a.o独白ブログ

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魂同一論【概念】

 

肉体的な要素と生活環境で、その人の人生や外見がほとんど決定付けられているのかもしれないとふと考えた。

 

頭の善し悪しも肉体的要素である。
肌が綺麗かどうか、病気がちかどうか、よく睡眠がとれるかどうかも主に肉体的要素である。

 

そして環境、周囲に暴力を振るう人間が存在するかどうか。
自分にとっての脅威を感じる頻度で、他者をどれほど信用するかの判断度合いが決定付けられる。

 

自分の持つ肉体的要素と環境要素で人生というものは大体決まるのではないだろうか。

 

これを極限まで突き詰めてゆくと、【私があなただったのなら、確かに私もまた、あなたのように振る舞うだろう】という理論に至る。

 

私があなただったのなら、あなたの選ぶ服を私も選んだだろう。
私があなただったのなら、あなたの選ぶ仕事を、あるいは仕事をしないという状態を、私も選んだだろう。
私があなただったのなら、あなたの選択を私も選択しただろう。
あなたの努力を、私もしただろう。

私の苦しみを、あなたが私だったのなら、同じように苦しんだだろう。

 

ということを考えたとき、もはやあなたというのは…世の中に存在する全員なのではないだろうか…という気がしてきたのだ。

 

つまり、、あらゆる種類の機械に、燃料を投入したとき、その機械は個々に違った動きや働きをする、個々の使命を全うすることを望むかのように動く。


燃料そのものは同一の燃料でも、それぞれに異なる働きをする。

可動域の狭い者も、起動力が強い者も、瞬発力のある者も、古びて動きにくくなったものも…その身体に燃料ある限り動き続ける。

 

燃料、というものを生命体に置き換えると、それは魂なのではないだろうか。
では魂というものは、その実同一なのではないだろうか?

 

同一の魂、これはただの主観の、全く解明しようのない私的な思想だが、そう思うと私は他者理解がしやすくなる。

相反するようだが、他者理解がしやすくなると、その他者の行動が、その個人の行動が個々それぞれに鮮やかに見えやすくなる。
なぜか、個人の色が強まり、その個人の存在を尊重したくなる。

 

魂同一論と勝手に名付けた、出勤がてら思い浮かんだ雑念、たぶんこのような物事を考えている人はたくさん居るのだろう、その人達と話せたらと思う。