大熊あれいブログ

絵画やイラスト、詩や独白文章を公開しています。不定期です。

栗毛色の髪の女【楢山節考】

楢山節考の舞台、山梨の山中や、甲州街道のそばに父方の先祖は住んでいた、父もそこで生まれ育った。
ある程度の老齢になると、人々は山へと赴くのだ、そのような風土が確かに山梨にはあると私は思う、四方を山に囲まれたあの盆地はひたすら暗いのだ、日照りになろうが寒いのだ、人々はどこかよそ者を嫌っている、山を越えて来た連中に対し、あまり自発的に話したりはしない風土である。

 

「へぇ、道をね、行商の人が来るでしょ、ほしたらもうみんなびっくりするけぇ、その女の綺麗さに」

山梨の祖母の言葉が甦る、だが祖母本人もこの女を見たことは無いのだ。

 

父の母方の一族(父の家の場合母方の方が一族の力が強い気がした)の語り草となる女性が居る、現在この話を血縁で知っているのは私と父と叔父だけになる。
私から数代前のその女性は、山間の村の中で何故だか類い稀な美人であり、栗毛色の髪の持ち主だったそうなのである、これに皆が驚いていたという話しである。
確かに父の母、つまり祖母の鼻の形も鷲鼻だった、曾祖母を私が見たのは既に彼女が90に手が届かんという頃だったが有り体に言えばどこか気品のある顔立ちをしていたのが印象に残っている。

 

父がまだ製薬会社(のような会社)に勤めていた頃、その会社では遺伝子開発を行う部があった、人間の血液から遺伝子型を読み取ったりしていたのだ。
経費削減のためか、単なる実験用のヒト血液が沢山欲しかったのだろう…父も血液を提供したのだ。
ある日父は楽しそうに帰宅した、私は既に高校生くらいだった、父の血液の中にはどうやら数代前にロシア人の遺伝子が入っている、とのことだった。

私はこの手の話に詳しくない上、調べる気も無いのでうまく説明できないが、遺伝子というものにはある程度のパターンや形があるらしい、そういうものを解読してゆくとザックリと祖先がわかったりするという話である。

 

私ははっとした…ああそうかと思った、だから父を含め祖母も、なんとなく山梨を嫌っていたのだと私はわかった。
さらに言うと、祖母たち一族の「公式な」先祖の由来は「街道を通って関西から行商に来た」人々であるという話だった。
関西のどこ?という問いには祖母も答えなかった、まあどっかからだねえ、と代々ぼんやりとした答えを周囲に言っていたのだと思う。


これは半分は本当だろうと思う、そしてもう半分はきっと、外国人相手に売春していた女に子が出来て、にっちもさっちもいかなくなって適当に住まざるを得なかった場所がどういうわけだか山梨なのだったと思う。

 

先祖の中に外国人の名前を挙げる人が皆無であることから、その栗毛色の髪の持ち主もまた、注目を浴びれば浴びるほど、周囲から見下されていたのだろうなと思う。
凄い美人だったんだよというこの言葉の由来は多分、そのような母を思いやって子が口にした言葉が発端だと私は推測する、それが連綿と続いたのだろう。
栗毛色の髪の女は23くらいの年齢で数人の子を残してチフスで死んだという、あの頃はそういう時代だったと祖母は言った、その祖母ももう居ない。


ちょうど私から遡って七代くらいかもしれない、私には旅人にお茶を振る舞ったりする、その土地の人間らしからぬ愛想の良さや髪の色こそが、彼女の稀な美しさだったのだと思う、そしてそれこそが彼女の孤独だったのだろう、何故なら、彼女の母親の話は誰の口からも出ないからである。

彼女の父親の話も、これといって一切出ない、口に出されるのはただ彼女を祖とする、彼女の子供以降の人々による賛美の言い伝えだけである。

 

海外へ行く飛行機にて、意図せず私はロシアの景色を見た、緑色の広大な湿地に大蛇のように巨大な川が曲がりくねりながら果てしなく伸びていた、たった一つだけ赤い屋根の家があった、それしか人工物は見当たらなかった、街があっても信じられないほど小規模だった、にもかかわらず大地だけは地中へと、上空へと、四方にどこまでも拡大を続けているかのような奇妙な印象を抱いた…。

 

私の身体の内側、内面の戸口に西日を逆光に浴びて野良着姿の女が影となって立っている、特に泣く風でも泣く、笑うわけでもなくただじっと立って私を見ているのを私は感じる、髪の毛はオレンジ色の光を浴びて一層煌めいて透けている。

 

こういう話を書いていると視線を感じるものである、七代というのは因果な数字で、彼女も私の内部まで来たのだとわかる、山を越えて、あの暗い囲いを越えて、ようやく海の風すらも入ってくるこの土地まで来たのだと、私に語りかけている。
そして私は思う、私は子孫を残さないと思うので、この話も私の代で終わりである、私には妹が居て彼女が姪や甥を産んでいるがこの手の話に興味が無い、つまり妹の中には多分彼女は濃く出ることは無いのだと思う。

 

私は自分の生活や、自分の体感した文化というものが、文化人類学的に見れば割と重要だという気がしている。
つまり言い換えれば、その辺を散歩している人々のアイデンティティの話なども、その人にしか語れない色合いを帯びていて人類学的には重要だと思う、だから人間というものは誰しも面白いのだという直感がある。

 

現在日本に生活していて日本人であるという自覚をもっている人のうち何割かが、その実外国の血が混ざっているのだろうと思う、そしてきっとある血筋では恥として封印され、ある血筋では一種の美とされ、風化し、やがて誰も思い出さなくなるのだろう。

 

このような話をするとき、自然と私は先祖というものに手を合わせたくなる、拝むというわけでもない、私の先祖が沢山死の旅路へと赴いた山へ、向こう側へと超えることの無かった山へ、私は山の外側から静かな気持ちで手を合わせるのである。

 

この文章を私に書かせたのは、きっと彼女である、これは供養なのだと思う。

ちなみに私は濃い眉と黒目がちな目とを母方の祖母から受け継いだ、今回挙げた「凄い美人」な栗毛色の髪の彼女とは、端的に言うと幸か不幸か全く似ていない。