a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

夢セーブデータその2【私的概念】

 

以前も書いたように私は夢の内容を覚えている、それも寝入るときに今朝方の夢を思い出す形で覚えている、そして今回書くのは「夢の中で度々訪れる場所」についてだ。

はじめに書いておくが全くオチは無い、私は推理小説などはてんで読めないタイプの人間であると明記しておく。

 

さて、私は夢の中で年に数回の頻度で出てくる場所についてはある程度地図を描くことが出来ると気づいた。


ちょうど昨日うたた寝していたときに私は夢の中で、自分の所有する西洋風の屋敷に居た、屋敷の中は薄暗く私一人しか居なかった、そして遠くで呼び鈴が鳴るのを聞いた。
反射的に玄関口へ向かったがふと気づいたのだ、「ここには確か玄関が3つある」そのうち2つは閉鎖されているのを思い出した、閉鎖された玄関へと続く大広間ごと巨大な板で打ち付けてあった。
私は目前にある打ち付けられたその板を自力で外した、意外なほどすぐに視界が広がり、埃の舞う暗い客間用の広間が見えた、高い天井には古びた真鍮のランプがいくつもぶら下がっていた、その奥に外からの光のかすかに漏れるドアがあった、私は大きなテーブルを横切り、絨毯の上を静かに歩いて両扉式のドアを開けた、誰も居なかった、外は晴天、紅葉した葉が舞っていて裏山が迫っていた…この景色に見覚えが在るということ自体に悪寒を覚えた。

 

そして気づいた、もう一つの閉鎖されている玄関…もとい八角形の天井の勝手口があったはずだ…そこへ走った、その間もなぜだか非常に胸騒ぎがしていた。

その勝手口は屋敷から突き出た形をしており、屋根の部分が八角形なのだ、床は白黒のタイル貼りになっている、そこへ足を踏み入れたときに私は息をのんだ、その空間には人が居たのだ。

私の見るはずのない、その姿を知るはずの無い、私を産む以前の若い母が素裸で柱に鎖で繋がれていた、目隠しが巻かれており母は小さく何か歌っていた。

 

…という(悪)夢を見たのだが今回出てきたこの建物、この屋敷は何度も訪れている場所なので書いておこう、夢の話など何の脈絡も無いものであるが、私は夢の話を聞くのもかなり好きだ。

 

夢で何度も訪れる自分の屋敷はかなり大きい、5階建てくらいの高さで広間がいくつかあり、空中に本が広がる図書室めいた場所やステンドグラスの天井がある、しかし全体的に陰気である。
地下にも屋敷は広がっている、構造上変わっているのは地上から高くなるにつれ屋敷は暗くなり一種独特の崇高な雰囲気に包まれるのだが…それに相反して地下へ行くほどに明るさが増して機械的な面白さを呈してゆく、地下にゆくにつれ建物の雰囲気は陽気になるのだ。

 

地上階には基本的に誰も居ない、今回のように例外はあるが静かであると体感できるほどに静まりかえっているし古びた印象である。
地下階へと進むと人の声が聞えてくるのだ、それも賑やかな様子でたくさんの人の声がきこえるのだ、地下へ行く広い階段を降りるほどに、電気の虹色の煌々とした明かりが増し、最地下と思われる場所へ辿り着くと沢山の老人が駄菓子屋をやっていて沢山の子供達がワイワイ列を成して遊んだりお菓子を食べたりしているのである。

地下では楽しげな音楽も流れている、大量の風船も浮いており色彩的にも鮮やかな、まさに夢空間とでも言うべき空間が広がっているのだ。

 

ちなみにここをさらに光の強くなる方角へと、子供達や老人、風船をかき分けながら、時に売られている色とりどりの飴やガムなどのお菓子をつまみつつ、口に甘い味を感じながらなおも進むと…出口へと着く。
そのドアを開けると崖の細い道が続く、真昼である、するとバス停があるのだ、崖下の山奥にぽつんとあるバス停、ここでバスに乗ると「夏」という街へゆけるのだ。

 

夏という街は移動式である、でもほとんど同じような場所に座している、海岸沿いに浮いている街で、実は古い列車が街の礎となっている、その上に積み重なるように土で出来た高い塔のような建物が重なっている、列車も数百台は横並びになっているので規模も大きく人も沢山居るのだが距離感があいまいでミニチュアを見ている感覚になる、ここには大きな時計があるが作動していない、この「作動していない時計の街」を見たときに違和感と同時に思い出すのだ、「ここに以前も来たことがある」と、「夢の中で同じ街を私は見た」と。

 

夏の街からさらに向こう側へゆくには巨大な橋を渡ることになる、この橋を渡るときは身体に圧力がかかって体感としては空を飛びながら渡ることになる。

橋を越えた先には駅の街があった、ターミナル駅になっていてそこから先の記憶はあいまいである。

 

夏へ行かない道もある、森や屋敷を中心に考えると、夏という街とは別の方角に城の街がある。

城、といっても私はまだ城壁近辺しか見たことは無い、中国風の石畳で常に濃い霧に包まれておりほの暗く、苔の匂いがする場所だ、城壁と巨木の立ち並ぶ、水路が張り巡らされた静かな水の街である。
城の街は提灯が灯されていて、神社のような所もあり、詣でる人もまばらに居るが皆顔がぼやけているのが特徴である、家族連れが多く和やかな様子ではある。
私はこの街の住人はその実、皆死者なのではないかと思っている、思っているも何も私の見る夢なのだから私の予感はその夢の現実となる、ここは死者の街である。

 

自分の屋敷、老人と沢山の子供達、バス停、森、駅、夏の塔の街、橋、霧の城壁、提灯、死者たち…

 

こうして書き連ねるほどに夢は脈絡が無くなってゆく、しかし年に何度か訪れているという実感がある、夢の中である特定の場所が「存在し続けている」ということが私にはとても面白いのだ。


私はこのことを体感すると、夢とは、自分が見ている物では無く、自分が作り出した物でも無く、三次元では観測できない場所に自分がアクセスしているというような気持ちになるのだ。

夢はこのアクセス記録をどこかにデータとして保持する性質があるらしい、少なくとも私にとって夜見る夢はそうである、夢の記録はゲームのセーブデータのように保存可能である。

 

この夢セーブデータの唯一、そして重大な欠点は…メッセージ性のなさである。

体感すると面白いのだがこうして文章にするとその点を痛感する。


はてさて今夜はどんな夢の続きが待っているのだろうか、あるいはどのような場所へと、私は赴くのだろうか。