大熊あれいブログ

絵画やイラスト、詩や独白文章を公開しています。不定期です。

自発的な笑顔【仕事】

仕事先のエレベーターに乗り込もうとしたその時、声をかけられた。
「どうもおつかれさまです!」
私は制服のまま、相手をホテルの利用客だと思って頭を下げた「こんにちは」…彼が私服を着ていたのでとっさに誰とはわからなかった、私がそうやって一瞬考えているときに、彼は自分の名前を名乗った「フロントの○○ですよ!俺、今日は休みなのに電気交換で駆り出されたんすよ」、「かわいそうに」と私は返した、二人して笑った。

 

私の職業は現在客室清掃、要するに掃除のおばちゃんである、この業務の情緒的な良さや楽しさ、利点についてはまたいつか書くとして、この仕事の立ち位置の低さを日々感じている。
単なる事実としてであり、それが良いとか悪いとかではない、ただ利用客の中には掃除婦をなるべく見ないように、こちらから声をかけても一切返事をしないように努めて無視をしている感じの人々も結構存在する。

 

実は利用客がそのような態度になる理屈はわかる。
自分の汚物を見られているという言い知れぬ恥ずかしさのような感情もあいまって、このような最後の処理をする人々を生理的に直視し難い、という心理状態に陥っていると推測もできるからだ。

また自分がホテル利用者の場合も確かになんだか…仮に声をかけられても反応しにくい場合が多々ある、客という立場に立つと気が抜けているのだ、普段から自発的にあいさつするタイプ出ない限りとっさの一言がただ単に出ないのである。

 

…だが、ホテルのフロント従業員にこの完全無視の態度を取られる筋合いはないのである。


ホテルの形態により様々だと思うが、私たち掃除婦はホテルには雇われておらず、他の清掃派遣会社に雇われているのだ…とはいえ業務先はこのホテルだけなので、実質ホテルのフロント従業員とは「勤務先が一緒」という点で、同じ場所に勤めている感覚になる。

 

同じ職場同士毎日顔を合わせるわけである、当然挨拶くらいするだろうと私は思う。

 

ただ、ここにもう一つ落とし穴があって、フロント従業員は何故だか同系列のホテルを流転してゆく仕組みになっている、それも一月と同じホテルには居ず、近場で展開している系列店に移り、しばらくするとまた戻ってくる謎の回転寿司システムで働いている。
ホテル側は一つのホテルに従業員が癒着するようなことを避けたいのかもしれないが、おかげでこちらはいい迷惑である。

慣れてきたフロント従業員がすぐ居なくなり、無愛想な新人がフロントの番をしており、当然のように掃除婦を無視するのである。


ちなみにこのフロント従業員という枠も、アルバイトなのだ、夜勤まで含まれるのだがバイトなのである。

この、自分が所詮バイトであり、さらに雇い主も異なる肉体労働者に対して、そこまで愛想を振りまくのは無益であるという思考回路になるのは私自身にもこれに似た感情を持ったことがあるため、本当のことをいうと恥ずかしながら…彼らが掃除婦を無視するのは心境としてよくわかるのだ。

 

冒頭の彼と、もう一人見るからに派手な感じのギャル従業員、彼ら2人だけが他の人員とは別格なのだった。
何が別格なのかというと、自発的に挨拶し、自分から話をし、自分から笑顔…もとい明るさを放つという意味で、彼らは凄いのだった。

 

フロントに鎮座する人員は、本来2名のはずなのだが人員削減とやらで1名しか居ない。
朝、ホテルに到着してみないと誰が鎮座ましましているのか、こちらからはわからない仕組みなのだ、私は彼ら2名のうちどちらかが居ると職場そのものが明るくなるのでどちらかに居て欲しいと無意識的に願ってしまうが、そうもいかないのである。

 

2人とも私よりも年下であるが、自分から相手にアクションするという事が仕事上でも必要だということ、そして仕事というよりも人間関係上そうした働きを自分が担うべきだという謎の自負があるような所など…人間として明らかに私よりも老成している様子なのだ。

 

私は彼ら以外の雑魚(失礼!)フロントの対応を受ける(というよりも無視なので、対応そのものを受けないのだが)たびに、自分が恥ずかしくなる。
なぜなら、私もフロント人員だったらこの対応をしていただろうなと予想がつくからである。
自分からは最低限のアクションしか起こさない、これが自分にとって最善であると私は思っていた、この扱いを受けるまでは。

 

自分から何かすること、というのを厭う気持ちそのものが所作にまで現れると、それを見ている第三者は不快なのである。
つまりそういった、自分は他者のアクションをただ待っている状態というものが、実はそれ自体が他者への甘えであり、幼稚な心理状態であり、はっきり言って見ていて恥ずかしいと、私自身がようやく30を過ぎて気付いたのである。

 

彼ら2名がこの職場に勤務するということが無かったら、彼らが居なかったら、このホテル自体を私はもう少し陰気なものに感じていただろう。
私ももう少し、陰気なままだっただろう、最近彼らを見習って無愛想な従業員にも声をかけるようにしている、以前は無視されるの嫌さにこちらも関わるのを避けていたが、結局それすら、私自身が同格に成り下がるだけなのだと思ったのだ、私は結構ナルシストなのだ、かっこいい奴らを見習いたいのだ。

 

老成という言葉が先ほどふと出たが…彼ら2名には何らかの無意識下の覚悟があるように見える、表面上はただ明るい若い人、そういった事柄を重荷に感じない類いの人、のように見えるが彼らの威力を考えると…彼らは、彼らの人生に於いてはこの種の努力をずっと行ってきたのではないか?と私は思うのだ。

 

その、ずっと行ってきた努力、という意味で彼らの挨拶や笑顔といったパフォーマンスには円熟みを帯びた輝きが宿っているのである、生きた年数こそ私よりも少ないが、こういった自発的な意識を持ち続けた年数は私よりもきっと遙かに長いだろう、だから若い彼らを見るたびに私は「老成」という言葉が思い浮かぶのである…私はこの種の努力をついこの間からはじめたばかりである、彼らはある意味で、先輩なのである。