大熊あれいブログ

絵画やイラスト、詩や独白文章を公開しています。不定期です。

先生という人とブログ【精神】

「僕も画家になりたいと思ってたんだよ、大熊さんはさ、絵を描くときに次にどう手を持って行って良いか…構図で手が止まるときはどうする?」
私は小綺麗で小さな部屋の中で医師と話している、私には彼の話が、何故だか常にひらめきが舞い降りてくるような独特の美をその場その場に見るような感覚に陥る。
彼の言葉が大切な音のように感じるのだ、綺麗な竹色である、だからいつも食い入るように聞いて見ている、時間にしてほんの10分ほど…しかしその時間には膨大な年月が凝縮されていたのだ、少なくとも私にとって彼はそのような存在である。


それで私は、その近所の医師のことは尊敬の念を込めて「先生」と呼んでいる。

「私は…描くのをやめてしまいます、手が止まったらそのままにしてしまいます」
そして代わりに、描けないということを文字にして書いています、そういった苦しみを文字にして書いてきました、今のこの会話すら私は書くでしょうと心の中で続けた。

 

「それは意外だね、女の人らしいって感じがするね、直感で描いているんだね、僕はね…」
と医師は続けた、彼は白衣は着ない、彼自身を引き立たせるシンプルでどこか懐かしい印象の衣服に身を包んでいる、それが彼の建てた白壁と木目調の診療所の雰囲気と不思議な一体感を帯びて輝いている、美の中に彼は生きていると私は感じている。
「僕は、手が止まったらさ、結構楽しくなるんだよ、構図をどうしようかあれこれ悩むのが僕には楽しいんだ、僕は絵よりも音楽へ興味が移ったけれど、絵を描く楽しさは覚えているよ」

 

そう言って自分の右側の空間に絵を描く仕草、窓からは後光のように西日が差し込んでいる、何も無いその空間には色とりどりの絵が立ち現れたように私には見えた、彼の猫背がちな姿勢がぴんと伸びた様は、なんとも美しかった、私は思った、私はこの人に惚れている。

 

私は以前この医師のブログを読んだ、その時思ったのだ「この人の言葉には魔法がかかっている」…そのブログは現在もう無いが、病院のHPとリンクされていて当時は誰でも読むことが出来た、おかげで私は自分の苦しみを彼に告げてみようと思えたのだ、あれが無ければ私はこの医師にとて何も告げなかっただろう。
彼は本も出しているが本は教科書じみていて特に強く感動したわけではない、とにかく自由に書き切っているあのブログが凄かった、私は文章を読んであれほど強く引き込まれるものに、まだ出会ったことがない、そう、彼の外見もさることながらその文章に惚れたのだった。

 

彼があまりにも出産を勧めるということに辟易しつつも、私は私自身の当時の目的「性欲を止める手立てがあるのならば医師としてその類いの薬剤を処方してほしい」ということを言うために、自分の自己嫌悪や、性的被害について書き殴って彼に読ませた、人間には個人的理由というものがその人格を占めるのだと言ってやりたかった、それほどに彼は輝いていた、私はその輝きや文章から生じる煌めきそのものに、闇を見せてやりたい気持ちで彼のカウンセリング枠に申し込んだのだった。

 

私はその医師が、患者が個人的幸福を求める場合、それと引き換えに客観的健康を損なうものであったとしても、それでも彼は個人的幸福を後押しする人間だろうという確信があった。

 

当時の彼のブログを読んでいるとそんな気にさせられたのだ、それほどに彼は若く、常に逡巡しているようで、勢いと落ち込みが同時に存在しているかのようなところがあった、文章にはそれが顕著に現れていた、とても魅力的だと、今でも思う。

 

そしてなんと…先生は実際、私の悩みである「自分の性欲への自己嫌悪」やら何やらを真摯に聞いてくれ、本当に「男性には効くと言われているけれど…」といって身体の火照りを鎮める薬を数種、処方してくれたのだった、西洋薬ではない。
しかし飲んだら吐き気を催したため(多分元来の低血圧に加え、血圧を下げる効能のある薬を飲んだため目眩や吐き気が出たのだと思う)、性欲根絶への道は諦めることにした、当たり前だが人間吐き気には弱いものだ、何を投げ打っても胃痛や吐き気は避けたいというのが常人の考えである、そして自然と私は性欲を受け入れたのだった、吐き気で苦しむくらいなら性欲があったほうが…それが自己嫌悪を伴うものであっても大分マシであるという結論に至ったのだった、あっけないものである。

 

さらに、彼は意外にも私の文章を気に入ってくれた、書かれているのは恨み辛みだけだった、私は人生ではじめて誰かに正直な文章を読ませたのである、それも自分がのめり込むほどの書き手に、褒めてもらえたのである…この精神的歓びをどう表現したら良いのかわからない…とにかく強烈な歓喜であった。

 

最早苦しみというものが歓びに転じていた、これをおかしい状態だなどとは思わない、そのようにすべての物事の裏表には究極の真理が潜んでいるのだと私は直感した、先生に文章を書いては読ませる、その日々は私には現実であってどこか彼方へ詣でているような妙な楽しさがあった。

私は、医師が自分の話を対等に聞いてくれたというのがとても嬉しかった、特に性欲や性的被害の嫌悪感につて、女性を哀れまず、対等に話の出来る男性医師は一体どれほど少数だろうと思う。

 

私は、自分の長年の苦しみそのものを書けば書くほどに、苦しみとは自分では完結できないものであり、さらに自分自身という存在は両親の代から、山梨と新潟の代から、そしてロシアから、北海道からも…そういった長い年月を経て、ようやく先生に巡り会えたという実感が増した。

長い長い営みの唄の末、ようやく、かすかな吐息となって先生の前に自分が出現したという気がするのだ。

 

自分の苦しみとは、突き詰めるとそのような唄だった、苦しみの根源をたどるとそれは自分を超えていた、そして私は枝分かれした最後の一葉となって先生の手のひらに舞い降りた、他の人がその葉の独特の色合いに驚いて手を引っ込める中…先生にはそれが醜いものではなく、面白いと感じる葉の模様だった、興味深いと感じる唄声であった、それが私にはこれ以上ないほどの歓びであった、これは内面的事実である。

 

だから私は先生が「大熊さんは文章を誰かに読ませるべきだよ」と度々口にするのを残念に思っていた、「僕にだけ見せてね」と私は言って欲しかった、「書き続けてね」という言葉すら、私には今生の別れの台詞でしかなった、私は彼に読んでもらえればそれだけでよかった、はっきり言ってそれだけで私の世界は完成していた、だが先生がそれを全く望んでいないことも十分過ぎるほどわかっていた。

 

私がこのような別れを体験したのは今年の9月である、1年半のカウンセリングが終わったのはその時期だった、私は先生の「産めよ増やせよ」的思考にはむしろ反対である、辟易するほど大反対である、にもかかわらず私は先生を尊敬している。

 

なぜなら、先生こそが、自分の考えに従順でない私を、許しているからである、上から目線ではなく、事実として受け入れているからである。
私はそこにこそ、尊敬の念を覚えるのだ、だってもし世界中の宗派がこのような考えを持っていたとしたら、少なくとも宗教上による対立や差別はたちどころに消えているはずだからである。

 

「ブログをやるといいよ」と先生は言った、しかし先生の紹介してくれたブログサイトは私には合わなかった、それについてすら私はもう言わなかった、ただ先生が33歳で意図して手を止めたブログを、私は33歳で勧められるのかと思うと何やら不思議な縁を感じた。
「僕もまたやるかもしれない、でも…」先生は自分の名前でブログをやること、その責任、医師として文章を書くのでテーマは絞ってあるというような話をした、「だから前みたいな気ままな文章ではないかもしれない、あの頃は僕は文章の書き方もわからなったから、下手だったでしょ」そう言って笑った。

 

もう読めないのだということだけが事実なのだと私は思った、先生と私は7歳離れている、実際あの頃の先生の文章というものは、すでに私よりも年下の男の書いた若い文章なのだ、若い言語なのだと改めて気付かされた、もう彼は居ないのだ、でも私の中に彼は存在しているのだ、私は心の内側で泣いていた、それが悲しみなのか感謝の念なのか判別がつかなかった。

 

「僕もブログの文書溜ったら公開するからさ、大熊さんもブログをやったらさ、教えてよ」

そんな綺麗な友情めいた約束をした、叶うことはないと思った、私は先生に文章上で告白までしているのである、叶うはずもなかった。
なぜなら私の文章にはきっとどこかに、先生への涙が染みこんでいるからである、それを文章上に於いて、私は隠す事が出来ないのである。


私は失恋し続け、にもかかわらず真理を見続け、男と寝続け、夫こそを父と呼ぶのだ、そんな中で先生だけが先生であり続ける、そうである限り私は先生を先生と呼び続け、それを馬鹿正直に書き続けるのである、よって先生がそれを読むことは原則、起こり得ないのである…なぜなら私はここまでの内面を、憧れの人にだけは見せたくないからである。

 

先生を尊敬する点は、先生が単なる医師の仮面を捨て、個人として接してくれた感覚が強いという所、個人的幸福のために健康の犠牲を払うという選択を真摯にしてくださった所(性的欲求を鎮める薬を処方してくれた点)、こちらの意志を正したり客観的な健康を押しつけたりはしなかったという所、文章を書くように勧めてくれた所、である。

 

私がこのように書き殴る行為ですら、端から見たら陽性転移だとか、単なる医師への依存であるとか、危険な状態であると判断する場合もあるだろう、ただそれは客観視の押しつけであると言いたいのだ、私自身がこの種の視点に飲まれた場合、果たしてそれは幸福なのだろうか?それが患者の幸福だろうか?と考えてみてほしいと私は思うのだ。

 

次にどこへ手を持ってゆけばよいかついぞわからない、けれども私は書き続ける、確かに楽しいと私は思う、こうして試行錯誤しながら手を動かすことそのものが、私を生かしている、私は相変わらす先生を尊敬している、それは先生が個人として私に接してくれたからである、私は自分自身の批判する精神医療システムに、その実救われているのである、ただそれは先生の技量のおかげだという気持ちが強い、よって先生を尊敬している。