a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

前世の夢と夢セーブデータ【私的概念】

朝方みた夢の感触、匂い、湿り気、視点の定まり具合、景色の鮮明さ…全体的な禍福どちらかのイメージ…は起きたときにはまだ枕元にある。


私の場合、それらの視点は私の身体を離れて一日中ずっと枕元にあるのかもしれない。


というのも、夜寝入るとき、パジャマに着替えて歯磨きも済ませたあたり、電気を消し始める頃、家そのものが私の眠りに合わせる刻限になると、私は今朝方みた夢を思い出すからだ。

これはほとんど毎日で、しかしながら夢の話題をあえて思い出さない限り、この手の話をしないかぎりはこの体質について忘却しているので、こうして書き残そうという意思のあるおかげでなんとか文章化できたのだ。

 

夢は物理である、夢は移動しない、夢は夢を見た現実の場所に固定される、夢は降り積もってゆく、私はこの体質由来の現象を「夢セーブデータ」「夢セーブ」と呼んでいる。

入眠時に今朝の夢の続きにアクセスする感覚があるからだ、しかし夢がそのまま続くわけではない…ただ、今朝方のことを鮮明に思い起こす現象が、夜になり、枕に頭を置くと起こる、というだけだ、ゲームの続きをしにゆくみたいなので夢セーブという名称なのだ。

 

ある人は「夢は夢を見た人の頭の中にある」といい「夢は幽体離脱である」と別の人は言う、「記憶の整理」というのはいかにも単なる客観的な理由を述べているにすぎない、この体験のもたらす真実の意味など人生同様、誰にもわからないのだから。

夢の中で私は男になるときがある、現実の人生の中でいうところの幼少期にみた夢で鮮明な物を誰にともなく書いておこう、供物を捧げるみたいな気分だ。

 

4歳頃の夢、私は夢の中では青年である、髪が黒々していてがっちりした体型、自転車(あるいはバイク)で山道をひた走る。

草木の匂い、人間の立ち入らぬ異界の土の匂い、にもかかわらず空の果てまで続くような送電線がこちらを静かに黙認しているようである。
走ったときは晴天だったから、夜もそのまま、安心感の中で眠れるだろうと夢の中の私は独りごちる。
寝袋をもってきたんだ、風呂には入らなくてもいい、自分の汗のにおいなんてどうしてそんなに気になるのだ、虫除けだけつけておこう、朝にはコーヒーを飲むんだ、たった○日山に居るだけなんだ(ここには意識が行かないもどかしさを感じたが要するにすぐ人里へ降りる予定なのだ、そうなのだ…彼には未来の予定があるらしいのだ)、衣服は昼間脱いだ、夜には非常に冷えてきた。

青年であるところの私は尿意を覚える、そこの岩にしよう、と無意識に尿を飛ばす(当てる)先に検討をつけて勢いよく放尿する、誰も見ていないはずなのに異様な爽快感が身体を突き抜ける、やはり送電線には意識が宿っているのか、あるいは山の神か…山には何かと視線が多い。
何も心配などしていなかった、自分は風邪も引かないことをわかっていた、汗をしっかり拭いて虫除けさえしていれば滅多なことはない、という個体としての小さな確信があった。

心のどこかで、人里に戻るのは嫌だなというような…これすら言語化されないようなモヤモヤとした煙めいた気持ちが存在する、なんで毎日風呂に入らなくちゃならないんだろ、なんで歯も磨かなきゃいけないんだろう、挨拶をして、制服を着て(ここでの制服のイメージは学生では無く労働者のもの)…人間ぶらなきゃならないんだろう…少なくとも夢の中の私はそのような事を考えていた、にもかかわらず律儀に山から戻る予定であった。

 

夢の中で朝が訪れた、異変が起きたのだ、私は寝袋に大きな身体を納めていた、このときの様子は崖の近くだった、霧が濃く、仰向けに寝ていたのに空が見えなかった。
身体が動かなかった、理由はわからなかった、飯も食ったし汗も拭いた、息が苦しいような気がする…相反するように寝袋の中は暖かいように思えた、身体は異様なほど冷え切っているのに、この袋の中に居る限り安全で、じきに起きられる気がした私は…もう一寝入りすることにした、不安だった。

おかしいなあ…まだ身体が動かない、戻らなきゃならないのにな、また山道を走りたいなあ、なぜか空が見えない、ずっと夜なのか?
寝袋にくるまっている自分の様子が不意に頭に浮かんだ、何かに守られているようであった、起きられない…という意識だけが外へ向かって発せられていた。

 

…という夢である、男性の放尿の気持ちよさについて語りたくなるときが時たまあるが、それは大概夢に於いて体験した男の身体の特性である。


つまり私の妄想でしかないのだが、度々私は夢で男になり、男であることを一番愉快に思うのが放尿するときである、それ以外は正直さほど男であることに利点はないように思えた、現にこうして男の私は寒さで死んだのだ…これは夢の出来事だが、女性である場合眠ると身体が非常に温まる機能が働くため、たぶん凍死には至らないであろうこともなんとなく感覚でわかる。

 

しかしやっぱり放尿は男性器で行う場合独特の爽快感をもたらすのも事実で、これがために男に生まれるのも悪くない、身体的な弱さや一種の馬鹿さ、そして愚鈍な他者を独特に見下す気持ちも含めた欠点すら、この快楽の前にはなんの意味ももたらさないだろう。

女の放尿というのは主体性に欠ける、女には放尿をする意思自体存在しない、女は「尿」により放尿させられているのだ、これが女を生理的にみじめにさせている、現に私はしょっちゅう「トイレがどこにあるのか自分が探しているのでは無く、探させられている、こんなことに人生の時間が割かれている、外出するたびにだ!」と、全くもって臍を噛む思いで過ごしているのである。

一方男の放尿は純然たる「放尿」である、放尿するという確固たる意思のもと行えるのだ、生理的欲求を意思によりほとんど完全に楽しめるのである、「おしっこがしたい」というよりも「どこにおしっこしようかな」という余裕があるのだ、これが日常何度も訪れるのだから男が行動的になるのも頷ける。


…夢の話をしていたはずだがいつのまにか個人的な趣向の話になってしまった。
たぶん放尿の醍醐味についてまたしつこく書くだろう、それはともかくこの夢は、なんだか妙に「自分の身体の重み」というものを強く感じた。
起きたときに、「幼児は軽いな~」とびっくりしたのだ、母にそれを話した「夢の中で男のひとになっておしっこしたよ、山で死んだよ」、母のそのときの対応は覚えていないが母のことだ、不吉な何かを感じて念仏でも唱えただろう。

 

また夢についても書くだろうが、この夢は「完全に自分が死んだ」経験として私に内在している。
夢では無く経験なのだ、この夢はある種の現実なのだ、と私は長年の友人に力説した。

友人は感じやすい質なので目を見開きながら言う「お前、それってお前さんの前世なんじゃねえの?…なんか寒気するわ」私は返す「そんな気がする、山は私を呼んでると思うことが結構あるよ、起きられないのは悲しかったなあ…」そう、悲しかった、この夢は悲しい夢なのだった、悲しいというよりさびしい経験だった。

 

枕カバーを外して洗う、枕を日光に当てて干す、夢は上空へと霧散してゆく、夢は頭を置いた場所に宿る、もしかするとどこかの山林の中、その時の私が枕にした土の上にはまだ、青年であるところの私の視点が宿っているのかもしれない。

 

この夢の続きは、もしかすると現在の私の視点なのかもしれない、私は起きるたびに彼の夢の続きになるのかもしれない。

 

日が傾いてきた、まもなくあたりは暗くなって私は家事を行いながら徐々に今朝の夢の続きへと引っ張られてゆくのである。