a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

人間の性というものは誰からも口出しされない場所にこそ芽吹くのだ【性について】

私は好色なので、男という存在が手元に居ないと満たされない。


一夫一婦制に不自然な善悪を当てはめている現在の法的思想は疑問だが、男女の仲、というものを考えたときにはなぜか相手は一人が良いと思う。
それはあくまで自然な情動に於いてである、興味が無くなればそれまでだが、よい付き合いが出来るのならば続けるような自由意志の相手だ。

 

私のした今までで一番酷い性的行動は、法的な浮気ではなく、結婚相手の生理的不能を追求してしまったことである。
これは、もうほとんど強姦に準ずるくらい善くない行動なのではないだろうか?

 

私の結婚相手は、少なくとも私では全く欲情しない。
私は、結婚したのだから私の男になって欲しいという考えだった。
結婚しようねと互いに言った、それが目的のお見合いサイトで私たちは出会った、相手にも社会的立場があった、妻が居た方が何かと有利だったのも事実なのだ。

 

私もそうであった、住所と金銭、返済するための資金、働いていない親への仕送り、そういったものを揃えるには私の稼ぎでは残念ながら足りなかった。
それは私の頭が悪く、仕事が出来ない人間だからということだが…結婚という制度に組み込まれない限り私も、私の両親も静かに飢えるしか無かっただろう、あるいは私は身体を売るしかなかっただろう。

金のために貧乏になっている、金という概念のために貧しさから抜け出そうとしている、そんな状態の打破には早めの結婚が一番である。

 

とはいえ私は相手のことを「やっとほんとうのお父さんに出会えた!」と言わんばかりに出会った当初から信頼しているのだ、そのような人に私は酷いことをした。

 

勃起しないということを何かの病気だと思ったのだ、結婚1年目、私は彼と病院へ赴いた。
医者は彼と私が若いという事で、大病ではなかろうという診断を下した、おそらく心因性なので雰囲気を大事にしてこの薬を飲めと言った。
しかし薬は全く効かなかった、彼はますます自信を無くしていった、私は苛々し出した、苛々している自分自身が非常に嫌だった。
自分が不能なのだという意識が彼を覆っていった、私は薄々、自分が追求してしまったから彼の苦しみが増しているとわかってはいた。

じりじりと日々は過ぎた、私はいつしか「夫から無視されている」と思うようになった、結局金銭のために苦しんでいるような気すらした、しかし彼を慕っているのも本当の私の一面だった。

 

小さなゴタゴタは省略しよう、丸5年以上セックスを我慢し性についてすっかり寡黙になっていたある日、ついに私は彼に切り出した。

「私は恨みの気持ちを抱きながら生きていたくない、でもあなたと過ごすうちに安心できる生活というものがどんなものなのか実感できた」

夫は不思議なほど私と別れたがらない、何が何でも一緒に居ようとする、彼には彼の、不能のままで一緒に居てくれる誰かを深く求める気持ちが渦巻いていたのかもしれない。

 

「お互い、浮気してよいということにしない?これだけだとあなたに分が悪いから、私に対して許せない気持ちになったらいつでも離婚してくれていいよ。良い生活というものが私には5年以上も実感できたのだし。私は風俗も何でも、恋でも、許すよ」

 

正直な事を言おう、私は互いの「性について黙っている関係」に居心地が悪くなっていたのだ。
そして彼の男としての一面を医者と共に奪ったのは私だった、にもかかわらず私は彼を…セックスの無い日常を…ただそれだけのことで、彼を恨みはじめている…そのような自分が恐ろしかったのだ。

 

私もまた医者にかかっていた、医者に言ったのだ「ぶしつけな質問をしますが、性欲を止める薬はないのでしょうか…」この質問は心底惨めで恥ずかしかった、医者に自分が誘っているのだと思われたらさらに苦しみが増したろうと思う、幸い真摯に医者は答えてくれた「残念ですがそういう薬はありませんよ」。

 

だからこそ私は夫にこそ恋をしてほしかった、今からでも恋人を作ってくれてかまわない。
私が踏みにじった性を、そのまま萎ませないでほしいという気持ちだった。

相手が独身ならかわいそう?
既婚者なら、相手の配偶者がかわいそう?

そんなものは不要な哀れみであると私は思う、人はそんなに弱くない、少なくとも人間の性というものは誰からも口出しされない場所にこそ芽吹くのだ。

 

配偶者が自分を拒むことを受け入れること。

配偶者が自分以外とセックスしたい気持ちがあることを許すこと。

自分の性的欲求を許すこと。

 

現在そのような場所はあるだろうか?
現在、人間の性を救っているのはネットだと私は思う、これが無く、かつガチガチの一夫一婦制遵守の場合どこにも本来の自由な性は無い。
私は出会い系というものが…あのような泥沼こそが現在は性に於いての浄化や救いになっていると感じる。

 

なぜならそこには女性の性も少数だが存在するからだ。
女性の性が、女性の遊びが無い限り不自然な性の意識は終わらない。
それを汚いと言えば言うほどに、女性は性とお金とを結びつけるだろう、男性を無視するだろう。
そのように無視し合う先に一体何があるというのだろうか?

 

私個人の理想は、性的な祭事、乱交の復活である。
逸脱する瞬間、誰の管理下にも無い瞬間、自分だけの秘密を誰かと分かち合えることが性の歓びだと私は思う、そのような場が出来る事を願っている。
それが、性を尊重するということではないだろうか。

 

科学技術も、人を幸福にするためにあるのならば性病や虫歯などを積極的に検査し、金では無く、個人が健康であることが互いの性の利点となるということに考えを変えられないだろうか。

 

現在、私は法的に見ればとんでもない女だ。

だけれども夫を憎む気持ち、筋違いな恨みの気持ちは不思議と消えた。
夫、妻、という名称から私たちは外れてしまったのだ、そういうものの外に居る、これをなんと言ったらよいのだろうか。

最高の隣人、仲の良い父と娘、共闘している人たち。
私は、意見の異なる人とこそ共存したい、叩き叩かれる、という状態では無く互いの理念が異なることをそのままに、生きてゆきたいと思っている、これが私の理想である。