大熊あれいブログ

絵画やイラスト、詩や独白文章を公開しています。不定期です。

美と貧困、カースト意識【世の中】

洗練された都会の大通り、照明に照らされて輝く数多の洋服、表面上は苦しいことや病気など無いかのような美しい人たち。

 

そういうものが私はずっと怖かった。
美と自分とが一体化している、美と自分が、少なくともつながっていると感じられる人々とは心底わかり合えないと思っていた。


自分の美しいと思うものを身にまとうのは、非常に勇気が要る、自分自身を見なければならないからだ。
だからお洒落な人には、畏れを感じるのだ、やんごとなき人々が古来から自身の身を煌めかせるのを、ボロをまとった人々は見てきたはずである、自分を見ずに。

 

私は、自分自身に根付くこのカースト意識を変えたいと思うようになった、ほんとうにごくごく最近である。

 

私がしなければならないのは多分お洒落ではない、自分自身を見ることと、卑下する気持ちを抑えて他者と対面することである。
そのためにはまず、自分が何をおそれているのか、恥ずかしさを超えた部分でやはり、提示しなければならないように感じた。

 

私の育った地域は、山々の見える、おおまか巨大な都営団地である。
冬場になると老人が飛び降り自殺する。
自殺などどこでもありふれていると思うだろうか…ここで特異なのは老人の自殺ということだ。
生きてゆかねばならぬ時間はもうそんなに無いはずなのだ、それでも死ぬのだ。
それほどに自分がないがしろにされているように思うのか、ひもじいのか、孤独なのかは本人にしかわからない。

 

なぜ水を使った…トイレの水を流すのももったいない、なぜそれを買ったのか、なぜそれを捨てるのか、なぜ病気になったのか、なぜそんなに頭が悪いのか、なぜすぐに妊娠するのか。
問いかけは怒りと共にある、その地域での問いかけは、怒りと同義の場合が多いということだ。
話、というのはほとんど怒りをぶつけられることなのだ、だから黙するようになる、余計なことを言わないように、はしゃいで煩がられないように。

 

背中一面がひっかき傷でぬるぬるしていた、これは昼間乾くとパラパラと床に落ちてゆく、そして多分小さな小さな虫たちの食料になる、私の皮膚である。
夜になると身体の芯から熱が出て痒くて痒くてたまらなくなる、それをまた怒られて過ごした、ほとんど高校にあがるまでずっとだ。

 

私は、美というものはどこか遠くに点在していると思っていた。
自分、というものも、身体に宿るのでは無くどこか遠くの果てに、本来の魂が存在しているのだ、人が祈るのはそのためだと思っていた。
だから私ももっと祈って、祈って、自分の肉体や物質などにかまけないように…正しく過ごさねばと信じていた。

 

自分の思うことを全霊でやってきた人というのは、大抵男女ともに美しい。
自分がどこに立っていても、誰に見られてもその視線に耐えうる、自分の視線にも耐えられるということは圧倒的な強さなのだ。

 

そのような人を見ると、私のような人間は「だって自分は…」という言い訳めいた理由の言葉ばかり並べてしまう。

その人達に自分の生い立ちの文句をたれても仕方ないと、誰もがわかっている、自殺する老人たちだってわかっているのだ。

 

私は、育ちの異なる人とも対話が出来るようになりたい。
私は、自分自身の内部で起こる卑下や見下しの気持ちに取り込まれるのをやめたい。
人とそのような意味で、対等に話せたときにこそ相手の、情熱や凄さを、真に理解できると思う。

 

そうなったときにはじめて、自分含めすごくない人々の日常を、許せる気がするのだ。
そうなったときにきっと、私という一人の自殺しやすい人間は、人生を楽しみながらまっとうすることができると思う。

 

それを第三者が見知って、こんな奴も生き抜いたのだと感じられたのなら、そういうものがロウソクの灯のように、小さく誰かを照らすのだろうと夢想している。
それがためにこういうことを書いている。