大熊あれいブログ

絵画やイラスト、詩や独白文章を公開しています。不定期です。

私の感じる美しさ【世の中】

清冽な美しさを人に感じるときというのはどのような場合だろうか。

 

その人が何の理由もなしに、自分の客観主観を総動員して邁進しているときではないだろうか。
そのような人は美しい。
同じことをやる場合でも、自己卑下や正当化するための理由を、自分自身に対して密かに語った場合ですら、美しさに陰りが出る。

 

だから、くだらないことでも、はたから見たら醜い、あるいは残酷と思える行為ですら、美しい場合は多々ある。
戦っていたり貪欲にセックスしていたり、金を荒稼ぎしていたり、アルコールをほしいままに飲んでいる場合や、ただ一心に祈る鬼気迫る姿すらも美を強く感じるのだ。

一方で瞑想状態のような、とことん動きの無い様子の人もまた美を放っていたりする。

 

しかし瞑想などの行為をするにあたって、何かのため…という理由づけのある場合、ただのお行儀のよい人に成り下がる、それは単純に美しくない、そのような人をあえて見ようとは思わない。
主体的でない人はそれほど美しくはないのだ、善悪ではなくただの主観的事実である。

 

美しさに対し私のできることは、一方的に見とれることのみである。

歌いたいからと歌う歌声、描きたいから描いたもの、理由無き情熱の賜。
性行為したいからする、雄雌の繰り広げる妙なる本能の力。

 

そのような圧倒的な美しさには、私はただ敗北するのみである。
私は世の中の、美しいものごとを探したい、ただ見ていたいのだ、思うさま私を打ち負かしてほしい。

 

ちなみに、私の感じる美しさというものは、客観的に見て多分あまり美しくないものである。