大熊あれいブログ

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子供を産ま(め)ないのは自己嫌悪が強いからである【性】

富士山の稜線が見えた、春までの間だけの景色、日の沈んだ地平線のあたりは藤色がかっている、富士山の背後にはまだ太陽が居るらしい、そこだけあずき色の濃い光が見える、山の陰は一転して青色、山はその実海の色なのだ。
…星だろうか、西の方角に光る大きな渦が見えた、光はすぐに消えた。

 

なぜ子供を産まないのかという事を突き詰めると、その返答に一番ふさわしいのは「自己嫌悪が強いから」ということであると思った。

 

自分の子供時代というものを思い起こすと、正直あまり良い思い出が無い、確かにそれ自体は単なる過去の記憶に過ぎない。
にもかかわらず私たちはほとんど誰一人として、記憶というものから逃れられないのである、極度に呆けない限り。
記憶というものの中で生きているのだ、道行く小学生を見て独特の不安感を覚えるのは自分の記憶によるものである。

 

私は勉強も運動も全く出来なかった、それを特に父親に疎ましがられていた、鼻炎症だということも、アトピーだということも、ニキビが出来やすいという点も、ほとんどハゲているといっても過言では無いつむじも、である。

なぜ父が私の特性をこうも「ハゲ」とか、「ゴミ」とかいう風に言わざるを得なかったのか、癇癪を起こして暴力的に振る舞ってしまったのかというと…実はここにも自己嫌悪に陥った人間の一面を見ることになる、父もまた自己嫌悪が強かったのだと私は思うのだ、なぜなら父もまた、運動も勉強もからきし駄目だったからである。

 

父には優秀な兄が居る、県内一番の成績の兄と、馬鹿私立校しか行く当ての無い自分自身とを常に周囲から比べられて父は生きてきたのだと思う。
しかしあるとき父は知能テストで兄を抜いた、そういう類いのテストにだけは頭が回転したらしかった、確かに私の思い浮かべる父は勉強が苦手という割にはいつも勉強していた、何かを学習する事への意欲が常に彼を掻き立てていた、そしてそれこそが父を苛立たせていた、父は周囲の目や自分自身に勝ちたかったのだと私は思う。

 

だからだと思う、自分の子供が優秀ではないということが、やはり自分は劣っているのだという認識と結びついてしまったのだと思う。

 

父と母が睦み合うのを私はよく見ていた、二十歳頃でその家を出たが当時40半ばの彼らはまだ男女だった、私は幼い頃から思ったものだ、夫婦、男女という仲ならば彼らはとても良いカップルなのだ、父もまた良い男なのだ、母がいい女であるように父だってそうなのだと胸の内でつぶやいていた。


父が極度に嫌悪の対象だと思っているのはその実自分だけで、それは父もまた極度に、私には嫌悪感を露わにしていた、娘、子供として許せない憎悪の対象という風だった、少なくとも週に1度以上必ず怒る彼にとって、怒りの時には私はそのような対象だったのだ。

 

私が居なければ二人は良い夫婦だった、二人は良い家族だった、私が生まれずに妹だけが先んじて生まれていればここまで家が荒れることは無かったのにと私は幾度となく思った、小学校に上がる前からである。

 

自分の、嫌な部分を誰も拡大して見続けたくは無いと私は思う、自分の嫌な部分を常に口に出されていたりすれば余計そうなるのだ。

しかし生きている以上、自分の嫌な面を直視せざるを得ない場合もある、父の場合その現象が娘の私を見ることだったのだと思う。
父も取り立て、子供が嫌いであるとか、そんな事も無く人生の春を迎え、夏を迎え私の出現を母に許したのだ。


父を極度に怒らせたのは私に金がかかるという点、そのために働かねばならないという点、父は若干放浪癖があるので自由にふらふらできないということがかなりキツいらしかった、なぜ私に父のことがわかるのかというと、かくいう私も常にどこかへ行きたいという強い欲求の持ち主だからである、私と父とは残念ながら性質が似ているのだ。

 

父は50手前で仕事を辞めた、働く場所に自分の精神の充実を感じられなかったらしい、仕事が嫌だと常に苦しんでいた、電車を見るのは好きだが…乗るのは苦手で神経質、徒歩圏内で生活を完結させたい気持ちが強く、歩いているときにこそひらめきが舞い降り、独自の理由から机に向かって毎日常に何かに取り組んでいる、1日2食で空腹時というものが健康に良いと信じている、肌が弱く鼻炎症、強いて言うならばスケベである。
電車好きという点以外、意図せず私とほとんど同じ体質、価値観の持ち主である。

 

そして私も癇癪持ちである、今でこそ生活が落ち着いているので数年単位でピタリと体内の暴風雨は止んでいるが、元来ストレスを感じると強烈に何かを破壊したくなる。

その破壊したいものの第一は、自分自身である、私自身が自殺するとしたら癇癪の中で自死への欲求が強く出て、それこそがすべての答えのように心身を覆い尽くしたその時に、首を吊るか飛び降りか、等の即決可能な方法を選ぶのだと予想する。

 

父は長生きすると思う、このまま行けばあと30年は生きるだろう、殺してくれと言うと思うが全く手を貸す気は起こらない、自殺の手助けは…旧友や恩人に頼まれた場合に限って責任をもって実行したいと(勝手に)思っている、その後刑務所行きになる事を含めても、私は遂行するだろう。

 

さて、私が子供を産んだらどうなるか…大体予想がつくと思う、旧知の人間すら、私の過ごしてきた家庭での渦など知らないのだ、そして私の外面だけ見ているに過ぎないのだ。

例えば、子供を5~6人産む多産の地域であれば、私とて子供を産んだと思う。
なぜなら、その中に自分が嫌いであるという人間も、好きであると思う人間も、そのどちらもが含まれる確率があるからだ。


父と私とは相性が悪かった、ただこれだけが客観的、主観的両方の事実である。

 

私にももっと兄弟があれば、たぶん父の癇癪の頻度もここまで高くはなかっただろう、父の気に入る子供も存在しただろうと私は思う。

両親の仲が良かろうが不仲だろうが、自己嫌悪には関係ないのである、虐待などはほとんど親自身の自己嫌悪によるものだと私は思う。

 

自己嫌悪に一番有効なのは第三者の視点である、つまり家庭というものが、血族間でのみ完結した状態ほど自己嫌悪を発動させやすいと私は危惧している。

 

核家族は、夫婦が男女のカップルとして上手くいっており、かつ、その男女はなるべく自己嫌悪の少ない人間でなくてはやってゆくには非常に難しいシステムだと私は思っているのだ、子供を見ながら生活するというのは自分を見ながら生活するようなものである、だから子供に金がかかるというのも、それにより子供の数を減らさざる得ないというのも、この閉じた王国の中では危険な賭けとなるのだ、金銭的に余裕が無いのなら尚更だ。

 

生まれてきた子供の死亡する理由の中に親による虐待や折檻が含まれるがそれは、何もその親がとんでもない人間だとか、悪魔のような奴だとか、そんな事ではないのだ、彼らとて子供は可愛かったのだと思う、でも自分が憎かったのだと思う、自分の至らなさや弱さをとてもではないが許せなかったのだろうと私は思う。

 

なるべく核家族でないほうが、自己嫌悪自体は発動しにくい。
だが実際に親と同居する場合は物理的な余裕の無さが互いを苛々させるかもしれない。
一番よいのは、血のつながりの無い(薄い)大人の存在かもしれないと思う、近所の人がたまに訪ねてくるとか、家に住んでいるとかである。


家族というものが閉じれば閉じるほどに、どんなに夫婦仲が良くても、親子は苦しいものなのだ、そして自己嫌悪を薄くするには幼い頃から何かやらせて褒めたり、両親以外の大人と沢山話すことがかなり大切である気がする。

親の価値観のみで育つのは…親と折り合いがうまくいかない場合、地獄を見ることになるからだ、そして親の価値観すら…本当は極小の世界での価値観に過ぎない、ミクロ単位の価値観に過ぎないと知るには、大人になってからでは最早遅すぎるのだ。

その時にはもう、そうやって育った子供はほとんどの場合自己嫌悪の強い成人になっているのだ、これを治しながら子供を育てるということ自体が無謀であると私は思う。

 

第三者の居る生活…私が今そのような環境を作れるだろうか。
私が今、妊娠したら、結局同じ事の繰り返しになりはしないか?
そして私はもうすでに、子供時代というものに疲れている、疲れ果てている、あれを見るということ自体、信じられない気力が必要だとわかっているからこそ、私は全く産む気は無い。

 

にもかかわらず、確かに産みたいという衝動に駆られる時はある、自殺願望と一緒であの渦に飲まれるとどうしようもない、あれこそが真理であるような謎の力に包まれてしまうのである、生死というもの自体には強い魔力が、強い磁場が存在している。


だから私は耐えている、夫は血の繋がらない父のような存在だ、私の妊娠を万が一彼が許しても私は自分を許してはいけないと私は一人、唱えるのである、母が祈っていたように、私も祈るのである。

 

富士山の見える街で父は育った、あの山を父も見ていた。

 

あの山の真上にさっき、光る星のような不思議なものがあったよ…もう消えてしまったけれど、私にしか見えないものもあんたになら見えるだろう、父よ、あの街から出たい出たいと願って東へと来た、父よ。