大熊あれいブログ

絵画やイラスト、詩や独白文章を公開しています。不定期です。

夜の一幕、アレルギーと戦争から抜け出すのは難しい【私的概念】

自然保護区域、一見風光明媚な場所に私は住んでいるが夏場には独特の苦労がある、人が集まるところにはいざこざが発生するものだ、いざこざというのは他方の行動がもう一方には気にくわない時に起こる、火花の散る状態である。

 

日付が変わる少し前の蒸し暑い6月の夜のこと、家の目の前にバイクが数台停まっていた…本来バイクは入れない場所なのだ、時折聞こえてくるエンジン音と話し声、どうやら男4人で楽しく夜中に住宅街で観光しているらしい、かれこれ1時間以上だ。
…と、道すがら老人が高圧的に彼らを怒鳴った、どうやら彼らのエンジン音と話し声は我が家を超えて老人宅まで届いているらしかった、男達は卑屈に笑っていた、動く気配が無い。

 

私の心臓も嫌な音で鳴り始めていたのだがふいに…警察を呼ぶよりももっと面白いことをしてみよう!…という天啓が私に舞い降りてきたのだ、風呂上がりだった、ああ…今なら誰にでもなれる、そんな気がした私は自分の意思というよりかは衛星からの電波で自動操縦、といった体で黒髪をおろして香水を付け、スカートをはいた。
そのままふわふわと玄関まで降りていってヒールつきのサンダルを履く、ドアを開けると上空には月が夜霧を纏って虹色に輝いていた。


愉快だった、月の光が私の歩く道を照らしているかのようだった、どこかの家から蚊取り線香の匂いがする、それ以上に木々の発する緑の空気が濃いのを、その空気の中に香水の匂いが薄紫色に散ってゆくのを私は感じた…何を言おうか…台本はさっぱり無かった、ただ彼らの顔をよく見て、こちらの顔もよく見せようと意識した、動悸で胸元が揺れているようだった。

彼らは薄暗い川辺の道の中、ぽつんぽつんと灯る街灯のうちの一つ下に集まっていた、スポットライトが当たっているみたいだった、だが思惑通りどちらかというと内向的な様子の同年代の男たちだった、どうりで高圧的に言っても効かないはずだ…高圧的な態度に慣れてしまっている人生なのだということが、手に取るようにわかった。

 

私は立ち止まった、彼らも私を見た…夜中にスカート姿の女が現れたのだ、とりあえず眺めるしかないだろう、私は言った「こんばんは」、彼らも同様に返してきた、さりげなく全員と視線を交わした。
「遠くから来られたんですか?」彼らは4人の中で誰が答えるべきかで互いにオロオロしていた、ここぞというときのリーダーはいないらしい、そしてそれぞれに言語化しきれないようなあいまいな返答をした、私はさらに一歩近づいて言った、すかさず両手を胸元の前で合わせた。
「あの、実はお願いがあってきました…」そして私は自分が仕事のために明朝早起きせねばならぬ事、バイクの音と話し声が聞こえて眠れないことを告げた、そしてバイクは禁止されているので警察に見つかるとまずいですよとそれとなく言った、彼らに香水の匂いを嗅がせながら。

最後に頭を下げた、「すみません、でもまたいらしてくださいね、良いところなので…」これで私の女装演劇は終わりである、彼らはいそいそと帰り支度をはじめた、4人全員と目を合わせた事が展開を早めたらしい、話の通じるのが早かった。

 

さて、ここで私が言いたいのはオカマくさい言動で他者を追っ払った事ではない、部外者を追っ払うぞと意気込んだときのあの強烈なワクワク感についてである。

 

ユディトもこうやって着飾って敵陣へ赴いたのだろうか?
この手の快楽に身を委ねるとき、最早そこに自分自身の意思や生死すら無い、分の悪い賭ほど全身全霊で、あるいは全霊をも捨てて、乗ってしまいたい気持ちになるのだ、この時本当に自分が自分の身体を何かの意志のままに動かされている感覚だった。
そして思うのだ、これが殺人であっても、これが村同士の争いであっても、私は「楽しい」気持ちで彼らの元へ赴き、その場で思案して「自分の陣地」を守るようその実冷静に駒を進めるであろう、とうことを。

この気持ちは何だろうと突き詰めてゆくと、これこそが人間が戦争から逃れられない部分なのかもしれないと感じるのだ。

 

私は、自分は戦争が好きな人間だと思う、もちろん自分の住処だけは荒らされたくない、だからこそ自分の住処を侵してくる奴らを敵だと見なしてしまうのだ、これは過剰防衛の話かというとそうでもなく…アレルギー反応を起こす身体のミクロな部分のように自分が火花を散らしてしまう状態に陥ることがある、という事だ。

他者、それも「認識しにくい他者は害である」という意識、人間はこの意識に打ち勝つにはそれこそ56億7千万年ほどかかるだろう。

 

それは多分身体の中、私が団地生活でずっとそうだったように、カビや、あらゆる極小の虫たちに対して身体と外界の境目である皮膚や鼻の粘膜が過剰反応したように、心もまた排斥運動に殉ずるのである。

殉ずる、そうなのだ、正真正銘これは一種の死の快楽なのである。

 

この意識の次の意識に人間が到達したとき、おそらく「アレルギー」という身体現象もまた人間は克服するだろう。

アレルギーとはミクロな戦争である、戦争はマクロなアレルギー反応である。


もう一つ、一体いくつまで女を武器に男を動かせるのかと思案した、答えは「優しく振る舞えば案外いくつまででもコントロール可能」な気がした。
ちなみに普段この手の事が起こると昼間の場合、私ははっきり言ってただの鬼である、警察という犬を引き連れてくる場合もある、これが女の持つ哀れな二面性である、救いがたいことに…どちらも本性であると認めざるを得ない。