大熊あれいブログ

絵画やイラスト、詩や独白文章を公開しています。不定期です。

1026(自分のこと)

10月26日、20年以上前のこの日に私は小説を書きはじめた。

 

当時友人が全くいなかったので、精神世界で生きることを強く夢想していたのだ、小説の中の人物たちの人生、自分よりも年上の人の視点…ただ強烈に楽しかったのは自分の目では見えない景色が見えたことだ。
その中で、単なる自分の空想の中で私は遊びほうけていた、小学生だった、処女とは言い難かった。

 

持っていたクリーム色のシャープペン、果物の形の消しゴム、太もものあかぎれ、何度も現れる「おじさん」が、触ってきた局部と肋骨。
団地の一室、向こうの部屋からは煮物の匂いと両親の押し殺したふるえる声、今はおとなしくしてなきゃいけない、お父さんにまた怒られるから。
襖が破れている、夕ご飯までもう少しじっとしていようか、私はいつでも暗いって言われる、だから大丈夫なはずなのに…それなのにじっとしていなきゃならないのはどうしてこんなに苦しいんだろう?

 

本を読むのは苦手で、いつも図鑑を見てぼうっとしている状態だった、当然勉強もできなかった…勉強は結局できないままだった。
私の人生で、出来たことというのはほとんど無い。
私の力で成し得たことというのも無い。

 

小説もそれきり書いていない、ゴットファーザーとバグダッドカフェのパクりみたいな小説、ただそれ以来日記を書いてきた。
紙媒体でだ、私は文字を忘れるので手書きの感覚が快楽であると、頭に刷り込ませて漢字を覚えようとしているが一向に覚えられない。

 

夜でも昼でも、思いついたときに紙に書くようにしてきた、そのほとんどが暴言で埋め尽くされたノートは、数冊溜まるごとに破いて燃えるゴミに捨ててきた、汚物であるという認識なのだ。


今もノートに書いている、毎日というわけではない、気が向いたら書き起こすと自分自身が再起動したような心地になる。

私は眠りが浅いので、横になってまどろむことと、書き出すという行為でなんとか自分を保っているのかもしれない。

 

今ふたたび小説を書いている…一体どこ向けなのか、果たして自分以外読む人が居るのか謎の代物であると自覚している。
小学校の頃からのやり直しをしているような気もする、これは様式美の追求なのかとも思う、ただその美を美であると認識する人は自分を除くと居ないのかもしれない。
小説ができたらKindleで出そう、これが私がやりたくてやっていることである。

 

もっともくだらない、そしてもっとも純化された物事、それが創作である。