大熊あれいブログ

絵画やイラスト、詩や独白文章を公開しています。不定期です。

ケーキ箱の家(自分のこと)


ずっと昔に、大きなケーキの入っていた真四角の箱を細工してそこにちいさな窓や浴室や寝室を作り、仕上げに豆電球で明かりを灯した。


私の思考はケーキ箱の中を隅々まで動き回り、どこに絵を飾ろうか、壁紙は何色にしようかと考えあぐね、完成時に私は最早その小さな家に住んでいたのだ、理科の時間で作った紙の家は電気の仕組みについてのお勉強のための小道具である、私は何度も何度も簡易スイッチのON、OFFを切り替えては見入った…まだ右手にあの感触を思い出せるほどに。

 

視界が黄みがかっている、浮遊感がある、私はあのときのケーキ箱の家に居住しているのか木造家屋に座しているのか感覚があいまいである。
どうやら風邪をひいたらしい。

 

具合の悪いときは小さい頃の安寧な思い出のみが甦る、布団の中で私は0歳児になる、一度飲んだ甘くもしょっぱくもないぬるい液体をそのまま胃から吐き出してもちっとも辛くない、そうしているともう一度柔らかくて温かい他者が優しく飲ませてくれるのだ、私にはこの相手が母親だとすぐにわかる。
ゲップがうまく出ないと飲んだものをそのまま出してしまう乳幼児特有の現象を「懐古」的な気持ちで思い出したのは3~4歳の頃である。
そのときには身体の構造は幼児とは言え原理としてはすでに大人と大差ない、あの頃は良かった…この感傷は風邪を引くたびに私を包み込む。

 

現在の私は布団の中に身を横たえている、外界と自分との境界があいまいである、私は単なるタンパク質や脂肪の肉塊のような自分の身体を「泥のようだな」と無意識に思う、泥の中にはたくさんの生物が住んでいる、私の肉体の中にすでに他者は居る、見たことも無い新緑の若葉が芽を出している、暗褐色の泥土の中ではひときわ目を引く異質な緑色、私はこの芽を抱いたまま横たわっている、現実ではこの類いの芽はすぐに引き抜いた。
もし誰かが私をさらに外部から包み込んでくれたら、新芽ごと包み込んでくれたら…この夢想は危険である、この境地にどうやって辿り着けば良いのかわからないのならば考えるのは危険である。

 

私は起き上がって窓辺へと足を運ぶ、たった数歩の移動も街をひとつ越えたような達成感がある。
私は窓辺で手を広げる、そのとたん自分がケーキ箱の家に居て、豆電球の橙色の明かりを受けて遊んでいるような感覚になる、手を広げた私の人影を私は理科の授業中に多分見ている、家の中で一人踊るこの影が何を求めているのかは私にも不明である、そんな人生を送っている。