大熊あれいブログ

絵画やイラスト、詩や独白文章を公開しています。不定期です。

水色の食器棚(自分のこと)

 

部屋の一角は白い棚が天井まで伸びていて、そこには本がぎっしり詰められていた、マーフィーの法則、自己実現、といった文言の背表紙がしきりにこちらを覗っている。
自分の殻を破るには、職場の人間関係、よりよい自分への道…本のタイトルとは、心中の叫びである、父の本棚は叫んでいた、父はずっと悩んでいたらしかった、もうずっと昔の光景である。

 

昼間でも薄暗い団地の部屋の中の一角が、父の書斎ということだった、父は常に何かを学ぼうと躍起になっていたし、実際英会話や株などを独自の勢いで習得している様子だったが、父の一番苦手だったのは自分を許すことだったのではないかと今は思う。

自己嫌悪は連鎖するのだ、私が殴られたぶんだけ父と自分を憎んだように、殴られて育ったであろう父もまた自分を常に憎しみの対象としていた。

 

自分の手が震える、という神経症状がその頃の父をさらに悩ませていた、人前で手が震えないように、手が震えて物を落としても平常心を保てるように、そうやって自分と格闘するうちに癇癪を起こして家の中で何か蹴り倒したりしていた、明らかに苦しんでいる様子だった。


当時、家にはサンドバッグがあった、父の書斎に置いてあった黒く、ゴムの匂いのするその不気味な装置は大人の背の高さほどもあり、ただでさえ暗い部屋の中でさらなる不吉な雰囲気を放っていた、父が帰宅して一心にそれを殴るのを私は毎日見ていた。
あるいはその音だけを聞いていた、父が永久に帰宅しなければ家が平安であるかのように思われた、父の吐く暴言と拳が衝突する音は壁に染みてゆくように思われた、壁には黒いシミが実際にできはじめていた。

 

私は夜の台所の隅でその聞きたくない音を、日々隠れて聞いていたがその家から逃げる気は湧かなかった。
母が父に呼ばれて書斎とされる部屋へ行き、二人が吐息だけで会話をする日は少し安心した、そのような日は父の爆発は先送りされるのだ、刑は本日は無し、母の作った夕飯の香りだけがあたりに漂う、台所には水色の食器棚があって、その棚だけが安寧な日々を知っているかのような印象を受けた、無頓着な母が珍しく気に入って買うことになった「母お気に入りの食器棚」だった。


それ以外の家具はどこか淀んでいた、父が水色の食器棚を蹴ることは無かった、その棚だけは現実に在りながら母の空想の世界に半分存在している状態だった、父は母の夢には手出しできなかったらしい、それを足蹴にはできなかったらしい。

 

私は何かあると(大体週1~2は殴られていた)その棚のそばで虚脱状態になった、なりたくてなる、というよりは身体を動かすのが突然おっくうになるのだ。
街中で貧血でも起こしたように私は水色の食器棚の側面へ寄りかかった、そこがどこよりも安全なような気がした…といってもその家には安全な場所などないように思えた、そう、私自身が変化しない限りは。

 

私もいつしか思うようになったのだ、「より良い自分へと変貌しなければならない」、虚脱状態の自分を「ゴミ状態」と認識するようになった。

思うように手が動かない時、というのがたまにある、そして思うようにいかない時も度々あった、そのような瞬間強烈な怒りが私を貫くようになった。
これをいつからという風には明記できない、私はこのような時叫ぶしかない、叫んで叫んで、髪の毛を大量に引き抜くのだ、そうすると少しは怒りが身体から抜けるような気がするからだ。
我ながら忌まわしいが、怒りで我を忘れるということが私にも確かにある、最近ほとんど無くなったが以前は結構あった。

 

そしてそのような瞬間を脱すると今度はさらに自分が汚く感じ、この肉体そのものを捨ててしまいたい欲求に駆られる。
普段漠然と感じている無価値感が浮き上がってくるとこうなりがちだ、これこそが自己嫌悪、ただこの気持ちは果たして父から後天的に受け継いだのか脈々と続く遺伝子上のエラーなのか判別がつかない。

 

毎日緩やかに生活できたらといつも願っていた、願いは確かに叶った、しかし私は自分の本性を知っている、私の本性は父と酷似している。
苦しみの質が似ているのだ、結局自分と似たものを見るのが耐えがたいのだ、私は自分が救われたいと思うときは父のことも考えている。
父の苦しみが救われるとき、私も楽になるだろう、そのような日が来るとよいなと思う。

 

私は、自己啓発本だけは買わないようにしている、それは心の叫びだからである、現状の自分が許せないときほど怒りはやってくる、怒りの無いときが平安なら、平安をいかに長引かせるかが今度の勝負である、そのためには自分を良くするなどということよりも、ただひたすら生きることよりほかに、成すべき事は無いという諦念こそを貫くのが、平安への近道であると私は思っていて、それを父に言うべきかどうか…私自身の水色の食器棚をまだ見つけられない私は、迷っている。