れる肉体的火花も、一人で鎮めてしまえばなんとかなると私は思っていた、それどころか、これは精神的な関係なのだから、だからこそ彼を愛しているのだと私は思っていた、私は自分の心身を直視していなかった。

 

丸1年が経過した頃、ひどく胸が痛むようになった、胸と言うよりも胸部全体が夜になるとひどく軋むように…何かの亀裂が生じるかのような痛みだった、私は自分を鎮めるその時にこそ、この痛みが生じると知った、その途端痛みは切迫したものに変化した。

 

昼間仕事していても夜に眠れない、そのような苦しみを…M氏こそがもたらしたように私には思えてならなかった、私は実はM氏のことは当時、寝たいと思える相手だったがために、様々な誘い方をしてしまったのだ、結果M氏と私とは一時的に不和になった。

 

私は男を作った、M氏も私もまだ若いことだし、貯金も出来たわけだから、M氏に月々の慰謝料なりをきちんと納めて、それぞれに人生をやり直そうとM氏に持ちかけた。

 

M氏は頑なに拒んだ、私を肉体的に拒否し、同時に私がそばにいないということを最も頑なに拒んだ、拒否も、離れることの拒絶も、未だに続いている。
当時の私には理解できなかったのだ、M氏が何故私を拒みながら私の離れることをも断固拒否するのか、双方の現象をM氏が何故拒絶するのか私には意味不明だった。

 

私は男と部屋を借り、既成事実という体でそこへ移り住んだ、3ヶ月程だろうか、さすがのM氏も堪えるだろうと思った、夜になると胸部が軋んで痛みで眠れない程度には、堪えるだろうと私は思っていた。

 

予想に反しM氏は、至って平穏に…好きなアニメ映画を観に行ったり、ゲーム三昧に過ごしたり、アニメに出ていた高い自転車を買って乗り回したり、そういったオタク臭い、要するにM氏にとってごくごく一般的な日常を謳歌していた。

 

私が連絡をすると2次元的な日常に刺激があるようで泣いて喜んでいた、私が「今あの人の子供が産みたいの」と(馬鹿)正直に話した折にはM氏はなんとそれをふたつ返事で許可した。
「いいよ、だってあれいちゃんの子供は、君本人のようなものでしょ、だったら俺も協力するよ、一緒に育てようよ」私はM氏のこの言葉にそれ以上何も言えなくなった、M氏の人間性を知ったのはこの頃からだった。

 

結局男とは子供を成すこともなく別れた、男はしばらく未練たらしさからストーカー化していたが、M氏は男の事もかばった「悪い人じゃないよ、俺は道で彼とすれ違ったけど、顔を見ればわかるよ、君を好きなだけだよ」元恋人への、私の手のひらを返したような態度を諫めたのは、事もあろうに戸籍上では私の旦那であるM氏だったのだ。

 

それから5年以上、私は夜になると訪れる胸部の軋みに耐えた、というか結局耐えられなかった、痛いものは痛かった、足りないものは足りなかった、M氏へ感謝を捧げるほどに、私は自分の不満足に気付いた、そして自分のふがいなさを責め、M氏をも責め、そして責めたことをさらに悔やんだ、そうやって5年以上が過ぎた。


一般的な言葉として「20代なんてあっという間」というが、私には後半5年は特に長かった、思考に於ける最後の出口にはいつも自分が居た、私はその出口に向かって石を投げた、しかし自分という存在の理由をたぐってゆくとどうしても、自分という存在は、自分を超えてしまうという現象に気付いた。

 

私は自分を恨みたかったが気付くと、両親や、先祖だけではなく土や海水や雑草といった存在にまで自分の存在が細分化してしまう現象に気付いた、つまり何もかもが、誰のせいでもないのだと私は長い思考の末に思い至った、思考の末に、とうとう私は自分を見失ったのだ、自分など居ないということ、元来、自分の存在は偏在しているのだということを私は自問自答の末、音も無く涙が頬を伝うのを感じつつ、直視したのだった。

 

今できることは…と考えたときに、私は至極真面目に「性欲を薬物によって抑制したい」「そうすることで胸部の痛みや、耐えがたい夜を耐えられるようになる」「M氏を恨まないようになれる」と思って、一時期は医者へも相談した。

 

その相談により、自分自身の考えに変化が起こった、さらに1年ほど経っていた。

私はM氏に素直に話した、M氏ははじめのうち泣いていた、私は「私たちが精一杯生ききる、ということが何よりも必要だと私は思っている、ずっと我慢している生活は、M氏のことも恨んでしまう、私はM氏を恨みたくない、いつでも感謝していたい、M氏にも恋人が出来て欲しいとすら思っている、私は相手が欲しいんだ、それが居ないということが辛いんだ、別れたくなったら別れてくれてかまわない」と告げたからだ、家を建てるとき、M氏とこのことを結構話し合った…何度かの話し合いの末、M氏は私の申し出を許可した。

 

愛、というものを言葉で説明するのなら、エーリッヒフロムの述べるように…他者(あるいは自己)への配慮を軸とした、互いの助けになる働きや、相手への許しを実践することであるような気がする。

 

私は思った、もしかしたらM氏は今、胸部が軋んでいるのかも知れない。

そしてさらに思った、M氏も私も、身体のどこも痛まなくなるのは一体どのようなときだろう…もしかすると老人になってからかもしれない、もしかすると、死んでからかもしれない。

 

真夜中、目視できたり出来なかったりする曖昧な存在の大量の通行人が、私の上部を過ぎ去るその振動で、私が前後不覚の恐怖に陥り、呻き声をあげる、まさにその時に、私はM氏の手を握る。


M氏は、どんな中に在っても平穏だ、M氏は他者からどのような扱いを受けてもM氏自身が、バラバラに散らばったレゴの、そのたったひとつのブロックのように、何故か、単一で、完成している、と思わせる性質の男なのだ。
だからこそ私はM氏を頼っている、理性が眠っているときに、私は隣の布団のM氏に手を伸ばす、M氏は眠りながらそれを受け入れる、指のたった一本が触れ合う仲、それがM氏と私との現在の仲である。

 

「新しいドライヤーを探してたんだ、これはどう?明日には届くよ」そういってPC画面から振り返るM氏はもう落ち込んではいない、不思議な奴だな、私の独り言を察してかM氏は笑って「ドライヤーが火を噴くなんてね」と言う。

 

それでも私は裸にはなりたくないよ、と思う、それをあなたが目にしたときに悲しみや戸惑いしか生まれない姿には、私はなりたくはないよ、と胸の内で続ける、そのような時に、胸部は依然として、実感のある鋭い痛みを私の心身にもたらすのである。

 

転生、ということが起こりうるとして、来世の私…のような視点をもった生物の胸部が痛むことがあれば、そのとき、きっと、その視点は胸の痛みをどこか懐かしく思うだろう、そして心から安心するだろう、愛、という現象を体感したようにその視点は感じるに違いない、そんな風に今は思う。